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歴史マンガはいい文明

「風雲児たち」から初めていろんな歴史マンガを読みます。オススメの歴史漫画あれば教えてください

風雲児たち幕末編24巻 「万延小判」による超インフレ(物価3倍)とヒュースケン暗殺による日本の危機

風雲児たち 歴史マンガ

この巻はとにかく「万延小判」による超インフレと、ヒュースケン暗殺による一触即発の危機が重大事件。なぜヒューストンが暗殺されたのか。そして、その際にアメリカはなぜ日本を攻撃してこなかったのか、などは理解しておきたいですね。
この当時「攘夷」の精神がなぜこれほど強まっていたのかを「尊王」との関係を意識しながら読むのも大事だと思います。ヒューストン殺害事件はそういう意味で結構複雑。

最後の「ポサドニッック号事件」は久坂玄瑞が登場するのでこれも見逃してはいけないやつ。対馬という土地については「アンゴルモア」なんかを読みながら考えたいですね。


なぜここまで攘夷気分が強くなってしまったのか。

もちろん水戸学やら日本外史などの影響はあるが、これはあくまで一部の武士に限った話である。

①幕府の態度が曖昧すぎた。どこまでが建前か本音なのかがわからず、建前では朝廷の意に沿って、「将来的には夷狄を追い出し鎖国にする」という話になっていた。(孝明天皇とか間部詮勝が悪い?)

②この状態で、よく知らされずに横浜は開港され、敵であるはずの西洋人は江戸を闊歩し、さらにある日突然物価が三倍になった。

③さらに外国との貿易の利益はすべて幕府が独占しており、民衆に恩恵がなかった。

→こういう事情があったからこそ、井伊直弼が力づくで押さえ込もうとしたのが「安政の大獄」であったが、力づくで押さえつけてしかも井伊直弼が死んだことでますます怒りがエスカレートし、そこに物価上昇による生活苦が襲い掛かってきたのだから民衆は怒るに決まってる。


格差が広がり、愚昧かつ貧困に苦しむ大衆が増えると、国家は必ず余計に鎖国主義に走ってしまう。それは歴史の繰り返しである

今も学がない人間を中心にしてネトウヨがはびこっている。アメリカではすでにそういう層に支持されたトランプ政権が勝ち、そして鎖国に近いことを言い出している。

これは仕方がないのだ。学がない人間にリベラルが理解できるはずもないし、まして外国のことを理解できるはずもない。無学な人間は、自分より弱い人間を虐げて、上の人間には面従腹背するしかできないのだ。

自分で考えるだけの教養がないとはそういうことである。わたしだって官僚のかたがたや商社としてグローバルに世界を見れる人と比べたら学が乏しく、何も見えてないのと同じであろう。





水戸藩士の最期 「高橋多一郎(自刃)」「金子孫二郎(死刑)」「関鉄之介(逃亡)」「岡部三十郎」&薩摩の「有村兄弟」

桜田門外の変井伊直弼を殺害したのは水戸藩士と薩摩の混成チームである。もちろん井伊直弼を殺害するだけでなく、この人達は攘夷であったから、それに乗じて横浜公使館焼き討ちや、禁裏制圧までもくろんでいた。

井伊直弼の政敵弾圧は不当なものでありであったが、開国派という点だけは正解であり、井伊直弼を討ったものたちも、不当な弾圧をストップさせたという点では正義であったが攘夷のゴリ押しは明らかに間違いであった。こういう交錯した状態であった。

水戸藩士たちの桜田門外の変はあくまでテロの形であったため、水戸藩からも鳥取藩からも薩摩藩からも切り捨てられた。


そして安政の大獄を引き起こす元凶であった密勅事件を引き起こした「水戸斉昭」は、桜田門外の変の数カ月後にあっさりと病死。


「ナイアガラ号」船員の怒り

日本使節は、アメリカで国賓扱いの歓迎をうけたのに、日本はその使節を送り届けてきた人たちを冷遇した

君たちの怒りと失望はよくわかる。
我々とて彼らの無礼な仕打ちに5年近く耐えてきたのだ。

政府自体は協力的になったが、政府最高指導者が殺されてしまったのだ。

攘夷と言うなの浪人がゴロゴロしている国だ。
諸君が無事帰国できることを祈る次第だ。

何があっても我慢するように。一つ間違えば殺されるからね。

日本政府に悪気はない。ただ、治安が乱れているだけだ。

国際社会のルールが飲み込めず、不手際は多いが、
どうか腹を立てずに温かい目で見てやってくれたまえ。

日本人は我々を騙したのです!!せいぜいが三流・四流の役人たちを国賓扱いして、莫大な予算を使って連日繰り広げたダンスパーティーは何だったのでありましょう
そして我々に対しても、一日も早く全員帰れと言っているのである。帰りも一発の礼砲もなし。この国のことは二度と話題にしたくない。アメリカの皆さん。これがはるばる親善使節を送り届けたナイアガラ号に対する日本の仕打ちです。

