歴史マンガはいい文明

「風雲児たち」から初めていろんな歴史マンガを読みます。オススメの歴史漫画あれば教えてください

「マグダラで眠れ」 2巻

自分の中で譲れないものを見つけろ。そうすれば、自ずと色々なことが見えてくる。俺たちはそれをマグダラと呼ぶ。この鉛のような世の中で、唯一、足を取られずに生きて行く道しるべだ。俺はお前が望むことそのものを止めはしない。仮にどれだけ馬鹿げていて突飛なことでもな。止めることがあるとすれば、それが偽物だとわかった時だけだ

錬金術師の話。ハガレンのような話ではなく、本当に中世の錬金術師の話。
錬金術師の能力や所業ではなく「生き方」を焦点に当てている。

錬金術師自体どうしてもなじみがないせいか、1巻は導入や設定の説明が多く、キャラクターはまだそこまで動いていない感じだったため、そこまで面白いと思わなかった。

でも2巻からは面白い。WEEが終わったのをきっかけにして、マンガ版を経由して読み始めたのだけれど、5巻まで一気に読めそう。

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作品全体とあまり関係ないかもしれないけれど、自分的にツボだったところについて。

どんな作品? → もし「青二才」がとびきりかわいい修道女だったら?という作品(ェ

フェネシスかわいいよフェネシス。
もうフェネシス眺めているだけで満足だよ。

私にとってはこの作品の一つの魅力はフェネシスに集約されます。フェネシスの青二才ぶりとその可愛さがたまらん。

そう、この子「きれいな青二才」なんですよ。世の青二才かくあるべし、という見本のような。将来の成長が楽しみで目が離せません。お前らに「青二才」の可愛さを教えてやんよ、と言わんばかりのフェネシス推しに私はニヤニヤが止まりません。

まぁこういう読み方をしてるのは、私一人だけかもしれんけどNE!


①持っている賢さを活かすことができない「もったいなさ」

フェネシスは決してバカではない。多少抜けているところがありながら、それでも少なからず頭が巡る。なにが危険でなにが危険でないかがわからないわけではない。

なのに、フェネシスは、なにかにつけ理性を失ったかのように深く踏み込みすぎる傾向がある。それはほとんど自暴自棄としかいえないようなこともあるし、そもそもフェネシスの行動には支離滅裂といってもいい雰囲気があった。

クースラは、最初それをフェネシスの生真面目な性格のせいかと思っていた。

ただ、思い当たることもあった。フェネシスみたいな、時として手段と目的が釣り合わない行為をしてしまう連中に心当たりがあった。そういう連中は、戦や大飢饉で親を失い、騎士団に拾われてきた者たちに多かった。

彼らに共通しているのは一つのこと。それが、目的というものを持てないことだった。彼らは、あまりに理不尽な運命に翻弄されすぎてきたせいで、自分の行動にまとまりと意味を与えてくれる目的を持てないのだ。

クースラが容易にフェネシスをからかえるのは、フェネシスはなにかをするたびに闇雲に歩き回ろうとするから。クースラが柄にもなくフェネシスに庇護欲を感じるのは、フェネシスが危険な場所で目隠しをしてさまよっているように見えるからだ。

単にから買って馬鹿にするだけなら、別にかまわない。

けれど、フェネシスは自分の生涯を賭けた夢の一部に相応しい。

世の中で、こんなにも守り甲斐のありそうな存在は、ちょっと思いつかない。


②「飢え」と希望・目的を間違えている
id:p_shirokumaさんなら「木の根をかじるような鏡映自己対象」
http://polar.shirokumaice.com/kohut/saiteigen04.html
と評したであろう、切実でありながらしかしむなしい「仲間として受け入れられること」への飢え。

「神は意地悪だ。いくら俺でも、お前の身を守るすべての手段を用意することはできない」

「だが、どんな手段であれ、その手段をうまく身につけられない原因はいつだって二つしかない。

 一つは、そいつが馬鹿である時。

 もうひとつは、目的がない時だ。」

「目的があれば、そこに進む道に注意が向くようになる。何をするべきで、何をするべきでないかも見えてくる。何より、目的を達成するためには少なくとも生き延びないとならない。俺やお前といった連中は、特にそれが重要なんだ」

「難しいことじゃない。もっと自分を大事にしろってだけのことだ。そうすれば、自然とたくさんの罠に気付くことができるし、無意味なことに無意味なほどのめりこまなくて済む。たとえば、自分のことを*****として使おうとしている***に気に入られようとして、自分の身を差し出そう、なんてことはしなくなる。」

すごく当たり前のことなのに、この少女にはひどく難しいことなのだろう。なぜなら、自分の行動に意味とまとまりを与えるような目的を持つことは、言いかえれば、「希望」を持つことと似ているからだ。

