なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

嘘(ネタ)を吐き続ける意志力

http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2014/03/11/015245
読みました。ズイショさんの記事が「おもしろ無罪」系の主張ではないというのはよんでわかりました。ただそれは私がズイショさんを知っていて、ある程度前提知識をもって読んでいたからです。あんまり興味ない人の書いた記事だったら、ろくに読まずに先入観というか思い込みで「また面白いから無罪という主張か」といって切り捨てていたかもしれません。


というわけでこの件についてかんがえて見たけれど、正直面倒くさい話なのであえて読む気をなくさせるような文章を書いてみた。


おもしろ無罪について

私は「面白無罪」については否定的です。これは「面白いから無罪」って単純な因果を主張することがあほらしいというだけの話で、面白いのをひいきしたい気持ちはあります。

こうものを免罪符というか特権として認めちゃうと「特権のために、これは面白いはずという立場を死守する・他者へ面白さを強要する」みたいなのをする人が出てくるんですよね。 虚構新聞フォロワーが代表的ですが、そうでないところでもたくさんいる。 その人には面白いのかもしれないけれど、外部の人からみたらつまらなくて不快なだけだったとしても、「ネタだよ、笑えよ。面白いだろ。嫌なら見るな」みたいなことを言い出す人が必ずいる。「うちらの世界」を外にまで拡大したがるというか。 そういうの好きじゃない。

以前にそういう人をたんまり見させられてとてもうんざりしたために、どうしても「面白いからいいじゃん」理論は嫌い。「嫌なら見るな」だけだったらいいけど「面白いから許されている」って余計なことを言う人は嫌い。 スルーしたらそれが面白いというのを認めていることになる、それを認めたことになるという構図を作ったうえでの「嫌なら見るな」という言い分は通じないだろう、と思うわけです。許せるか許せないかは、面白いかどうかには関係ないです。 完全に独立しているわけではないけれど、関連は薄い。笑えるから不謹慎ネタでも許す、みたいな観点はあまりない。



という前提まで話したうえで、ようやく嘘をほんとのように語ることについてどう思うか、という話になります。




嘘のことを本当のように語り続けるには相当な意志力がいると思う

正直嘘かどうかは私にとってはそれほど重要ではないです。 

というか増田ではしょっちゅう話をしやすいポジションの人間を便宜的に創作して話をしたりしてます。 一発ネタでいいなら、その場限りの話なら、それを盛り上げるために多少の嘘使うことには全然抵抗ない方です。



ただ、ロッケンロールの人にしても、ツベルクリンの人にしても、「この芸風正直しんどいと思うんですが大丈夫ですか?」と心配にはなります。最初から創作です、自分から切り離してますっていうでもなく、自分と付かず離れずのところでリアルと創作の間の綱渡りをするのって個人的にはめっちゃめんどくさいと思うんですよね。だって、嘘の設定が本当の自分を侵食したり制約したりするわけでしょ。本当の自分が嘘のじゃましたりすることにも気を使わなければいけないわけでしょ。 めっちゃめんどくさいじゃんそれ。 


この「リアルと嘘の綱渡りの難しさ」って青二才の人みてたらわかりますよね。彼その場の勢いで格好いいことをいってみても、すぐ維持できなくなりますよね。少し興味を持ってウォチ継続しただけですぐボロを出すじゃないですか。そんで、そのボロを突っ込まれたら逆切れするか、「え、なんだって?」ってとぼけるしかしない。そういうこだわりの弱い人が嘘をついてちやほやされようと思っても長続きしない。そのために常に新規の読者を獲得し続けなきゃいけない。頑張って嘘で作り上げたネットのキャラクターを維持するか、焼畑農業的に常に無知な人をだまし続けるかの二択。しかも頑張ってネットのキャラを維持できても、それって現実に活かせるんですか?って問題もあって。ネットのキャラがちやほやされても自分はさえないままって認識だったらそれって幸せなの?みたいなネットアイドル問題ってこれマンガで見たことある! ちうさまかわいいよちうさま。あと「オヤスミ・フクロウ」って作品面白いから是非読んで。


