ジャンヌ・ダルクについて③ 「ルーアン」パリ大学からみたジャンヌ
パリ大学は明らかにジャンヌを嫌悪していた。
わけても聖職者ならぬ平信徒が、それも呪われた性である女が、神意を代弁できるかのごとく振る舞う思い上がりに関しては、かくいう私も位置論考をものして、世に問うたくらいである。
ジャンヌは割りとでしゃばりで「乙女戦争」で取り上げられているフス戦争に関して、フス教徒に「お前らは間違ってる」みたいな文書を送ったりもしてる。この当時はただでさえ聖職者が特権意識を持っており、聖職者は男尊女卑の極みのような人が多かったので、そりゃ女性が活躍しようものならそれだけで嫉妬することもあったでしょうね。
「魔女狩り」とか見るとホントキリスト教の当時の聖職者はひどすぎるなと思います。当時、聖職者としては堕落してるくらいがちょうどよくて、コンスタンツ公会議みたいな、世俗まみれまくりの会議の結果を正義とか思って真面目に異端者を焼き殺してた聖職者とかは、アイヒマン並に悪逆非道と裁かれるべきな人多いと思いますけどね……。キリスト教が中心でない歴史がもし今後の人類に存在するなら、キリスト教の過去は人類の暗黒面として取り扱われるかもしれませんね。
まぁそんなわけで、パリ大学の人間の傲慢ぶりが嫌というほど描かれているのが面白い。異端審問官の「コーション司教」は有名であるけれど、彼は元パリ大学の総長であり、かつコンピエーニュがあった「ボーヴェ司教区」の管轄だったらしいです。審問自体はルーアンでやったわけですが、ルーアン司教でもない彼が異端審問をつとめたってことですね。
一人の女性を捕まえで何度も処女検査を行ってるこの時代の聖職者たちの処女厨ぶりは異常
ポワティエでも、パリ大学主催の予備審問でもやってるのね。ただ、どちらにおいても純潔は保証されている。
この狂った聖職者は、女性を、男を誘惑するケガレた性と呼びながら、
処女は無茶苦茶神聖であり、悪魔を弾き返す力を持ってるというわけだから、処女厨ってレベルじゃねえよ。
ああでも、聖職者は建前上童貞が多いからそういうもんなんですかね。
この聖職者たちの悪魔の考え方は、割りと
童貞こじらせた非モテ男が、女の処女を奪う男をヤリチンって呼ぶ発想にスレスレであり、
ミソジニーこじらせた人たちは、今からでもこの過激派たちに弟子入りすればよいのでは。
当時のパリ大学の聖職者は一生懸命「啓示」の定義を考えていたらしい
ジャンヌが神の声をきいたということを否定したいが故に彼女が聞いた声は悪魔のものであり、つまり彼女は悪魔だと一生懸命主張しているこの聖職者、今の基準で考えると中二病なんて可愛いものだと思う。こんなんで人々から寄付をもらっていきられる職業って羨ましすぎるんですが。
①第一回~第四回審問 検事ジャン・デスヴィエ
第四回目の時に、声の正体は「大天使ミシェル」であるという証言をジャンヌが行う。
②第五回目~ 検事ジャン・ボーペール
尋問におけるジャンヌの応答の見事さはバーナード・ショウの戯曲に取り上げられるほど
はっきりいって、元々が無理矢理な話で証拠など無いわけで、難癖つけようと思えばいくらでもできる。
そんなわけで聖職者が無理難癖をつけてジャンヌを嘘つきの魔女に貶めようとするなか、ひらひらと交わすジャンヌの答弁が面白い。
考え方がおかしいが、やたらと糞真面目
ただ、この人達は、頭がおかしいかわりに勤勉で真面目である。
たとえ国からさっさとジャンヌを魔女認定しろと圧力をかけられても、彼らの論理でちゃんと勝利を収めるまでは延々と戦い続ける。そのために一ヶ月以上ずっと戦う。
とはいうても、コーションあたりは世俗に染まっているので、しびれを切らして、論理ではなくジャンヌを裁判外で傷つけ、弱らせて負けを認めさせるという卑怯な手を使った、というのが現在の通説。
