なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「ハラスメントに対する嫌悪」の感覚を共有するのは難しい

http://anond.hatelabo.jp/20130528013920
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130528013920

あれれ、私結構この感覚はわかるなーって思ったのだけど、なんかほとんどの人が感覚そのものを認めないという反応でちょっと怖い。 

私は元増田の行為が適切であったといいたいわけではないのだけれど、感覚自体はわかる気がする。彼女が相手に求めてることが過度な要求だとあんまり思わない。本当にこの感覚がつらいってのはなんとなく共感できる気がする。

ので、自分なりにちょっと説明してみる。


ハラスメントで最も凶悪なのは「自分の感覚を裏切ることを強制されること」


今丁度「ハラスメントは連鎖する」って本を読んでるわけだけれど、この本はまず冒頭で、あるべきコミュニケーションの「生成過程」にバグが生じた状態をハラスメントと呼ぶとしてる。 増田が言ってるのはこのハラスメントに近いと思うんだよね。

具体的にはコミュニケーションの生成過程においては学習(お互いが相手のコンテクストについて認識をVerUpしていくこと)が必要になるわけだけれど、片方あるいは両方の学習が中断したり、ズレたり、学習するフリをしたりなどで狂ってしまい「安定したコミュニケーションが何時まで経っても成立させられない」ということになる。


こうして「コミュニケーションを求めながら、それが決して成立しないこと」というのはそれ自体苦しいことだろう。しかし、ハラスメントはその先にある。コミュニケーションが成立していないのに「一方的に相手の文脈によって」成立したことにされてしまう。この際に、自分が思っていないことを思ったことにされてしまう。自分の感覚を裏切ることを強要されるこれがハラスメントなのだそうだ。


そして、ハラスメントは多くの場合、無自覚に行われる。というより、ハラスメントはやはり受け手の問題なのである。 どうしようもなく自分の感覚を無視され、あまつさえ、一方的にそれを規定される。ここに苦しみが生じる。コミュニケーションの成立条件が満たされないところに根本的な問題がある。コミュニケーションが受け手の問題であるように。 ハラスメントといっても話し手は必ずしも嫌がらせのつもりで行なっているわけではない。むしろその逆の場合が多い。 ただ学習が不十分であったり、学習する契機を持たないだけである。



このことに無自覚だと、時に相手は悪気なくハラスメントを行うし、時には「愛情から」「理解したい」という思いからこのハラスメントを強化していく。 しかし、やられてる方は溜まったものではない。 相手が目上だったり、敬愛する人物であったりすると真綿で首を締められていくような感じになる人は少なくないと思う。 ネットでもさんざんこういうコミュニケーションの苦しさについていくつもホッテントリを見てきたのだけれど、なぜこの増田に関しては否定的な論調が多いのかわたしにはよくわからない。




もちろんこういう状態でも、離れられる他人なら離れればいい。



しかしこのコミュニケーションの生成過程において学習を拒否しつつもコミュニケーションを押し付けてくる相手が父親だったり、上司だったり、配偶者だったり、サークルの一員だったりした場合逃げられないのである。コミュニケーションの成立そのものに失敗し続ける関係を継続し続けるのはかなり苦痛だと思う。 ループする物語において、ひたすらバッドエンド、バッドコミュニケーションのイベントのみを強制的にエンドレスエイトサれるようなものだ。 



ハラスメントの第一段階。 コミュニケーションについて 「一方だけが学習の努力を続けることを要求サれ続けるこの非対称の関係が継続することでやがて疲労困憊し、茫然自失の状態に陥る。それは自尊心の喪失につながり、学習過程をうまく作動させられなくなる」

ハラスメントの第二段階。 「こうなった時にBは、Aに対して、自分にだけ都合の良いメッセージを送り込む。それはお前は私の言うことだけ聞いていれば良いのだ」という趣旨のものである。 これによってAは呪縛を受ける。

ハラスメントの成立条件。 「この呪縛が成立する上で、重要な条件は、AがBとの関係から離脱できないと思い込んでいること」と「自分自身の感覚を裏切り、相手の学習しているフリを本当の学習だと信じた時」の2つ。 その場を離脱することに罪悪感を覚え始めたら地獄がスタートする。

元増田は、このようなハラスメントの図式にハマった人の感覚を言葉が拙いながらも率直に書いており、その過程で自らの言動もおかしくなっているっぽいなーと思いながら読んだ。「ESP求めるわがまま人間」ってことになるのかな。



どこかで諦めというか寛容さは必要になるよね

そして、この学習が完全になることはないから、コミュニケーションは常にハラスメントの危険を抱えているし、学習の契機を提供するべき受け手にも、学習を継続すべき発し手にも常に責任が生じる。あんまり考えすぎるとコミュニケーションは、しんどすぎてやってらんねーってことになる。「今この場で」完全なコミュニケーションを求めることを諦める断念というか寛容さはどこかで必要になることは言うまでもない。そうじゃないとゼロトレランスで常にハラスメントを意識したギスギスした状態になってしまう。「お前は俺の嫁か!」みたいな関係ばっかだとしんどいよね。


だからコミュニケーションは成立しなくてもしょうがない、たまに分かり合えたら嬉しい、くらいに思っておいたほうがいい。


元増田の苦悩は、相手側が「コミュニケーションを無理やり成立させようとする」ところに端を発しているといえる。元増田としては、わからないならわからないでいいし、嫌いなら嫌いで良いのではないか。ただ、「自分が発していない意見を勝手に自分のものにされたくない」ということが言いたいのだと思われる。それを、相手側は良かれと思ってか、自分が不理解な人間だと思われるのがイヤなのかはしらないが、「むりやりわかろうとしてしまう結果、自分のものさしを相手に押し付けることになる」ことが問題なのだ。



友達とか親とか上司でも、そういう「わからなきゃいけない」みたいなところが、かえって無理を生じて、相手の意思の抑圧・ハラスメントにつながっているような気がする。なんでそんなに無理にわかろうとするんだろう。お前らそんなに無理しなくてもいいだろって気分になる。

どうせ、相手の考えてることなんかほとんどわからないんだ、なんとなくわかったふりをしながら付き合っていくしか無いんだ、くらいに考えないと私は人と付き合うことがしんどくて仕方ない。




◆関連記事
http://d.hatena.ne.jp/klim0824/20130527/1369664917

嫌なものをスルーすることにも心の体力(精神力)を使う。0に近いダメージ量の人もいれば、ダメージ量の桁数が多い人もいる

人によってはどうってことないことが、ある人にとっては耐え難い苦痛になることだってあるのだ。スルー出来ないことだってあるのだという話。これもハラスメントに関してどう対処スべきかの一つの考えだと思う。


http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-468.html
「ハラスメント」によって自分自身を見失った人向けの第三世代行動療法に関する書籍の紹介。何冊か読んだけど正直言って難しいし大変。