なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ワールドリジェクター(理想送り)

本人が自分で自分のことをリベラルだと言っているかどうかを確かめるのはすぐできることだが、あえて確かめずに書きます。


少なくとも私はは○こさんをリベラルだと思ってないし、は○こさん本人もそんなことは別に言ってないんじゃないかなぁと思っている。もし本人が言ってるならまじかよ、と思う。(もし本人が言ってるならコレ以降の文は読む必要はありません)



以下は私の勝手な感想だ。*1



そんなわけで「私の感想」であるのだが。



は○こさんはリベラルとしてもポリコレとしても失格だと思っているし、この人自身、リベラルはかくあるべし、みたいなことを特に考えて行動しているわけではないと思う。ポリコレに関しても「他人を殴る棒」くらいにしか認識していないと考えなければ辻褄が合わない。



は○こさん自身は、自分がポリコレを実践しているつもりかもしれないが、ポリコレで他人を批判する彼女の振る舞いがポリコレ的に正しいと思ってる人ってあんまりいないと思う。「彼女にとって都合が良いポリコレをつまみ食いしているだけ」という印象だろう。なんせかなりラディカルにポリコレを主張している結果それが自分に跳ね返ってきているのに、全くそれを認識している様子がないからだ。無敵状態なのである。彼女が何かについて自分の非を認めるという姿を見たことがない。



ぶっちゃけ、彼女の振る舞いは、私の「青○才センサー」をいたく刺激する。この人が何かを声高に批判すればするほど、本人以外からすると「ブーメラン」にしか思えないのだが、本人はその自覚がない。ツッコミ役がいないボケを延々と見させられているような気分になる。この人は、私には「自分をツッコミ役と思ってるボケ」にしか見えないのである



そんな人をリベラルとかポリコレと扱うのは、いくらリベラルやポリコレが嫌いだからと言って、リベラルやポリコレに対して失礼ではないだろうか。




私が彼や彼女たちを嫌悪しつつもどうしても惹かれてしまうというアンビバレンツな状態になっている理由

私は私自身について清廉潔白な人間だと全く思っていないし、極めて悪趣味な人間だと思っているが、私はこういう「自分のことを勘違いしている人」、「自分のことを棚に上げて正論ばかり言ってる姿」みたいなものに心惹かれてしまう。私も多分にそういう要素があって、その上でそれを堂々と表に出せないチキンな人間だからだろう。通じるところがあるから惹かれるし、同時に強烈な嫌悪や嫉妬を覚える。この人達に対する感情はアンビバレントである。



私は自分がブーメランをすることを恐れ、叩かれることを避けたがる小心者だ。小物界の小物だ。救いようがない。一方彼女や青○才さんなどは小物界では大物である。絶対に大成することはないし、現実においてたいした影響力を与えることはないが、それでもネットにおいて全能感を感じることに特化している生き物だ。



彼女や彼を「小物界の大物」足らしめているのは、都合の悪いことは認識しなかったり、すぐ忘れたりなかったことにできてしまうという特異な能力にある。どれだけ矛盾することを言っても自分を正しいと信じ続けることができるという理不尽な脳の構造。(青○才さんに関しては)過去にやまほどセクハラ発言をしていたのに、他人のセクハラに対してしたり顔で批判をできるその厚顔無恥ぶり。軽蔑に値すると思いつつも、その果てしない図太さは、私のような小心者には心底うらやましい



彼女や青○才さんは、その時の自分の主観と客観的な真実の区別をするのが多分極端に苦手だ。これは現実社会で行きていく上においてはかなりのハンデとなるが、逆に言えば、ネットに閉じて生きるにおいては最適化されているといえる。



彼女や彼は(ネットの中では)常に自分は正しい立場でいられるのだ。常に正しいのは自分で、間違っているのは世の中なのである。この全能感たるや半端ないだろう。反動としての「世界への絶望」もあるだろうが、それと引き換えにしても、一度はこの全能感を味わってみたいものだと思う。たぶん麻薬的な快感があるはずだ。 一度味わってしまったら、よほど現実にご褒美がない限りこれを捨てることは難しいであろう。 まさにネットに閉じて生きるために生まれた新人類と言える。彼や彼女たちは、機械に支配される必要もなく、自らの意思で「マトリクス」のような世界に最も近いところまでたどり着いている存在と言える。