ジャンヌ・ダルクについて② 「ジャンヌ・ダルクまたはロメ」ジャンヌ・ダルク私生児説をベースにしたお話
「ジョルジュ・ラ・トレモイユ」視点の腹心「ルイ・クルパン」という人物の視点からジャンヌを語る作品。ちょっとマニアックw
ジョルジュ・ラ・トレモイユについて
ジョルジュは反リッシュモン大元帥であり、リッシュモン大元帥はどちらかと言うとジャンヌ寄り扱いをされることから、結果として反ジャンヌと見られがちな人物。
ジャンヌ登場後、フランスが優勢になった後でも英国との休戦をシャルル7世に持ちかけたり、ジャンヌが捕虜になったときも身代金を払わず見捨てるようにそそのかした、みたいな感じで、ジャンヌ・ダルク好きな日本人から見ればマイナスイメージが強いかと思います。実際この本もそういう雰囲気で取り上げられてますね。
宰相として、無気力なシャルル7世から国政に関する一切を任された人物。悪く受け取るなら、三国志時代の蜀において、劉禅をたぶらかした悪宦官として知られる「黄皓」みたいな感じでしょうか。
ジャンヌの後ろで誰かが糸を引いていたのではないか、という疑惑について
そんなジョルジュは、自分の権力基盤が王の信頼に依存していることをよく理解しているため、警戒心が強いです。町娘とはいえ、いきなり現れてはシャルル7世の寵を受けたジャンヌ・ダルクにかなり猜疑心を持つ。ジャンヌ本人はともかく、「ジャンヌの後ろに黒幕が隠れているのではないか」ということを考えるわけですね。
彼が真っ先に疑ったのは、神の啓示とかそういう話ではなく(それは誰かの仕込みだろうと考えていた)「ジャンヌ・ダルクが馬に乗れること」。宮廷で堂々と振る舞える、ということ。この当時貴族の男でもない人間が馬を乗りこなせる、ということ自体が不可解だと考えた。
むしろ受けたのは教育だ、とジョルジュは思う貴族としての教育だ。それも多分に男としての教育だ。やはり神ではなく、今日の日のために、あらゆる準備を密かに進めた黒幕がいるのだ。
これに関しては、創作ではあるものの流血女神伝において、実際にジョルジュが危惧したそのまんまのストーリーを読んだことがあるのでかなりリアリティを持って想像することが出来ました。
帝国の娘 上 (角川文庫) | ||||
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そんなわけで、黒幕としてリッシュモンの他、オルレアン公、アランソン公、ブルボン公などを疑って、念のため身辺調査をさせることになります。
ジャンヌ・ダルクの故郷 ドンレミ村(シャンパーニュ地方の東端)でジャンヌの「人物について」の聞き込み調査を行う
英仏戦争の結果、周囲はすべてイギリスに支配され、飛び地として孤立している地域。領主の居城「ヴォークルール城」もイギリスに包囲され、ドンレミ村も何度となく襲撃され略奪にあったらしい。
で、パリがとっくにイギリスに恭順しているのに、この地域は孤立した状況にあっても、フランスへの忠誠心が高い土地柄であったと。で、土地の人もなぜかジャンヌのことを聖女と信じているようであった、と。
その後、史実としても知られている「ボードクリール」に一度門前払いになった後、徐々に話題となり、「ロレーヌ公」と会った後に、ボードクリール公がわざわざ兵士に護衛させて王のもとに送り出したこと、ポワティエ審問のことなんかについて語られる。
ヴォークルールからシノンにいる王の元に向かうまで何があったのか
ルイはまずヴォークルール城から王のもとまでジャンヌを送り届けた城兵たちに聞き込みを行う。
