なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

恋愛こそ、やりたい人、向いてる人だけがやればいいと思う

先週PTAについて「やりたい人だけやればいいじゃん」みたいな言論が盛んに言われていましたが、私は恋愛こそ「やりたい人だけやればいいじゃん」って声が上がってきてほしいなぁと思います。
「恋愛メリトクラシー」というのが無条件で受け入れられてるのはなんか気持ち悪いなぁと昔から思っているので。

桐生先生は恋愛がわからない。(3) (フラワーコミックス)[Kindle版]

小野ハルカ 小学館 2016-09-26
売り上げランキング : 107596
by ヨメレバ



読みました。

実体験を経て「女は男を見る目がない」「女は醜い」という女性観を持つに至った非モテ男性にとって、恋愛工学が描く利己的で醜悪な女性像は、自らの考えを肯定し正当化してくれる、とても魅力的なものとして映る。女性をモノに(『物』に!)する度に、彼らは女性の醜さを再確認する。「このようなゲスな手口に簡単に引っかかる女は、やはり男を見る目がない、醜悪な生き物なのだ!」と。この行動によって、彼らは自らの「女は醜い、男を見る目がない」というミソジニーに更に確信を深め、正当化させていく。

このあたりとても納得できる内容だと思います。



ちなみに私にとって、恋愛工学生のイメージは以前読んだこの記事ですね。
ネット上で話題の「恋愛工学」がよく分からないので工学生に直接メソッドを聞いてみた - ぐるなびWEBマガジン
この記事に登場する人物は、たしかに上に書いているように女性に対する敬意らしきものは感じられず、アイテムのように扱っていると感じます。あと発言を読んでいて不思議だなと思ったのは「恋愛工学メソッドとの相性」を「自分との相性」を混同していることですかね。

まぁ、メソッドが刺さらない子もいますからね。でも、刺さる子もいるわけで、そういう子の方が自分と相性がいい相手であることは間違いないわけです。

この人にとって、恋愛工学は、オタクにとってのオタクグッズのような「殻」になっているのかもしれません。己の内面をさらけ出さずに「メソッド」(オタクにとってのオタクグッズ)で人と接するというあたりは、根っこの部分で似通ったものを感じさせます。



ミソジニー」だけでは不十分で、「エスタブリッシュメント側」を希求する心が恋愛工学に必要不可欠なのかもしれません

ただ、それだけだと納得できない部分もあります。

私は最近まで某アニメアイコンの人をずっとウォッチしてきました。この人はミソジニー発言が有名な人で、まさにこの引用部分そのものの発言をtwitter上で繰り返していました。その上で己がミソジニーであることはきっぱりと否定しており、「ミソジニーな人は、己の女性嫌悪を正当化しようとする」という部分も上の指摘に通じるものがありますね。

しかし、この人物は恋愛工学生に食われるような女を憎悪しておりながらも、恋愛工学そのものは否定しています。つまりミソジニーだから恋愛工学にハマる、というほど単純ではないようです。ミソジニーを抱えつつも「恋愛工学にハマるような人間だと思われたくない」という面倒くさい人の存在、あるいは女性フォビア、恋愛フォビアの人たちなどの存在も考えると、ことは本当に面倒くさいなと思います。ちなみにこの方を見ていると「学歴批判」「社畜批判」の他、トランプが指示されるのは当たり前というような発言を繰り返しています。つまり一貫して「反エスタブリッシュメント」なんですよね。こういう人たちは、「努力すれば自分が女性の上に建てる」という考え自体を持てないのかもしれません。単に「女性に虐げられている」「これまでもこれからも学歴のいいやつに虐げられ続ける」「会社員になってるだけで偉そうな顔をされてツライ」そういうところでぐるぐる回っているだけの人は、どれだけミソジニーを持っていても恋愛工学にすら希望を持てないということかもしれません。