彼や彼女は、脳内では自分の理想とする世界を常に作り上げ、そして、そのほころびと常に戦い続けている。現実からの侵食に常に抗い続けている。彼や彼女は、別にリベラルとかポリコレとかそういうものを信じてるわけではない。常に自分の周囲が心地よくないと我慢できないだけなのだ。その上で「適度に何かと戦って自分の世界を守っている」実感がほしいだけだ。


彼や彼女は別に世の中をよくしたいとかそんなことは微塵も考えてない。もしそんなつもりで行動しているとしたら愚者の極みであるが、別にこの人達はそこまでバカではない。現実の社会にとって自分たちの行為が何の意味もないことなど知っている。彼も彼女もそんなことは最初から本当はわかっているし、本当に求めているのはそういうことではない。ただ、自分の視界に収まる程度の小さな小さな世界だけは一点の汚れもなく綺麗であってほしいのだ。自分が誰にも脅かされず、静かで豊かで平和な権利を送る権利があると思っているのだ。そのためなら、他人を脅かしたりすることは許されると信じているだけだ。


最初から自分のためだけにしか行動していない。自分以外の誰のためにもならない、自己満足の戦いだ。自分さえ納得できればよいのだ。徹頭徹尾自己完結している。だから他人には理解できない。周りから見たらバカだしどこにもたどり着かない行為にしか見えない。しかし、どうにもこの馬鹿げた行為にどこまでも真剣なのである。それをずっと続けているうちに、いつかはエミヤシロウのように「固有結界」を発動しうるかもしれない。「アヴァロン」に到達しうるかもしれない。そんな凄みを感じる。



現実においてはごくごく狭く人間関係に閉じ、それ以外の殆どをネットで過ごすなら、むしろ彼女や彼のような機能を特化させたほうが幸せに生きられるのではないだろうか。実際に彼女や彼を支持している人たちは、そういう「あらたなる世界を望むか?」と言われたらはいと答えそうな、現実に倦んでるような人たちが過半であるように見える。悪く言えば現実に敗北している負け犬だが、良く言えば「現実を拒否する勇気がある」人たちだ。



私は残念ながらどうしても現実を捨てられない。現実なんてクソだクソだと思いながらも、どうしてもそこから手を離す勇気がない。ネットに一定以上の比重を傾ける勇気がない。現実の社会に受け入れられたいと思ってしまう。ぶっちゃけネットがどんだけ快適であっても現実がボロボロならそれはカスだと思ってしまう。 どうしても、ネットより現実を優先してしまう。



私のようなチキンからすると、なんて勇気があるんだろうと思う。それはただの蛮勇かもしれない。ただの無知がもたらす愚か者の行為を勇気として錯覚しているだけかもしれない。恐れを知った上でそれでも飛び込むような真の勇気とは程遠いかもしれない。 




ただ、とにかく、羨ましいと思うのだ。私には出来ないことをやってのけているこの人達に強い羨望を感じる。




まぁ、この人達と同じようになりたいとは全く思ってないんだけども。それでも無視できない。




「嫉妬してるんだろ」 そのとおりだ。私は嫉妬している。嫉妬というのは、別にその人間のようになりたいという感情とは関係ないのだと思う。




むしろ「絶対にこんな人間にだけはなりたくない」=「絶対に有り得なかったifを所有する存在」ほど、嫉妬を感じざるを得ない存在はいないのではないだろうか。

*1:根拠がないわけではないが、は○こさんやらべ○んさんみたいな人たちは、それなりに説明しても自分に都合がわるい話はすべて「なかったこと」にした挙句、人格攻撃を返してくる結果に終わった経験から、この人達に説明する気にはならない。この人達以外の読者さんが望むならその人達には改めて説明するかもしれない