神の遣いだなんて名乗るだけあって、この世にはきれいなものしかないなんて本気で信じてる顔だった。汚いものもあるんだって、いや、この世は汚いものだらけなんだって、どうでも俺は教えてやりたくなったのさ。
この当時の男尊女卑は今の比ではなく、女一人が6人の城兵の男と一緒に旅をするという過程はあまりにも常軌を逸していた。これについて、身辺調査を行っているルイは当然邪推をするわけだが……。
ドムレミ村でのジャンヌの評判は……
「できすぎて、なんだか嫌味な子だったわ」
「あの子は、生まれたときから特別だったから」
ジャンヌが村で聖女として振る舞い始めたのは、たった1年前の1428年5月からだったらしい。それにも関わらず、村人たちは唖然とするばかりの急展開にも、妙に納得していた。
ジャンヌダルクの生家を訪れる
ジャンヌの家は、村の中では村長一家であり、地元の名士であり、豪農。
父はジャック・ダルク。母はイザベル・ロメ。地元ではジャンヌではなくジャネットと呼ばれていたらしい。
兄は三人、妹が一人いて、それぞれ「ジャックマン」「ピエール」「ジャン」「カトリーヌ」。ピエールとジャンは、ジャンヌの出立に合わせてオルレアンに出立していた。
→ジャンヌは、婚約者アンリ・ポクランのところに嫁がず、親の顔を潰したため、父から勘当されている。(トゥール司教法定に訴えられた記録も残っていた)
→アンリは、「ジャンヌは、村の中に、婚約者のアンリ以外に想い人がいて、夜に幾度となく密会していた」と言うが……
ルイの報告を得て、ジョルジュが出した結論は……
ラ・ピュセルはジャック・ダルクとイザベル・ロメの実子ではない。(○○○の私生児である)
お、これはジャンヌファンなら有名な説の一つですね。この作品では、タイミングから推測して「オルレアン公ルイと淫乱王妃イザボーの間に生まれた私生児である」という推測を立てています。
閑話休題ですが、この当時フランスはただでさえイギリスに負けているのに、内紛を起こしており、特にアルマニャック派のgdgdぶりはほんとにひどい。このせいでイングランド・フランス二重王国状態が発生してるわけです。
宮廷を掌握したアルマニャック派だったが、1415年にフランス遠征を開始したイングランド王ヘンリー5世を撃破しようとしてアジャンクールの戦いで大敗、アランソン公は戦死、オルレアン公とブルボン公は捕虜となり、ブルターニュ公も弟アルテュール・ド・リッシュモンが捕らえられイングランドに反抗出来なくなり、アルマニャック派は大打撃を受けた。同年と翌1416年に王太子とベリー公も死去、1417年から行われたヘンリー5世のフランス征服にもアルマニャック派はなす術が無かった。1418年にブルゴーニュ派が扇動したパリ市民の再度の暴動でアルマニャック伯は殺され、パリは再びブルゴーニュ派が制圧した
ここからのどんでん返しが面白い。
ここで終わってしまっては、よくある俗説をなぞっただけのチープな展開で終わってしまいます。しかし、ジャンヌはジョルジュのこの推測を突っぱねます。この俗説はこの物語ではジャンヌ本人によって否定されてしまうわけですね。
私の推測が外れたということか。オルレアン公家ではなかったのか。してみると、ジャンヌ・ダルク、またはロメは全体なにものなのだ。
なまじ私生児説は読んだことがあり、てっきりその展開かと思っていたのでかなりびっくりしました。
しかし、ジャンヌはジャック・ダルクの子ではなく誰かの私生児であり、貴族の援助を受けていたことは状況から疑いようもない。しかし一体ジャンヌは誰の子であり、黒幕は誰なのか……とジョルジュが迷うものの、意外なところからあっさり答えが判明します。黒幕の正体はまさかのあの人物。同著者の作品の「傭兵ピエール」「カルチェ・ラタン」にも登場していたかの人物です。佐藤賢一さんはこの一族ほんとに好きだな!!!