私が嘘をつかないのは、上記のことを考えた時に、嘘をつかない方が自分にとって「設定の一貫性とかいちいち考えなくていいから楽」なだけです。嘘をついてもしんどいだけで大していいことないし、インセンティブがないから嘘をつかないだけ。2ちゃんまとめみたいに嘘話してそれをまとめサイトに載せて、アフィで利益出るなら嘘つくかもしれませんが、そうでもない限りはこういう嘘ってそもそもうまみがない。うまみがない状況であえてやってるんだったら好きにやればいいし、それが長続きしてる人はすごいなと思います。


2ちゃんまとめ以外については、嘘をホントのように書いてる記事はむしろ応援したい

というわけで、いまのところ、嘘をつくことに明確なうまみがあって、リスクが少なくて、稚拙な嘘でもつく理由があるという構造を持つ2ちゃんまとめ以外のところで、嘘のことを本当のように語る人がいようがいまいがどうでもいいです。むしろそういうことに挑戦するんだったら頑張ればいいと思う。その場限りのうそならあんまり評価しない、というだけで。それを貫き続けるなら、それはすごいことだと思います。

あえていえば、本当のことなら一貫性とかなくてもいいけれど、嘘にはリアリティや一貫性が必要だと思う。「なんのために嘘をつくのか」考えたら当然でしょ、と。それってなんらかのメッセージを持った物語を紡ぐのためですよね。それによって、話を本来のものより盛り上げるためですよね。にも関わらず物語で妥協したり手を抜いたりするようなやつは最初から嘘つくなボケ、となります。



ネタを出し続ける意志力

http://novtan.hatenablog.com/entry/2014/03/11/113246
素晴らしい。先に読んでたら私記事を書かなくてよかった。

実話、実話風のお話って、感情に作用することが多いので、反応の振り幅が当然デカくなります。だから、それを上手く収めることが話者に与えられた使命です。落語で言うオチとかサゲってのは振れた感情を着地させる機能を持っています。オチのない実話が実話じゃないとわかった時の反応というのは乗ってる飛行機から放り出されたようなものなのでそりゃあ怒りますよね。ネタ文脈を共有している人はそれが遊園地の乗り物であることを知っています。存在しない目的地に辿り着かず永遠に回転しているだけであることを知っています。

「ネタサイト」だって認識が広まるまでネタを継続する意志力はもっと評価されるべきだと思うんですよね。 一発当てれば満足な人を除いては、最初は下手だからと叩かれ、ネタだからと叩かれ、いいことなんてそんなに無いと思うんですよ。 ところが、ネタ文脈を共有してくれるところまで継続しきることが大切なんでしょう。

ネタサイトに挑戦したいということであれば、その目標地点に到達するまで続ける覚悟があるか。そこまで成長してやるという気概があるかを問うべきでしょう。

その途中で批判に折れたり、逆ギレしたり、批判された時にネタの改善で勝負するでもなくしょうもない言い訳をしたり、ネタに徹することができず突然素に戻ったり、メンヘルアピールをシてみてみたり、質の悪いファン*1しか集められないなどなど挫折する要因はたくさんあると思います。そういったものを乗り越えられない気がするのであれば、最初から挑戦するべきでないか、2ちゃんや増田で、その場限りで愉しめばいいと思います。ID付きで中途半端に頑張ると非常に残念な結果に終わると思います。

ネタサイトとして認められるためには、恐ろしくストイックな取り組みと強靭な精神力と、どこか変わった性癖や、かなりしっかりした設定の作りこみが必要になるのでしょう。あとネタ元になりそうな面白おかしい現実、なんかもあったほうがいいかもしれません。



余談。
ところで、私は最初にブログ作った時22歳って「設定」だったんですが、個性が薄すぎて誰も気にしてなかったので、自分もいつのまにか忘れましたが自然消滅しました。嘘をついてキャラを作っても、それがつまらなければ誰も気にしてくれないので、気にせずどんどん嘘をつけばいいと思います(涙)。
ただ、うかつについた嘘がヒットしてしまうとそれに縛られる可能性があるのでご利用はご計画的にということですね。

*1:礼儀をたどってその内輪だけで楽しむ。ネタの文脈のウチとソトをわきまえ、その外側に出しゃばらない、などが守れない人たち