権利を果たしたら認めて「あげる」という考えは危うい
何度か注意したけれど、全然問題を理解してくれてないようなので記事にまとめておきます。
もっとも、私も昔勘違いしてやらかしたことあるので、あんまり偉そうなことは言えないんだけれども。
本女の学生が関わってることを本女が認める形になったことで、本女が完全に「被害者」という位置づけで事件をちゃんと調べるように動き始めたこと。…これはこの泥酔事件を大きく動かす。どうしてもこの手の事件は女性の加害者が存在して、女性の被害者を封殺する傾向にあるから女性が名乗らな解決せん
— 三沢文也 (@tm2501) 2014, 6月 26
本女の女の子が名乗りでてくれたので、僕はもう今からは本女の女の子については「辛かったね。よく言ってくれたね。がんばったね」というスタンスで行きます。と言うより、さすがに僕だってそういうふうにしてるほうが気持ちが楽なので引き続きそうさせてください。だから、やるべきことをして続けて
— 三沢文也 (@tm2501) 2014, 6月 26
ああ、もうここで本女の女の子達がちゃんと戦ってくれるなら僕も普通の人と同じ目線で「明大のクライス」という言い方で叩ける。この日を正直待ってた。女の子が泣き寝入りするケースが多くて発覚が遅れたことをスーフリ事件で読んでから、「泣き寝入りさせたらダメだ」と思ってやって来たが…実った
— 三沢文也 (@tm2501) 2014, 6月 26
この件に関して彼はやたらとひどいツイートたくさんしてるけどさすがに自分のブログに載せるのは躊躇するし、別に注意が目的で晒すことが目的じゃないので一番まともなやつを引用しておきます
あのね、青二才。ちゃうねん・・・こういう考え方したらあかんねん。
青二才にもわかりやすいように青二才に関係する領域で例文を作ってみました。青二才と話してると、家庭教師やってた時のことを思い出します。教えているときは「はい、わかりました!」って元気な返事をしてくれるけど、練習問題解かせたら全くできない、実は全然理解してない。これナンデだろうと思ってたんですが、どうも「理解すべきポイントが理解できてない。何を教えてもらっているのかがそもそもつかめてない」「独自のスキームでわかったつもりになってしまう」からなんだな、ということがなんとなくわかってきました。
・「再就職活動をしている人間だけを失業者として認めてやる。あとは人間以下の屑ニート」
・「精神疾患にかかっているなら、その治療に専念しているやつだけを精神疾患にかかっているとして同情してやる。深夜過ぎにブログを書いてる奴は自業自得だから同情に値しない」
・「無駄な金を一円も使わず慎ましく頭を下げて暮らしてる限りにおいて生活保護者として認めてやる。働かずにお金をもらってるくせに贅沢言う生活保護者は叩いてもよい」
・「性的被害者としてやるべきことをやったら被害者として認めてやる。そうじゃないやつは性的被害者のつとめをはたしてない。他に被害にあってる人たちが可愛そうだと思わないのか」
・「在日外国人としてあるべき振る舞いをしている限りにおいて存在するのを認めてやる。そうじゃないやつは・・・」
他にも童貞がどうとか、ニワカがどうとか、Fラン大がどうとか問題の本質を理解してない奴はとか、ほんと色々色々。
こういう言説、非常に多く見かけるわけですよ。で、これらの背景には以下の様な思考が働いていると思うわけです。
ハラスメント的思考
・「義務を果たさずして権利を主張する奴は許せない。不公正である。不公正であるから叩いて良い」(権利と義務についての根本的な理解の謝り)
・社会の問題と個人の問題を区別できない。構造的問題と個人の問題が区別できない。事故や不運と自己責任の区別がつかない。他人のことはすべて自己責任だろ?自分のことはなんもかんも政治や会社が悪いけど。(自己責任教)
・自分が同情・共感できるかどうかが大事であって、事実とかどうでもいい。同情できない人はたとえ正しかったとしても、本来論じるべき論点も理解できてないけどとりあえず叩いとく(「言いたいことはわかるがお前のことが気に入らない」)
・よりかわいそうな人がいたら、相対的に恵まれている人は我慢スべきだ(「アフリカの子供がー」「宇宙野壮大さと比べれば」論法)
・私の正義感や好奇心、完全勝利を満たすために、犠牲はつきものである。そもそも他人だからどうでもいい(バズワードでいうところの「正義の人」)
これ、ものすごく自己中心的で、かつ他人に厳しすぎる考え方だと思いませんか?みんながこういう考え方をもって他人と接すると、ものすごく生きていくのしんどい社会になると思いませんか?百歩譲って、こういう考え方を持つのはいいとして、それなら、この厳しい考え方の刃が自分に戻ってきた時、文句言わずにおれるんですか?
ハラッシーハラッサー問題
残念なことに、こういう考え方は結構つよくて、それにさらされ続けた結果、この考え方によって深く傷ついた人こそ、この考え方を内面化してしまうことが結構あるみたいですね。「俺は、こういうひどいめにあったのに。しかもボロボロにされたのに同情もしてもらえず惨めな思いをしてるのに。なんであいつは同情してもらえるんだ。俺と同じつらさを味わえ。(そうすれば俺のつらさもわかるはず)」みたいな考え方になってしまう。まるでTウイルスが感染してゾンビが増殖していくかのように。
こういう感じでつらい目にあった結果、その自分を傷つけたひどい考えを内面化してしまい、ついに他人にふるうようになってしまった人を「ハラッシーハラッサー」といいます。この人達は、「ハラッサー」よりも過激に他者に対してハラスメント的言動を行うケースがあります。青二才は、このハラッシーハラッサー的言動が非常に多いです。ブラック企業から抜け出た後でも、その呪縛から逃れられないのかもしれません。そういう意味で彼も被害者の一人です。 だから、それ以外の部分で彼がいかにクズな言動をとっていようが、彼よりつらい境遇の人がやまほどいようが、彼の「つらい」は尊重すべきだと思います。
ハラッシーハラッサーから脱却したい
ところで私は人のことをかわいそうと思えるほど自分はハラスメントから自由かというと全然そんなことはなく。最近まで過労で体ぶっ壊れて入院してました。 あとブログを観てもらえば分かる通り、私自身、かなりハラッシーハラッサー的側面が強いと思うので、このあたり少しでも改善していきたいとは思っています。このあたりの問題意識から、今「嫌われる勇気」を読んだりしてます。
ハラッシーハラッサーから抜け出すには、「学習の再開」による「対人意識のアップデート」が必須です。
ただそのためには「自分の思考を疑う」という作業がひつようになります。これめちゃくちゃつらい。「自分の思考は、誰かの影響によるもので、本来の自分はこういう考え方をしたくないのかもしれない」「過去のことはさておいて、これからの自分はどう考えれば幸せになれるのか」「本当に人は自分が思うように自分をいじめる人ばかりなのか」そんなことを考えていく必要があるのです。 考えただけでも辛いけれど、「癒える力」はそこからしか生まれないのかもしれません。
で、「自分を疑う」「自分の考えをアップデートする」という作業は、一人ではなかなかムリだと思います。だからこそカウンセラーとか友人の存在が必要になるのだと思います。 そういうことを考えると、ツイッターで「自分の考えを強化する」方向にばかり言ってて、まずいなーと思ったり思わなかったり。青二才にちょっかい出すのも絶対「自分が正しい」と思ってるから、ってところあると思うんだよな。とにかく私がおかしな事言ってたらどんどんツッコミください。