黒幕の正体はわかったが、ジャンヌ・ダルクの正体は未だわからず
さて、ジャンヌの「黒幕」の正体がわかったジョルジュは、その「黒幕」のちからを削ぐために戦場においてジャンヌを孤立化・弱体化させる手を打つ。そして、ついにジャンヌはコンピエーニュの戦いでとらわれることになります。これで「黒幕」はもう力を失ってしまいます。
さて、ジョルジュに残された課題はあと一つ。「身代金を払ってジャンヌを救うべきかどうか。それとも見殺しにするか」。
見殺しにすればいいと思いつつもジョルジュは悩みます。なぜなら、「黒幕」の正体はわかってもジャンヌの正体がまだわからないから。ジャンヌの正体は、王であるシャルル7世は知っている、しかし自分はわからない。もしジャンヌの正体が王にとって絶対に見捨てられないほど重要であり、それにも関わらず見捨てるという選択をすれば、ラ・トレモイユは一発で王の信頼を失ってしまう。慎重にならざるを得ないわけですね。
そして、ついにジョルジュは、ジャンヌの正体を悟ります。そして、なぜ彼女が他の人に聖性を感じさせるオーラを持っていたのかも。それを知ったジョルジュは「ジャンヌは絶対に救うべし」と王に進言します。それだけジャンヌの正体は、王にとって重要な人物だったから。
さて、それを受けた王の返答は……。
最後の終わり方は「えええええええええ!?」ってなりました。 消化不良感半端ない……。
ジャンヌ・ダルクまたはロメ (講談社文庫)[Kindle版] | ||||
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やっぱりこの人は長編が面白いかも。。。
ジャンヌ・ダルクについて① 関連人物について
ジャンヌダルクの活躍の期間は異常に短い。活動期間自体が1年にも満たず、その中でも活躍したのは本当に序盤の2ヶ月程度である。
★1429年3月にシャルル7世に謁見し、オルレアン包囲戦に関わったのは4月29日。ロワール川沿いのオルレアンが極めて重要な拠点であったこと、それ故に1428年10月から約半年以上戦い続けていたにも関わらず、ジャンヌ参戦後わずか8~10日後にフランス軍の勝利で完了するという展開は、そりゃ奇跡と言われるでしょう。
ジャンヌがオルレアン防衛のために取った戦法は、各要塞に分散された(各要塞の情報連絡には時間が掛かった)イングランド軍を立て続けに各個撃破するというもので、攻城戦は包囲後に講和を結んで終結するという当時のヨーロッパの常識から考えると「蛮族の行為」であった
http://d.hatena.ne.jp/houkouonchi/20130908/1378690079
このあと「ロワールキャンペーン」が実施されるくらいまでが全盛期。6月くらいまでは活躍するものの、もうこの後はジャンヌ自体が活躍して勝利を収めるという展開はほとんどない。シャルル7世がランスで戴冠式を行ったのは7月13日だけれど、その前の戦いからすでに活躍の主体はリッシュモン大元帥に移っている。11月ころからはジャンヌが参加した戦いでも失敗が多く、1430年5月23日にはついにコンピエーニュの戦いで破れて捕縛されてしまっている。
このあたりから、ジャンヌはオルレアン戦まで限定で本当に神通力があったのだとか、彼女の側に知恵袋がいたのだという発想も生まれるわけで、佐藤賢一さんの小説「傭兵ピエール」はそんな発想から生まれていると思われます。面白いよ。
ジャンヌダルクの活躍に関連ある人物など
①一番最初にジャンヌがアプローチした「ロベール・デュ・ボードリクール」
②シノンで最初にジャンヌをチェックした「ラ・トレモイユ」
1429年3月6日、ジャンヌはボードリクールに護衛されてシノンに到着し、懐疑的であったラ・トレモイユと面会した。3月9日、ついに彼女は王太子に謁見した(王太子が最終的に彼女の「(魔)力(または彼女の有用性)」を確信した遭遇は、この2、3日前であった)[29]。それにも関わらず、王太子はジャンヌに最初にポワチエに行き、教会組織による検査を受けてくるように要求したが、聖職者により彼女は有害でなく、任務を安全にを引き受けることができると裁定が下ると、王太子は3月22日にようやく彼女の奉仕を受け入れることとなった。
③彼女を登用することを決めた「シャルル7世」
④オルレアン包囲戦において彼女と共に戦った「アランソン公ジャン2世」、「ジャン・ド・デュノワ」、「ラ・イル」(エティエンヌ・ド・ヴィニョル)または「ジル・ド・レ」など
