なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ガッチャマンクラウズは、JJのシナリオをはじめが上書き(アップデート)する物語

という一面もあるのかな、と思ってみたりしました。

原作見てないし、あえて調べずに妄想で書くけれど、もしかして、元々JJは、地球をエサにしてカッツェをおびき寄せ、ODに地球もろとも破壊させるつもりだったのかな、と思いました。


破壊神ODさんは破壊神なのに殺意ではなく、「アンタには想像もつかない明日が待ってるから!」と、カッツェには想像できないことを思っているから乗っ取られない。うつつへの思いを一回利用されたが、乗り越えた。だが、JJから奪ったハサミでODはやられた。

J・J・ロビンソンは「地球の人類はどうせ滅びる」って裏設定で考えていたらしく、その考えがカッツェの最後の武器として利用されたのかもしれん。単なるバトル上の設定かもしれん。

(だから、JJは最初から指示が投げやりだったのか…。パイマンは七つの星を逃げ続けたダメ管理職で、ODは父の星を吹き飛ばして母親のコネで地球に飛ばされたので、地球は宇宙評議会にとって左遷先かもしれんw JJもカッツェみたいな悪いガッチャマンを生み出した責任を取らされて飛ばされたのかもしれん。半沢直樹かwww)

http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20131002/1380664399

JJさんの行動を振り返ると、一貫して、カッツェへの対抗意識は見えても
地球の平和だの問題解決にはみじんも興味を示してない。
地球なんかどうにでもなれっておもってたのかもしれない。
ODに破壊の翼を広げさせることが目的だったのかもしれない。

QBはがまどかと魔法少女の契約を結ばせようとしたのと発想が似ている気がする。QBは、最強の魔女たるまどかが魔女化した時のエネルギーが目的だった。もちろん、その際に地球の人類は滅びるが、QBにとっては知ったことではない。それと同じことだったのかもしれない。

ただし、ODはまどかと違って、自分が一度能力を全開にしたらすべてが終わってしまうことをすでに失敗して知っている。まどかのように「少女を救うため」みたいな方便は通用しない。内発的動機は期待できない。ODの感情を希望から絶望に落とさなければ行けない。

ODに翼を開かせるためには

・「地球が滅びるとしてもカッツェを倒さなければ行けない」
・「こんな連中滅びてもいい」(人類に対する絶望)

の両方が必要だった。

幸いなことに、カッツェはとても驚異的な存在であるし、放っておいてもカッツェによって人類はその醜さをODに晒すことになる。JJは「マーズ」みたいな展開を、地球の外側にいる存在として眺めていれば良かった。



ところが予定外の問題が起きた。MESSの存在だ。


こいつがしっちゃかめっちゃか地球を荒らしてしまうと、やっていると、こいつを敵として人類が結束してしまうかもしれない。ところがパイマンは対処療法的に戦うだけでいっこうにらちがあかない。それで、MESSをなんとかできそうな奴として、はじめちゃんをスカウトしてみた。JJにとっては、予定外のさらに予定外みたいな存在がはじめちゃんだったのかもしれない。とりあえず応急処置的な感じでたいした期待もしてなかったのではないかしら。 

(JJははじめちゃんと同じはさみの能力持ちなので、はさみ能力に適合する人間にノートを与えれば解決してくれるのはなんとなく読めていた?)



ところが、はじめちゃんはただの変な女子高生ではなかった。あっというまにガッチャチームの空気を変えてしまい、JJの計画…というにはあまりに適当なもくろみは方向修正を余儀なくされる。 ODは、地球のみんなに庇護欲のようなものを持ってしまった。こうなると、破壊の翼を使わなくなるであろう。



ああ、今回は失敗だな。まぁいい、ODがやられさえしなければまた次の機会がある。とりあえず今回どういう展開になるか楽しませてもらおう。とりあえず、はじめちゃんが犠牲になりでもすれば、思慮深いODも復讐のような感じでカッツェと戦ってくれるかもしれない。 そんな感じで、と「ひぐらしのなく頃に 罪滅ぼし編」のフレデリカのような事を考えながら物語からフェイドアウトしてしまったのかもしれない。




まとめ 基本はジョジョっぽい話

この作品は、それぞれの登場人物が持つノート(物語)を
書き換えたり、乗っ取ったりして「物語力」「精神力」で勝負するという
ジョジョのスタンドバトルみたいなものだという説に同意します。
ただ、ジョジョと違うとすれば、そのバトルが複数のレイヤーで起こってることですね。


①マクロにおいては、ルイルイの物語が主役になりましたね。
一度乗っ取られ、問題点を洗いざらい検討された後、
はじめちゃんらのパッチを当てることでバージョンアップし、
その後をリードする物語となりましたね。


②ミクロにおいては、それぞれのキャラが11話前半である程度けりを付けてますね。
正直物足りないキャラも多いですが、(それ、登場人物に直接語らせちゃうんだ!ってビックリしたよ)、パイマンの物語的成長なんかはいい感じでしたね。ルイルイの物語は、ミクロでの成長がそのままマクロでの成長になっててすごい。


③そして、マクロのさらに上のメタつーかパラダイムの領域で、はじめちゃんとカッツェが戦ってますね。ルイルイがマクロの面で勝利できたのも、この領域ではじめちゃんがルイルイを強烈にサポートしていたのが大きいですね。 これは上記記事で「思想的な対決」と表現されています。社会学系の人とかがこの作品に興味を持ったのは、このレイヤーでの勝負が描かれていたからですかね。

ただここでも、ただパラダイムの領域に徹する感じじゃなくて、はじめとカッツェの個人的な感情のやりとり、かけひきもあったんだ!というのがこちらの記事ですね。素晴らしいです。
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20130926/1380195432

こういう「思想レイヤー」と「個人の感情」が上手いぐあいに重なり合った対決が描かれている傑作としては、やはり「SWAN SONG」思い出しますね。
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar342784http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090917/p1
<はやくこの記事をブロマガでも公開してくれ~!>



④で、今回私が考えてたのは、どのレイヤーで考えればいいのかな…。感覚的には「旧パラダイム」との訣別みたいな感じなんですが。とりあえず、スガネを先頭に、ガッチャチームはまず「神のつもり」のJJを拒否し、その後でカッツェとの戦い方に挑んでいる。まずJJを拒否することが「カッツェを殺さない戦い」を実施するための最低条件だったような感じはしますね。
まぁJJは神きどりというか、自分の意志がマニフェストデスティニーだ、みたいな感じで、自分は方向を決めて、戦いは部下達にやらせるって感じでしたが、結局カッツェに絡まれてましたね。QBのような完璧な存在はなかなか以内って感じかなぁ。

この作品は、「良いガッチャ悪いガッチャ」って表現がありましたが「正のQB気取りと悪のQB気取り」の戦いってのが有ったのかな、と。ただ、JJやカッツェと比べると、QBはさらに一つ上の段階にいる存在に感じますね。

Knocking On Your Heavens Door!

とりあえず、「個々人が持つ人生の脚本」「社会が持つ物語」というものを、書き換えたり、乗っ取ったり、他の人が書き込んだりできるという視点がとても面白かったです。
だれでも、少しずつ人に影響を与えてる。それが連鎖して社会が変わることもある。galaxの変化とかよりも、そっちがちゃんと伝わる話だったのが個人的にはとても良かったですね。