なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

増田の話

http://amamako.hateblo.jp/entry/2014/07/06/200543
あー。私も増田に救われた(かどうかわからんけれど増田であれこれ書きまくった)人間なので、これは否定しにくい。 ルサンチマン発言すること自体は否定しない。 そのかわり自分の発言に対する批判や逆風とはちゃんとぶつかってほしいよね。



ルサンチマンを吐く事自体はいい。 自分の中に留めてるだけじゃなくて、表に出して、さらけ出して、みんなに見せてもいい。 そしたらいろんな人がいろんなかたちでそれを弄ってくれる。 いじり方を見せてくれる。表に出したルサンチマンに対するいじり方は、必ずしも自分が望んでるようなものではないというかほとんどは気に入らないものばかり。 あと、ついでに表に出した代償として自分自身も散々DISられる。 でもそのくらいの対価は払わないとなー。 他人を不快にさせるんだから。


それでも、自分一人で大事に抱え込んでたら、立ち向かうことができないというか、立ち向かえると思いさえできなかったことを吐き出せて、自分が気にいるかどうかはともかくとして他人がどうやって扱うかを見ることも出来る、うまくやれば、みんなで立ち向かう感覚さえ得られるとか考えるといいかも



強い人間は「自分一人で憎悪を抱え込んで、自分一人で立ち向かって、自分一人で消化する」を一人でやればいいけれど、私はそれができなかった。 はっきり言ってメンタルが弱すぎて抱え込むとかできなかった。そのくせ表に出すこともできなくて自分自身の憎悪で自家中毒に陥って死にかけた。憎悪に対しては①自覚する ②表に出す・表現することで自分と一旦切り離す ③その上で立ち向かい方や消化する方法を学ぶ ④うまく付き合えるようになる あたりがひつようなのだと思うけれど、私の場合自分一人では絶対出来ないし、なかなかそういうきっかけや場がなかった。という私にとっては増田って非常に貴重な場で。 あそこでひたすら思ってることを書きまくってたらいつの間にか結構心が楽になって、そこからちょっとずついろいろ落ち着いて考えられるようになったり本読んだり人と話が出来るようになったりとなったので増田ほんとにありがとう。




後から他人ごととして振り返ると、自分の問題は、「増田で愚痴を書いてるだけで解決するような軽い問題」なのであって、単に一時的な自家中毒起こしてただけ。 それでも当時は死ぬほど辛かった。 必要だったのは落ち込む一方の流れをちょっとだけ変えるきっかけとか場だったと思う。ほんとに人間ってサイクルが大事だと思う。 駄目なサイクル陥るとひたすら気分が落ち込んでいくので。 ひょんなきっかけで一歩抜け出せば楽になるけど、その余裕を確保するのがすごい難しいよなーと。そのあたりの、周りから見たらどってこない小さな問題だけど、本人にとっては切実な問題の苦しさと、そこからの脱却を描いてくれてる作品として「戸田誠二」さんの作品が私はほんとにめっちゃくちゃ好きです。




ちなみに私が最初に増田で書いた記事は、秋葉原通り魔殺人事件についてでした。最初に書いた記事がいきなりホッテントリなってすごかった。結構優しいコメントもあって、そのブコメ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2008/04/10_d02a.html
紹介された。 買ってみて読んだら、それだけで簡単に鬱屈が少し収まって、考える余裕ができるようになって、そしたら、ちょっとずつ楽になった。私の抱えてた悩みって、ホントのその程度の軽い話だった。 


あとこの時のブコメ振り返ってみると
「俺は君の言葉に共感はできる。が、それは多分俺が君と立ち位置が近いからというだけ。
 君はもっと向こう岸まで届く言葉で書いててみるべき」みたいなコメントあってキュンキュンした