ジャンヌ・ダルク関連だと日本ではとにかく「ジル・ド・レ」ばっかり目立つけど、こいつガチで無能のような気がする。いいところのボンボンが政争に巻き込まれたみたいな感じある。
⑤フランス勝利の真の立役者と言われる「リッシュモン」大元帥
1429年、ジャンヌ・ダルクがイングランド軍が包囲しているオルレアンの救援をシャルル7世に願い出ると、消極的だったラ・トレモイユは主戦派の台頭を恐れジルにジャンヌを監視させ、オルレアン包囲戦が5月にフランス軍の勝利となり、ランス解放を目指して進軍するジャンヌらフランス軍にリッシュモンが合流すると阻止を図ったが失敗、リッシュモンはジャンヌ・ジルらと共にイングランド軍を6月のパテーの戦いで打ち破り、7月にランスでシャルル7世の戴冠式を実現させた。これ以上主戦派を勢いづかせないためラ・トレモイユはシャルル7世に進言してリッシュモンを再び遠ざけ、戴冠式に出席したジルをフランス元帥に任じて懐柔した。更に主戦派を出し抜こうとしてブルゴーニュ派と和平交渉に取り組み1430年までの休戦を取り付けた
⑥異端審問を行った司教コーションとそのエピソード
これについては「傭兵ピエール」や「ダンス・マカブル」というマンガあたりが描いてるけど、とてもゲスいのであまりオススメ出来ない……。
ダンス・マカブル 1 ~西洋暗黒小史~<ダンス・マカブル> (コミックフラッパー)[Kindle版] | ||||
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トウェイン完訳コレクション マーク・トウェインのジャンヌ・ダルク ジャンヌ・ダルクについての個人的回想<トウェイン完訳コレクション> (角川文庫)[Kindle版] | ||||
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個人的には、ニシン戦争めっちゃ面白い
上野千鶴子や内田樹批判はもう意味がない。それに変わる知識人がいないことが問題
上野千鶴子批判は今更すぎる。この人は今更変わらないんだから、問題は次を考えることだと思う。
https://togetter.com/li/1080097
正直、この記事について、今更上野さんについて失望を表明している人たちの気持ちが私にはよくわかりませんでした。なぜなら、上野さんや内田さんはずっと前から、というか「おひとりさまの老後」という著書を出されたときからずっと同じことを言ってるからです。今までと同じことを言ってきてるのに、特定の表現が引っかかったからといって今更になって騒ぎ立てるのは、すごい違和感が有ります。
これは2010年に両者の間で論争があったときのログです。
http://blog.goo.ne.jp/midorinet002/e/c45d8356afe1f43efd1517ce947f1df2
まずこの記事のやりとりでは、内田樹さんがひどすぎる。知識人という立場を自ら放棄するような傲慢で無責任な態度に絶句させられます。*1
さすがに内田樹さんと比べれば、どちらがマシかと言えば断然上野さんでしょう。とはいえ、同時に、上野さんにしても、内田さんの酷さよりは多少マシという程度で基本的に前提は同じなんですよね。
「これから必要なのは、弱者が自尊感情を保ったまま生きていける手触りの暖かい相互支援、相互扶助の親密なネットワークを構築することだと思います」ということには、わたしも100%賛成である。
これだけだと批判のために都合の良い場所を切り取ったと感じる人も多いと思うので、是非リンク先の文章は全部読んで下さい。でも、この時から(おそらくはずっと前から)今に至るまで、上野千鶴子の主張なんてたいして変わってないわけです。
今の知識人に求めるべきことは何か
本当に困っているのは、上野千鶴子や内田樹の意見それ自体ではなく、彼らが未だにもてはやされ、影響力を持てるような状態にあることです。知識人と呼ばれる界隈があまりに脆弱すぎると思われている。メディアも出版社も、何を担いでいいのかわからず、すでにオワコンを通り越してただの老害と化している人を担ぎ続けているというその状況がまずい。
「上野千鶴子や内田樹の意見がおかしい」っていうのは簡単です。「現状追認をして、自分たちだけ勝ち逃げしたい。」そういう老人たちの保身のようなものはもう思想と呼ぶに値しません。ですが、それ自体が問題なのではないのです。批判するだけなら簡単な腐った考えであっても、それを打ち負かす程度の力を持った意見が他にないってことです。他に何も意見が出ないから、すでに使い物にならなくなっている人たちがのさばり続けてるわけです。