日本は日本で、攘夷勢を刺激したくなかったという気持ちはよくわかるものの、
あまりにも礼儀を欠いた行為であり、それや怒るわよねと。


万延元年 恐れれいたインフレの嵐に見舞われた

天保小判→万延小判に変更。金の含有量を3分の1に減少させた。
これにより超インフレが起こり、庶民の生活はどん底に。

→幕府への怒りと攘夷に拍車をかける。

張本人のハリスは、後ろめたさから日本贔屓になったと言われるが、
まぁこの人が日本にもたらした実害は、あまりにも大きすぎるよねと。

幕末の通貨問題 - Wikipedia

外国人商人が1ドル銀貨をまず一分銀3枚に交換し、両替商に持ち込んで4枚を小判に両替して、国外に持ち出し地金として売却すれば莫大な利益が得られることとなった。地金としての1両は4ドルに相当する。

従って、

1ドル(メキシコドル)
→3分(一分銀)
→0.75両(天保小判)
→3ドル(20ドル金貨)と

両替を行うだけで利益を上げることができた。実際には、開港直前の1859年6月25日(安政6年5月25日)の触書の中でその当時小判として最も多く流通していた天保小判は一分銀5枚の増歩通用とされ、さらに市場においては小判1枚との交換に対し一分銀6枚と増歩を要求される状況で、さらに9月ごろには8枚から9枚と跳ね上がった[5]。

それでも一年間にこのような両替を5~6サイクル程繰り返し、利益を上げることが可能であったという。結果、大量の金(小判)が海外に流出することになる。ハリス自身もこの両替によって私財を増やしたことを、日記に記している。

このときの被害総額がいくらであったかは誰も把握してないのかね……。


おそらくもっとも詳しい研究がこのPDF。

http://tozenzi.cside.com/tuuka-kosyo.html
http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2015/pdf/no10_03.pdf

この幕末の金貨流出額については,明治23(1890)年の阪谷芳郎の1億円(2,000万両)説から明治45(1912)年の山崎覚次郎の1万両説まで,「極端なひらきがあって,正確なところはわからない(三上(1991,p.181)」,「総額については必ずしも定説をもたない(山本(1994),p.77)」のである2)。しかも,多くの場合,経済学的根拠をまったく示すことなく,単なる推量を述べるにとどまっている

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イネと村田蔵六大村益次郎)の恋???

鳩居堂」という私塾をやってたのね。


1860年11月 家茂と和宮との間の婚姻発表

プロイセン連邦との間に通商条約。

箱館奉行「堀利煕」が調印に立ち会うも、差し戻しになり自刃。
外国奉行小栗忠順に。プロシアとの交渉は村垣が担当。

これまでの条約はすべて「日本と外国」ではなく「徳川幕府のみ」と「外国」との条約になっていた。つまり、利権は全て幕府が独占する形になっていた。→「外国との不利益は地方持ち、利益だけは幕府」というこの状態で攘夷j気分が起きない訳がない。(薩摩などは密貿易を行っており、1867年次点で、パリ万博に「薩摩琉球国」という独立国として参加していた。)


米国政府通訳官「ヒュースケン」の暗殺 犯人は薩摩藩士。

桜田門外の変移行、水戸藩士過激派が薩摩藩邸に押しかけ、攘夷のために行動するようせっついていたため、妥協的に犯行に及んだ可能性もある。

ヒュースケンは親日派であり、むしろ殺すべきではない存在だったはずだが、そういう知恵も働かないというか、実際そんなのわからなかっただろう。

犯行に及んだとされるのは山岡鉄舟清河八郎が関与していたと言われる「虎尾の会」のメンバー。 山岡は倒幕の意思がないが攘夷気分。このように、「佐幕なのに攘夷」の人間がこの当時山のようにいた。むしろ幕府は開国側に経っていたというのが皮肉である。


普通だったらここで日本はアメリカから宣戦布告されてもおかしくないほどの危機だったがたまたまタイミングに助けられた

独身で、我が子と呼ぶほどに親しかったヒュースケンを殺されてもハリスは親日派の姿勢を崩さなかった。

ほころびを繕い続けるのが外交官であり、公使のしごとだ。我々からほころびを広げるようなまでは決してスべきではない。

また、アメリカもリンカーンが当選し、南北戦争に突入する直前だったため日本にかまっている余裕はなく、厳重講義にとどまった。


アメリカに占拠されていた小笠原諸島を日本領土として確定させる

正式に日本領土として認定されたのは明治9年だけれど、実効支配はもっと前からやってたのね。

この時も中浜万次郎が活躍。



予定通り「万延」は1年で終わり、「文久」に元号が改められる

いよいよ幕府はピンチになる。

①諸物価が高騰したため、幕府は江戸市民に配給制度を開始。
 そのくらい生活苦に陥るものが多かった。


②外国人襲撃のニュースが頻発。


③江戸の外ではヤクザものの抗争が頻発。次郎長一家が勢力を拡大。



ロシア舟 ポサドニック号事件

対馬はイギリスとロシアが土地争いをしている場所。
ロシアの「ビリレフ」が対馬の実効支配を狙って土地を占拠しはじめる。

ロシア公使ムラヴィヨフは帰国中。
総領事ゴシケーヴィチとの交渉に入る。

その途中でロシア兵により土地の住人が殺害されるなどの事件も起きる。

今後のことについては長い話し合いになる。
しかし、今日中に話しをツケねばならぬことが一つだけある。
二度と領民に危害を加えぬことを約束させることだ。

宗家が対馬を収められれぬと言うなら、
ここは幕府直轄の天領になる可能性が高い。
ならば、あの島の住人達はすべて我が幕府徳川家の領民ということになる。
我らは海の彼方の他藩の民を守るのではなく、
徳川の民を守るのだという意思で取り組まねばならぬ