「すべては自分の目的と照らし合わせて天秤にかける何かでしかない。そして、自分とはその天秤そのもののことだ。お前の天秤はどこにある?それはどんな形をして、なにを皿に載せて測っている? 俺にはまったく その天秤が見えない」

フェネシスは誰かに受け入れてもらいたがっていた。しかし、***の命令に従っていた時、フェネシスが希望を抱いていたと、果たして言えるだろうか。あれは希望なんかではない。飢えていたから、食べられそうなものをとにかく口に入れようとする行為にほかならない


③見栄や意地だけは張りたがるということ

それでもクースラが評価しているのは、フェネシスが見栄や意地だけは張りたがる、ということだ。見栄や意地は、いつだって「こうありたい自分」のために存在するものだからだ。つまり、その薄っぺらな意地と見栄の向こう側に、フェネシスが見失っている自分がいるはずなのだ。まだ気づいていないだけ、あるいは目覚めていないだけのフェネシスが。

そして、もしもフェネシスが自分というものを取り戻したならば、クースラはその時に初めてフェネシスに対する態度をきちんと決められると感じていた。

「自分を見つけることだ。このために生きているのだという、自分をな」


私が好きなキャラには傾向があって、

「ベイビィ・ラブ」の有須川せあら
文学少女」シリーズの竹田千愛
「目隠しの国」の並木昌廣や、
ココロコネクト」の永瀬 伊織
「ブラパ」のフジノ
人類は衰退しました」のわたし
「プラネットラダー」のバンヴィリエや狂王子セーウ。
ひぐらしのなく頃に」の北条沙都子


などを眺めるのが好きです。
説明しだすときりがないので列挙するにとどめますが、まぁそこそこ偏ってると思います。そんな自分の好みのゾーンのしかもど真ん中ストライクなのがフェネシスであり、もうフェネシスの見守るだけで心いやされてしまうのでした。

私のようなキモオタでなくとも、読みごたえのある面白い作品だと思うので、私の感想とは関係なく興味ある人は読んでみるといいと思うな。




その他。

男主人公と女ヒロインの力関係について

支倉凍砂作品は他に「狼と香辛料」→「ビリオネア・ガール」→「WEE」がある。支倉作品は、典型的なボーイミーツガールではあるけれども、中世や独特な舞台設定があり、そのうんちく話とともに、主人公とヒロインとの駆け引きめいた掛け合いを楽しむ仕組みになってる。架空の世界の旅行記のような感じで楽しい。

主人公の男と女性の掛け合いを楽しみながら移動していく間に、ちょっとずつ関係が近づいていく様子をニヤニヤしながら眺めつつ、どれだけ近づいても越えられない一線があり、そこで立ちすくむ二人にやきもきする。そんな一進一退(ebb and flow)が楽しめる人にはお勧め。

今までの作品では、基本的に男主人公とメインヒロインは対等か、女性がやや優位(別世界への案内役・きっかけ)という関係だった。今作品でも、メインヒロインが主人公を別世界にいざなうきっかけになるという部分は変わらないが、力や精神の関係においては、圧倒的に主人公優位である。

どちらかというと、ギャルゲー、特にKey作品に相当するくらい主人公がリードしている状態で、実際関係性も「恋人」や「パートナー」のような感じではなく「教育者」「庇護者」「所有者」といった体である。 

もちろん意識的にそうなっている。この作品の主人公は「ドン・キホーテ」の生きざまを真っ向から目指す人間である。そのために「守るべき姫」として女ヒロインを設定しているのだ。「姫」役をあてがわれた女ヒロインは、主人公に守られ、かつ「姫」として、守りがいがあり、守るに値する存在でなければならない。 騎士道精神を、教育者精神を非常にくすぶる存在として描かれている。

ギャルゲーとの違い

この力関係、あるいは女ヒロインの設定を、すべてギャルゲー製作者が恣意的に行っていて、主人公は無自覚であればそれは完全ギャルゲーである。すべては与えられたものであり、主人公はそれをいかに享受するか、どれを選択するか、という話になってしまうう。

しかし、この作品の場合、主人公は、自らの意思でその力関係を作り出す。そして、そのためにかなりのリスクと重荷を自発的に引き受け、背負い続ける。この点において、ギャルゲーとは一線を画している。主人公自らが、自らギャルゲ的状況を作り、自らプレイしているような感じだ。

さすがに、気高き狂人ドン・キホーテの遍歴とは違って、現実的な見返りは求める。ドン・キホーテにとっては、「姫」すらもまた物語的存在であり、確固たるものではない。それに対して、本作品との主人公は、確固たる存在としての姫を必要とするし、そこから癒しややりがいを求める。それでも、並みの人間であれば投げ出すような苦難にも耐える覚悟があるし、また、姫から得られるものよりも、その姫に尽くすことによって感じられる充足感や名誉こそが目的になっている。