アメリカでトランプが選ばれたってのは、リベラルへのあまりに強い失望、ヒラリーに代表されるエスタブリッシュメントが、下層の人間の切迫した状況に理解を示してくれていないという焦りや嫌悪感が突出して現れたということだと言われています。ここでその真偽を論じるつもりはありませんが、この話は日本にとっても他人事ではない。というか、日本はアメリカよりはるかに深刻な状況でしょう。もはや、思想家や知識人が全く機能しない。この国の先の姿を考えて提言できる力のある人がいないってことですから。そのくらい手詰まりだということを示してしまっている。
上野千鶴子や内田樹の意見に今更突っ込むことはむなしすぎて全く興味がなかったのですが、この問題自体は考え続けないといけないかなと。
http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/ueno.chizuko
難しい現状があるとき、今とは異なる理想を語ることがバカらしく思えたり、冷ややかな目で見られることはよくあることです。もしまだ知識人の役割というものがあるとすれば、そんな冷ややかな目線を軽く跳ね返し、現実的な社会状況とも正しく折り合いをつけながら、理想に近い道がどこにあるかを探り続けることではないかと私は思います。
移民を受け入れることが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。社会民主政党が存在せず国家の再分配機能を強化することが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。これらの問いに向き合い続けなければ、上野氏と似たような結論から抜け出すことはできません
こういう考えを持っている人たちがいるというのは心強いです。
よくよく考えてみれば、何にもないと言ってるわけではないです。
私はいろんな現状分析をしている本は面白く読んでます。
でも、これからに希望や理想を持てる本、少なくとも今何を考えるべきかを示してくれる本は読んでこなかった。
自分がそういう本を意識すらしてこなかっただけです。自分がそういうことを考えてこなかっただけですよね。
失望はするものの絶望するにはまだ早いかなと。また自分でも色々考えたり調べたりしてみたいものです。
*1:※内田樹さんは、とにかく「事実」をただしく認識しようという努力を全くしない人でありつづけた人だと思います。自分の論が先にあって、それに都合の良い用に情報を集めるという「デマこい!」さんと同タイプ。自分の認識を事実と混同し、それについて「べき」論を唱える。そしてその「べき」論が自分の身体感覚、という人だ。身体感覚だより過ぎて、己の認識の正しさを担保する方法が他にない。まぁほんとに文学寄りの人なんですよね。調子がいい時期でもずっと陰謀論をやめられなかった。教育についてだけ語っていればよかったのに社会や経済に関してはずっとズレた発言しかしなかった。なので、その感覚が現実とそれほどずれてない時期は良かったけど、現実と乖離した場所に自分を置き続け、さらに教授職すら引退した後はもう頓珍漢なことしかいわないただの酒場のオヤジと化しました。今でも「ネームバリュー」「ニーズ」があるからといってこういう人を使い続けようとする出版社やメディアはWELQ並に迷惑なのでほんま勘弁して欲しい ttps://togetter.com/li/885412
マナーを自分を律するためではなく人にマウンティングするために使う全ての人間に災いあれ
マンガ感想についての投稿は来週以降になるのでしばらく暇つぶし。歴史マンガ以外の記事は、歴史マンガの話が始められるようになったら非公開にします。
https://togetter.com/li/1079836
茶碗に米粒を残した状態で「完食」する人は完全悪ではないけど相容れられない、という話
どうでも良すぎる話なのでごちゃごちゃいうつもりはないです。とりあえずここいらの意見に同意
他人の品格やらマナーをもって、人格攻撃まで至る人は、同じことをされる覚悟持った上でやろう。
私は結構マナーについて言及するので、増田や頭のおかしいエロゲーマーに粘着されたりしました。_:(´ཀ`」 ∠):
ああ、災いはあるね。。
低リテラシーと言われようと、私は少しでも疑わしいものはとりあえず嘘だと扱うことにする