一方、タラレバ娘たちも、上のぐるなびの記事の印象では「恋愛工学」を取り入れる人たちも、倫理的側面はともかく、非常に勉強熱心であり向上心が高い。「自分が優れた異性を手に入れる能力や資質がある」という点については何の疑問も持っていない感じです。このあたりの違いは結構大事かなと思います。



恋愛に向いていない人間は、恋愛メリトクラシーの世界の外側に出たほうが良いと思う

それにしても、これ見てると、「とある科学の超電磁砲」のレベルアッパー編思い出しますね。「超能力のレベルに寄って扱いが全く変わり、無能力者は人間として扱われない」そういう世界観。この中で、無能力者たちが、違法だと分かっていて、効果の怪しい「レベルアッパー」に手を出し、そして、そのうちの何人かは、能力を手に入れた瞬間復讐として自分を虐げていた人たちに報復を行っていました。

恋愛が苦手な人にとって、恋愛の勝ち負けよって人の価値を語りたがる人たちの世界は同じように見えているのかもしれません。

f:id:possesioncdp:20170204145431p:plain
(失格人間ハイジ29話より)

こういう世界観を持ってたらそりゃ、何を持ってしてもレベルを上げる方法が欲しくなるよね。「恋愛工学」みたいなものが「レベルアッパー」に見えてしまうかもしれない。自分のことだけで手一杯だから、恋愛が相手あってのものみたいなことを考える余裕なんて無いでしょう。ミソジニーとか復讐云々というより、「とにかくレベルを上げてバカにされたくない」「一方的にやられっぱなしは嫌だ」くらいの感覚何じゃないかなと思います

被害者意識が強い人達の中には、それを手に入れたらその力を使って復讐したくなる人間が一定数現れるのは仕方ないとして、根っこの部分は「とにかく今の苦しみから解放されたい」っていう切実なものがあるんじゃないかなあ。


なので、上の記事は納得できる部分もあるんだけれど「自傷的」「ミソジニー」的な人たちばかりでもなくて、(彼らの中では)前向きな要素もちゃんと拾ってあげたほうがいいかもしれないなとは思いました。そこまで認めてあげないと「方向性が間違ってる」という話に耳を傾けてくれるものではないかなあと。



まぁ、そもそもを言えば、彼らの「恋愛のスキルによって人間としての価値が決まる」という世界観自体が壊れてるとしか思えないので、私はそこまで苦しいなら、向いてないなら、恋愛なんて気にしなきゃいいじゃんってついいいたくなってしまうのですが……この発言も恋愛工学にはまってるような人たちに言ったら追い詰めてしまうだけなので言ってはいけないやつですが。



まーとにかく。恋愛の歴史を遡ってみたら、恋愛なんざ明治以降の話であるし、まして「一般人」が恋愛結婚だーなんていうのは高度経済成長に入って以降の話なので、恋愛できなきゃ人にあらず、なんて考えはそんなに深刻に受け止めないのが一番だと私は思うんですよね。

ハイパー・メリトクラシー - Wikipedia

「対人スキル」が評価されまくり、その中で特に「恋愛」が過剰に評価され続けてきた時代ですが、こんだけ経済冷え込んできたら、もう一部の人達の趣向になっていくことでしょう。

やりたい人はやればいいし、やりたくない人はやらないでいい。恋愛せねばならぬと人を追い詰めるようなことはやめましょうって感じですかね。


余談ですが
はあちゅうからホリエモンまで!藤沢数希の「恋愛工学」重要対談まとめ | SARAS [サラス]

藤沢さんは恋愛工学に関していろんな人と対談されているようですがメンツが……

1.ホリエモン
2.元ライブドア取締役・熊谷史人
3.レオス・キャピタルワークスCIO・藤野英人
4.LINE株式会社・上級執行役員 田端信太郎氏
5.AV監督・二村ヒトシ
6.元フジテレビアナウンサー・長谷川豊さん
7.はあちゅう

こんなん卑怯すぎるでしょ……メンツみただけで絶対笑ってまうやん。