歴史マンガはいい文明

「風雲児たち」から初めていろんな歴史マンガを読みます。オススメの歴史漫画あれば教えてください

「自戒を込めて」の使い方について

現実を直視する心に、真の理想は生まれるものだ


私は青二才さんことミサワさんについて少し誤解をしていたようです。

この発言自体は、実に「青二才」らしい発言だなと思います。ただ、今回は珍しく、これに関して、ミサワさんは「自戒をこめて」発言したと言っています。

一応、これ自体は自戒も兼ねた発言であり、暑苦しい新書を書いている人全般への批判でもあるからイケハヤの話として書かなかったんだけどさ…。そんなことを後から言っても絶対に言い訳扱いなわけだけどさ

https://twitter.com/tm2501/status/437968062562582528

上の発言より、この発言の方が重要かもしれません。つまりミサワさんは自分がこういう特徴をもつ人間にあてはまる自覚がある、ということのようです。

ここでミサワさんが指摘されているのは

①自信がない人間ほど自信を振りかざす
②それは他人への自慢のように見えるけど、本当の目的は自分への洗脳。
③高飛車な人間全般に対する苦言として

ということです。

自覚し、問題であることを認めながら、改めない

はい、確かに全部ミサワさんにあてはまりますね。ただ、私はこれ、ミサワさんはほとんど自覚がないと思ってたんですよ。

だって、普通、この自覚があったら、それをちょっとは改めようとしますよね。

薄っぺらい自信を振りかざそうとするのではなく、本当の意味で自信をつけるために何をするべきか」とか「自分への洗脳は長続きしない。そうやって無理に自分を持ち上げようとしすると、反動で落ち込む。そんなことばかり繰り返していると躁うつで疲弊してしまう」とか「高飛車な発言そのものが反発を招く。その高飛車な振る舞いに自分が値しなければ、結局その位置に立ち続けることはできない

なんてことは、その自覚さえあるならすぐ気づきますよね。

でも、ミサワさんには①~③を改めようとする気配が全くといって良いほどなかった。文章の書き方なんかはかなり改善されてきていますが、①~③については2年以上全く改善が見られません。だから、てっきり自覚がないものだと思ってたわけです。

でも、良く良く考えると、①~③にあてはまる指摘をした時に、「ズレた受け答え」をしたり「その発言が聞こえなかったふりをする(そこの部分だけ飛ばして反応する)」といったことが頻繁に見受けられました。つまり、自覚があって、自覚的にそれらを改めるのを拒否している、という可能性もあるわけです。

これは、自覚がない以上にすごいことだと思います。

自覚がないならまぁいいんです。また、問題じゃないと思ってるのもいいんです。せめて、問題とおもっているし改めるつもりもないけれど、公の場では自重する、とかならいいと思います。でも、「問題であるとわかっているが、改めるつもりはない」ということを堂々と言い切られると、こちらとしては扱いに困ってしまうわけです。

それって他者の迷惑はまったく考慮しないということだし、自分が発言する場そのものへの否定・呪いになるからです。この件については前に「ロバストネス原則」で書きました。


イケダハヤト氏と酷似した自己正当化のロジック

で、なんでこういうことをするのだろうと思っていたんですがどうやら「みんな多かれ少なかれ似た問題を抱えているのだから、自分がその問題を顕にしていても問題ないはずだ」というロジックで自己正当化を行っているようです。

今回の件についても、このような発言をしています。

多少は覚えがあるからわざと「誰に対してではない」という言い方をしています。自分にも当てはまるだろうし、彼にもしかりだし、世の中の色んな自慢げな人にもしかりです

https://twitter.com/tm2501/status/437964288511070209

つまり

①自分自身の問題であるはずなのにそこを重視するのではなく
②まず程度問題に置き換え、
③「みんなの問題」に置き換え、矮小化する

というロジックを活用しており、やはり①~③を改めるつもりは全く無いように思われます。


このロジックがイケダハヤトさんのロジックと酷似していることを確認してください。

いまとなっては「イケダハヤトはバカだ」という中傷は、ぼくになんのダメージも与えません。①バカであるのは、ぼくにとって当たり前のことです。バカですが何か? ②本当にバカなんだから仕方ないです。③というか、人間誰しもバカじゃないですかね。(中略)まぁ、人間、完ぺきにはなれませんからね。「自分に甘い」といわれればそれまでですが、このくらいが健全だとぼくは考えています。そのことによって、ぼくには他人に優しくなる余地が生じるのです。