自分が正しかった時に言うと「とりあえず嘘だと扱う」のが絶対的な正義みたいに言われると思われてしまうので、
ちょうど私が間違えて、負け惜しみと思ってもらえるタイミングで自分の方針を書いておきます。
https://togetter.com/li/1079632
について、私はぱっと見て「これは嘘だと思う」というコメントをしました。
その後
http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2017/02/10/231916
こちらの記事で、どうやら嘘ではないらしい、という話があり、
「その話について確認はしていませんが」コメントは訂正しました。
上の記事では、検証のみではなく、リテラシーに関しての話があります。
しかしリテラシーってのは何でもかんでも疑えばリテラシーが高いわけじゃない。
丁半博打みたいに「デマ」「真実」のどちらかに掛けて当たったらドヤ顔できるゲームじゃない。
出されたものをそのまま飲み込むのではなく自分から情報を調べるのがリテラシー。当たってようが外れてようが自分で調べないなら同じこと。
記事の趣旨としては嘘扱いするなら、調べろ。調べもせずに簡単に嘘扱いするな、という話になるかと思います。
(もっと限定して「疑うだけのものをリテラシーとして誇るな」程度の主張かもしれませんが、あえて大きめの解釈を取ります)
これについては、半分賛成半分反対という感じでしょうか。
それだと、嘘をつく人間に有利だと思うからです。調べない人間側に責任を寄せる形になるからです。
私は、パット見て「重要でなく」かつ「少しでも疑わしい」「信じるに足りない」と感じたものはとりあえず嘘と扱うことにしています。
そして、そこから「真偽を確認する価値がある」と思ったら調べることにしています。
さらに、傲慢な話ですが、私は上記の人の考えよりも、私の考えの方が、全体として合理的だと感じています。
個人のレベルなら上記の記事の考えを個別に採用するのも有りでしょう。でも、それをみんなに要求するつもりはありません。
デマが拡散するのは、デマを流す人間が悪く、さらにデマを考えなしに広げることが原因になるためですから、
とりあえずデマが流れる方向に対して歯止めがかかる方を優先します。
デマとは「流布された誤った情報」
嘘松さん呼ばわりしたり、ネタ扱いするのもそれはそれでデマと同じ。
上記ではこのように書かれていますが、私はデマを流すのと、嘘扱いではベクトルが違うので
「それはそれでデマと同じ」は乱暴であると感じます。潔癖症とでもいいましょうか。
「○○は嘘である」という積極的なデマを流すならともかくとして、
嘘扱いする人の態度としては「とりあえず信じることは出来ない」「拡散するに足りない」という扱いになっているかと思います。
(トランプ陣営が行ったカウンターフェイクなどの事例を見るに、今後はこちらも警戒する必要はあるかもしれませんが)
能動的に「○○は嘘だ」という情報を流し、それが拡散しているケース以外は、「発信元への差し戻し」に近いと考えます。
とにかく、信じるに足らない、まともに扱うに足りない情報が多すぎます。
特にtogetter。特にtogetter。特に、togetterね。
こんなん9割は、ページを開いた瞬間に「とりあえず嘘書いてるんじゃないかな」と思って読み、「つまらない」と思ったらその場で閉じるくらいで良い。
そのくらい、あそこのページの、特に明らかに拡散を目的とした派手なタイトルには信頼性がない。
togetterの運営も、それを承知の上で放置している。
そういう信頼性の無い情報が容易に拡散され、はてブに載ってくるという現状のバランスの悪さを考えても、
私はむしろ「信じるにたるものでない限りはとりあえず嘘と同格の扱い」をデフォルトにすることがそれほどおかしいとは思いません。
ただ、表現が正確でなかったのは事実であるため、今後は「嘘である」とはかかずに「信用できない」「嘘くさい」程度に留めることにするつもりです。
はい。そういうわけで、「自分が調べもせず嘘だと思うと書いてしまったことが恥ずかしくて、顔を真赤にして発狂している哀れな人の姿」をお届けしました。
私も上記の記事の人もデマが嫌いということは一致していると思います。 単に上記の記事の人のほうが丁寧で、私は雑で間抜けという話なので、基本的に上記の記事をベースに考えられたら良いと思います。
ホークウッド 騎士には名誉を、傭兵には金を
すげえ!
