ミーハー(浮動層)こそが裾野を広げる
記事再掲。元記事タイトルは<老害音ゲーマーだけど青二才さんの音ゲー記事は素晴らしいと思った>です。
http://tm2501.hatenablog.com/entry/2014/05/12/065912
いい記事を読ませてもらった。
知識不足や経験の低さが弱点にならずむしろ武器になる瞬間を見た。
TM2501さんはぜひこの路線を継続して欲しい。
私はこのゲームをやったことがあるが、大して素晴らしいと思わなかった。
一方、TM2501さんはこのゲームに感動し、心から賞賛する記事を書くことができた。
この差は大きい。
音ゲーマーとして老害化していた私の視野の狭さ
TM2501さんの記事の良さを際だたせるためにあえて老害っぽいことを書いてみる。
このゲームは、いわゆるゲーセンでゲームをやっているような
「音ゲーマー」からしたらそんなに面白くない!(※)
※実際の音ゲーマーの方々は
若いプレイヤーも多いし、そのためか極めて柔軟な思考をされる人ばかりです。
これまた「あえて」老害的な視点だとこう考える、ということを提示してみる。
私が比較対象としたのは、こういうゲーム。
ttp://meganekozo.blog52.fc2.com/blog-entry-522.html
【StepMania】(ダンスダンスレボリューション)
【Lunatic Rave】(ビートマニア)
【太鼓さん次郎】(太鼓の達人)
【ふぃーりんぐぽみゅせかんど】
【ぱるメロ!】(パカパカパッション)
(2)老害の視点2 :難易度ややりこみの余地が大事
コアである「音ゲー」の部分は、他の音ゲーと比べると「ぬるい」。
初心者救済措置がいろいろと用意されているが、そもそもそんなものは必要ない。
譜面の難易度も、最難関レベルでも3日もクリア出来てしまう。
音ゲーとしてはやり込む余地が少ない。すぐに飽きてしまう。
実際1週間もやらずにやめてしまった。
(3)老害の視点3 :インターフェースやコンフィグの洗練が大事
インターフェースもいろいろと不満が多い。
F1を押せばキーコンフィグが可能だが、ほとんど変更できない。
プレイのために最適なコンフィグができないなど言語道断である。
また、フリープレイ中、レベルや曲や速度が
自分に合わないと思っても途中で中断することもできない。
その他の、市販のゲームを模して作られたゲームと比べると、まるで洗練が足りない。
(4)老害の視点4 :音ゲープレイ以外に余計な要素が入っていないかどうかが大事
いろんな初心者向け向け要素があるが、はっきり言って邪魔なだけである。
ストーリーモードなど要らない。バーストなどいらない。画面に余計なものをいれるな。
そんなことより、もっと曲を増やせ、もっと画面を洗練させろ。コンフィグだ。
ラブライブもそうだけれど、キャラ集めとか要らない。
とにかく、難しい曲を思う存分練習させてくれればそれでいいのだ。
曲が追加されるごとに、easyレベルをプレイするの強制してくんのやめてくれ。
(5)老害の根本的問題 :評価基準が狭い範囲で固定されている
とにかく私は音ゲー大好きっ子だ。
私にとっては、音ゲー要素が大事であり、それ以外はおまけ。
音ゲー要素が主であり、それ以外は従だ。
主の楽しみを、従が邪魔してはいけない。
そういう状態になったゲームは、「音ゲーとして」大して評価できない。
比較的積極的に評価してる人でもこの程度だ。
ttp://magatsuhi.blog.fc2.com/blog-entry-127.html
だから、そういう音ゲーとして出来がいいものを求める。そうすると、すでに市販されてるゲームのクローンみたいなのが最高ということになる。でも、そういう風に考えてる限り、あんまり「新しい」楽しみには巡り会えないのだと思う。
私のような人間は、「東方」みたいなゲーム世界についても、だいぶ後になってようやくその魅力に気づく、みたいなことに成ってしまうのだろう*1。これは今後の反省ポイントだな。
初心者は、初心者ゆえに、音ゲーの魅力をいろんな角度から考えられる。
