なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ネット弁慶躁状態の反動で現実の自分が落ち込む話

「強気キャラ」「批判(毒舌)キャラ」にかぎらず、ネットで自分と切り離された「ネットキャラ」を作って、その「キャラ」がいくら自己愛充当しても、現実の自分の自己愛は充当されないどころか、「自己の疎外」が起きるということですね。

http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130902/1378051706

自分の中から外に取り出され、生み出されたものが、やがて自分に対立し、自分にとってよそよそしくなること、自分を支配さえしてしまうことを「疎外」という。

単に客観視するだけではない。

 そこに自分の欲望をこめてみたりする。つまり積極的に嘘をまぜてみる。虚構をくぐることで自由になれる。それは必ずしも心を軽くするばかりの作業でもない。

『自分が救われるということはないですけども、ただ、まあ、書いているうちにおもしろくなることはありますね。ずいぶん、ダメなやつだなあ、ダメなやつだなあと思いながら、書いてて、あー、でも、これ、俺のことなんだよなあって、それでがくっと落ち込み、もう、お酒に逃げ、その繰り返しです。いま。』

でも、こういうダウンをふくめて、創作者は何かしらの自由を得る。書くことによって、解放される。

ネットでのキャラ作りは、この疎外に近い。

ネットでキャラを作るのは結構というかコミュニケーションにとってほぼ必要なことになりつつある。特に、急いで有名になりたい、認められたいと思う人には「濃いキャラ付け」が必要になるだろう。

しかし、そのキャラはどこまで自分なのか。そのキャラが一人歩きを始めると、上記のように現実の自分と対立するようになる。

仮に、ネットでの「キャラ付けされた自分」が活躍して、現実が振るわない状態になった時、上手く割り切れるのか。無理にネットでの自分と現実の自分を同一視しようとして壊れてしまわないだろうか。



このことがを受け止めきれないなら、あまり

①ネットで強気な発言を書かないほうがよい(そういうキャラを無理に演じない)
②他人を「理屈をつけて」批判しないほうがよい

と私は思う。

ネットでのキャラの安定感が弱く、現実の地がボロボロ出てきて躁鬱が激しそうなアカウントを見ていると良い意味でも悪い意味でも心がざわざわする。


①についてはこういうこと。
「ネットでのお前ら」と「現実のお前ら」の比較ネタは有名だけれど、ネットでは匿名だとか自分の本当の姿をさらけ出さなくて済むからと自分の現実を誇張したり、ネット弁慶かまして、文句を言われたらそれを持って、「読者にトラップを仕掛けた」「情報の非対称性ガー」とごまかし続けていれば、いずれどこかで「取り立て」が来る。その時までに、ネットでの言動に見合うように自分を鍛えて置かなければ、自分の言葉を自分で支えきれなくなる。ほかならぬ自分の言葉がブーメランになって、自分の言葉に殺される

もちろん、「Fake it, until you make it!」みたいなマッチョ系自己啓発にチャレンジしてみたいなら止めはしない。強気な発言をして、その自分の強気な発言を多少無理してでも実践し続けていれば、いずれそれが本物になる。ワタミの強さはここにある。(ついていけないヒトがボロボロになって壊れてしまうけどね)こういう自己ストレッチは、ネットではなくて現実で、他の人の監視がある状況で、筋トレのように地道に小刻みに続けていくべきだろう。


②①とほとんど同じだが少し違う。こちらのほうがよりクリティカル。

「感情的に気に入らない」ことに対して、変に理屈をつけて批判すると、ただの強気発言よりさらに高い確率で自分にブーメランになってかえってくる。

この原因は、自分を理解するためのスキーマを使って他人の投稿を読むために起こっているものだと考えられる。「こんなことを言うのは、こういう背景があるからだろう」という推測、つまり行間を読むのは、自分のスキーマをベースに考えているわけだ。「自分がこんなことを言うのは、こういう場面でだけだから…」というわけである。

http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20120816/p1

こういった傾向はトンデモさんに限った話ではない。他者理解を伴わない(つまり、議論相手用のスキーマを形成する努力をしない)批判をするのならば、懐疑論者だってそうなる

もともと人は自分語りをした上で、「自分に当てはまる言葉で他人を批判し」しやすい。 さらに、ネットで強気発言をする人は、自分を偽っているか正しく認識できていないため、こういった発言を無意識に繰り返す。

結果として、自分で自分にボディーブローを繰り返し続けるという結果になる。ある段階でそのダメージに気づくか、そのダメージを避けるために、自分の弱い点を見なかったことにする、否定するといった処理をしなければいけなくなる。どちらにしても、大ダメージは避けられない。

おまけ 「いいね!時代の繋がり」

これについてシロクマさんの下記の本はこのように書いている。


<「現実からの避難港」としてネットサービスを活用するなら>
どのネットサービスを使うのであれ、「現実からの避難港」としてのインターネットは、「ネットはネット」と割りきって入れ込みすぎず、自己愛充当の副次的手段に位置づけたほうがよさそうです。

他にも前作で(躁状態うつ状態とは書いていなかったけれど)「体調が平時でない時にはあまりネットに書き込みをすべきではない」、と書かれていたり、いろいろネットユースについて具体的に考えられています。だいたい私からしたら常識なのですが、「それが常識でなくなりつつある」ことがのがちょっと怖いな、と思いました。

ちなみに、この本で面白かったのは、これからの若い世代のネットユースのあり方についての考察。 一般的な「規制」色の強い意見に反して、積極的に肯定していくというか必要性を強調する一方で、教育の必要性および、それについての私達世代の責任について言及されており、このあたりだけでも読んでもらいたいなーと思います。



蛇足。そういえば、「おやすみプンプン」ってもう連載おわった?終わってたら「敷居の住人」と合わせて読みたい。