クレシー、カレー、ポワティエの戦いのうち、クレーの戦いに焦点を持ってくるとは。
そしてエドワード黒太子をダシにして、ホークウッドすらダシにしてエドワード三世が主役だと!!こんなの予想できんわ。
この作品は、ホークウッドの名を冠してはいるが、ホークウッドに関しては序章もいいところだ。百年戦争ですら序章。こんな贅沢な無駄遣いをしてる漫画が出せるってすごいなマジで。
ここから引用。
俺は他人を信用しない。相手が善人ならなおさらだ。善人は気のいいやつが多いが貧乏くじばかりひく。信用すれば俺まで巻き添えをくらっちまう。だが悪党は違う。悪党は自分のとかになることしかしねえ。抜け目なくことを運び、やばい時は他人を踏み台にしてさっさと逃げる。そういうやつでなきゃ信用できねえ。俺は悪党以外他人を信用しねえのさ。あんたが悪党でよかったぜホークウッド。
騎士であることは特権である。馬一頭は百姓1人が生涯に納める税金よりもはるかに高価なものであり、騎士はその所有を許された特権的な富裕層だ。柏間上から人々を見下ろし馬の脚力を自在にできることで優位に浸る。支配階級である騎士たちは自らの特権を守るために、戦いの決まり事を自分たちに都合の良いように定めてそれに従わせようとした。堂々たる戦いや勇猛さこそが誉であって、戦力そのものの優劣よりも騎士道言う観念こそが重要だと信じ込ませようとしたのだ。
かつて、騎士たちは、弩をあまりにも無慈悲な武器であるとして教皇に訴えて禁止令を出させたことがあった。やつらの目論見もわかる。
弩は鍛錬を積まなくとも、引き金をひきさえすれば誰にでも矢を射ることができる武器だ。すなわちそれはたとえ平民にあっても騎士の命を奪うことができるということだ。特権的な騎士が平民に敗れることがあってはならぬ。禁止令を出させたのは、弩が騎士の優位を脅かすものであると真に恐れていたことの証左でもある。この光景を見るがいい騎士達よ。騎馬が最強との思い込みはすでに幻想に過ぎないのだ。
⇨ばかめ。弩が騎士を倒せようと、傭兵が騎士に雇われる立場であるかぎり、結局は騎士の作った決まりの元で戦わねばやらんのは変わりないってことだ。
⇨戦では騎士の時代なんてものは特に終わっていやがるがな。この世の中はまだまだ騎士の時代だってことなのさ。騎士の時代が終わったのは間違いないが、傭兵の時代はまだ来ない。
もはや、騎馬こそ最強と信じることができないかもしれない。だが騎士を中心に作り上げられたこの世の仕組みを崩すわけにはいかない。例え敵を倒したのが弓矢であろうとも戦いを勝利に導いたのは騎士でなければならんのだよ。
⇨もはや騎士道など存在せぬ。先の戦いで騎士道などと言うものはもはやありはしないのだと悟った。あるのは騎士という見てくれの権威だけなのだ。だが世が騎士の時代であることは変わらない。どれほどの愚鈍であろうとも騎士の肩書きさえあれば高潔な人物として振る舞うことが許されるのがこの世の中なのだ。御前が騎士にふさわしい人間かどうかなどもうどうでも良い。私は強くなとお前と戦いたいだけだ。
⇨しみったれた騎士の権威など俺には必要ねえ。どんな相手でも戦い方次第だってことは、お前さんだってもうわかっているはずだぜ。騎士の肩書きなんてなくたってな、俺は俺のやり方で傭兵の時代を作ってやるぜ。
この漫画面白い。
騎兵が傭兵を取り入れるようになることで、戦争のルールも変わり、さらにペストで領主の力が弱まった時代の話。
地位を保証されて、誇りや名誉のために戦えていた時期が終わり、忠誠心ではなく勝って生き延びることが求められるようになった時代。
まさに正社員という制度をまかないきれなくなった現代に通じる感覚だ。
ただ、この時代は、騎士達はりゃくだつか功績を挙げて恩賞を得るしかものを得るみちはなく、逆に傭兵はスポンサーさえ見つかれば、戦場に参加してるだけで報酬がしはらわれる。さてどっちが良いか?
騎士達は勝手に自分たちのルールを設定してその枠内で戦っていたが、それ故に、そのルールに従わない人間に好きなようにやられていく。
傭兵部隊のやりくりを描いているが、なにより
傭兵と騎兵の価値観の違いを丁寧に描いている。
傭兵隊長の戦い方、
騎士団の戦い方、
王の戦い方、全てが違う。
傭兵の小隊レベルでいくら頑張っても王の戦いが間違っていればやられるだけ。
しかも傭兵の価値観は刹那的で利害関係次第。調子が悪くなればすぐに離反される。
二百やそこらの傭兵を維持するのがこれだけ困難な時代に、万単位の兵を率いるには何が必要か。
ちなみにこの戦いにおけるフランスの立場は、元寇を食らった北条家のくのうに近い。
外敵から国を守らなければならないが、勝っても与える領地がない。
制度的なもんだいてんなんだよねこれ。
シャルトル騎士団のリシャール・ペリエはなんだろなこれ。
騎士道と名乗れば何しても許されると思ってる狂人か?