老害は、既存の文脈で、既存の正しさをもとに考える。これだと、視野が狭くなってしまって新しいものの価値を見落とす危険がある。ある要素が一定基準以下だと、それだけを理由に価値を減じて捉えてしまう。
一方、今回の青二才さんは、初心者故に「音ゲーってこういうものだ」ということにとらわれていない。他のゲームとくらべて出来の悪いところも別に不満に感じない。「いまだったらこのくらいのことができなきゃいかん」という固定概念がないからだ。その上で、いろんな要素を素直に楽しんでいる。これは大事なことだ。
こういう「初心者の感覚」をもったまま、それを信じて記事をかけるというのは
貴重な才能だから大事にして欲しい。
「初心者」「にわか」であることのメリット、デメリット
初心者は、新鮮な気持ちで物事に接することが出来る。
逆に言えば、楽しみ方が確立しておらず手探りになるから、
これでいいんだろうか、と不安に感じてしまうこともあるだろう。
そんな状態で、自分なりの「楽しさ」を見つけることができたなら、
誰がなんと言おうと、それは正しいと信じていいと思う。
逆に、「初心者やにわか」がやってはいけないことがある。
「自分が楽しめなかった」からといってその作品は面白く無いと断じたり、
まして、批判したりしてはいけない。
それは、自分が楽しみ方をわかっていないだけの可能性が高い。
自分がつまらないと感じたこと自体は全然問題ないのだが、
「それを面白いと思っている人は間違っている」という考えに至るとほぼ誤りだろう。
そういうことをすると、ボコボコに叩かれても文句は言えない。
ここから先は余計なお世話なので読み飛ばしてもらってもいいです
自覚がないことも多いけれど、TM2501さんは、今までこの後者側の記事が、圧倒的に、多かった。でも、TM2501さんは、ぶっちゃけ、何かを批判するには「まだ」いろいろと能力も経験も足りてないと思う。あくまで「まだ」だけれど。将来的にはいけるんじゃないかと思ってるけど。
たとえば今回の記事も、全体としては素晴らしいのだから
「J-popのCDのセンスは10年前からさほど変わってないけど」これ適当に言ってるよね。絶対に。
こういう知ったかで余計な文言は入れない方がいいです。記事の信頼度が下がるだけ。
それより、今回の記事のように、なにか面白かった、素晴らしいと感じたことをを自分なりの感性でとらえ、それを発信する方向を積み重ねていってほしいと思う。「なにかをきっちり批判する」であるとか「こじらせたキャラ」というのは、そういうことを続けて、ある程度経験が蓄積されてからでいいんじゃないかなー。
・・・うん、ほんとにいつもの余計なお世話だった。許せ。
おまけ
しゃにむにGO4巻
「書いて頂く記事のコンセプトや目的はわかりましたね?」
「おお!大丈夫だとも!有力なジュニアの選手を取り上げ、
テニス人気を活性化させる、だろ?」
「そーです!そのために必要なのはアイドルです!
ホホーウ。で?日本テニス界ジュニアのアイドルとして、
「佐世古駿」を前面に押し出すわけだね?」
「そうです!彼は世の中にもっと認知されるべき人物です!(ぶほーっ)」
「君の趣味じゃなくて?」
「違います!」
「冗談だって」
「カメラマンさんの田中さん!佐世古駿をバシバシとってちょうだいね!」
「あと他の有力な選手の子もでしょ?忘れちゃ行かんよ。
藤田くん、やっぱり趣味だね?」
しゃにむにGO14巻
「TJMさんは、佐世古に偏り過ぎじゃない?」
「なんとでも。私達は有望なジュニア選手を取り上げているだけです。
TBさんは?選手のゴシップがお得意のようですが?」
「おたくはアマチュアをスター扱いして、
単なるミーハー気分でやっているとしか思えないけどね」
「うちは本気でジュニアの選手を応援してるんです!」
「内だって本気だ。遊びでなんかゴシップ記事を書いてらんないよ。
ゴシップは、僕達の"ウリ"だ。それによって選手の名前が売れるんだからね」
しゃにむにGO 18巻
ご存知テニス雑誌編集部の藤田弘子は超ミーハーである。
しかし、ジュニア選手をミーハー視線で伝えることによって
読者が選手に関心を持ち、雑誌の部数をあげてしまったという。
「瓢箪から駒」編集であった。