イケハヤさんの場合は
①まず指摘された問題が「自分にとっては」問題でないことにし
②解決の不可能性を指摘し
③人類の問題に置き換えることで矮小化する

前者をミサワ式三段活用、後者をイケハヤ式三段活用と名づけたいと思います。
いや、そんなことを言わずとも「逆太宰メソッド」とでも呼べばいいでしょうか。

みんなだって、そういうところあるんだから、なんで俺だけが責められるんだ、とでも言いたげな言い分ですね。「反社会的な中学生」の人が似たような理屈で虚構新聞を擁護しようとしてましたことがありましたが、こういうロジックが許されるのは中学生までだと思います。



「自戒を込めて」の使い方について

で、ここからがようやく本題ですが。


「自戒を込めた発言」の使い方が根本的にわかってない人って多い人が多いように思います。この言葉は単体で機能するものではありません。使いこなせないなら、「自戒を込めた」発言ってリスクが高いのでやらないほうがいいと思います。


「自戒が込められた文章」と「他者批判が優先していて自戒が込められている文章」では、相手に与える印象が全く違います。何が違うかというと、「批判」における問題・原因分析の段階で自分が含まれているかどうかということです。


自分が読み手である時を想像してください。文章中に全く自戒の気持ちが読み取れず、最後に取ってつけたかのように「自戒を込めて」って書いていたとしても、何がどう自戒されているのかが全くわかりません。一方、文章中に、問題を自分のこととして捉え、それについて悩む気持ちなどが綴られていたら、いちいち最後に「自戒を込めて」なんてことが書かれていなくても、ああこの人は自戒を込めながら問題に向き合っているんだな、ということはなんとなく伝わりませんか?


逆に、自分が書き手の時を想像してください。本当に自戒の気持ちを感じるのであれば、何かしら文章が言い訳がましくなったりしませんか? 問題を起こしてる他者への共感とまではいかないまでも、理解程度は示しませんか?一方的に上から断罪できる心境になりますか?仮に文章をわかりやすくするためにその気持を押し殺すにしても、最後の一行に「自戒を込めて」だけ書くことは、恥ずかしくなりませんか?


そのあたり理解してない人が、まぁ他人のことなど考えずに思うぞんぶん自分の視点から他者批判をした後、とってつけたかのように「自戒を込めて」という表現をつけているように思います。はっきり言って読み手なめんなと言いたい。


「常に自戒をこめて語れ」なんてことは思いません。別に、自分と他者を切り離してもいいと思います。批判するのはそれはそれでいいと思います。それはそれでひとつの見方なので。自分がその発言をするに値しない器だったら叩かれる。それだけのことです。その覚悟があるならば思ったことを発言しても何も問題ない。 

ただ、そういう立場で文章を書いておきながら、最後に叩かれることだけは免責されたいって根性で「自戒をこめて」という言葉を安易に使うのであれば、それは論外だと言いたいです。 


「自戒を込めて」は便利な免罪符ではありません。むしろ、他者批判のあとにこの表現を使うと、「己をどれだけ客観的に見ることが出来るか」「他者と自分の距離感をどのように捉えているかというバランス感覚」などが厳しく問われることになる危険な表現です。


ここでもう一度この発言に戻ってみましょう。

一応、これ自体は自戒も兼ねた発言であり、暑苦しい新書を書いている人全般への批判でもあるからイケハヤの話として書かなかったんだけどさ…。そんなことを後から言っても絶対に言い訳扱いなわけだけどさ

https://twitter.com/tm2501/status/437968062562582528

はい、完全ないいわけです。しかもかなり見苦しいです。

「この批判、自分にも当てはまりますよね=自己批判が含まれてない」と言われた時点で「自戒をこめて書いた」と言ってもムダです。 「自戒を込められていない」と言われているのに「いや、自戒を込めて書いたんです」と答えてはいけません。もしそう答えると相手は「自戒を込めてこれですか」=「まずちゃんと自戒できるようになりましょう」と受け取ります。

そのくらい、「自戒をこめて」発言するのは難しいです。

なので、別に自戒なんかしなくたって、いいじゃないですか。他人への愚痴とか文句なんかあるんだから好き勝手言えばいいと思います。その時に「余計な理屈」「なんらかの評価」を立てれば、ひるがえって自分もその理屈や評価基準によって評価される。ただそれだけのことです。 

私が言いたいのは、大事なのはその他人からのフィードバックを受け入れる覚悟なしで他人に対して、批判的な発言をしないほうがよい、ってことだけです。あるいは、他人を批判するのであれば、自分が他人から批判されることも受け入れよう、ってことだけです


残念なことに、「自分は他人を批判するけど自分はされたくない、かといって批判されないように自分を律するのもイヤ」「自分は他人をこの理由で批判するけど自分が同じ理由で批判されるのがイヤ」という王様みたいな態度の人をチラホラ見かけます。ネットはそういうサービスじゃねーからこれ! そういうのがお望みなら、金を払ってキャバクラになるか、体育会系の企業で頑張って出世でもしてください。

こちらからは以上です