なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

2月8日

・新年入ってからようやくジョギングをスタート。
 とりあえず10kmくらい走ろうと思ったけれど、8km手前で足が痛くなりはじめてしまったので中断。
 ほんとにジョギングでゆるゆる走ってるだけで、呼吸もほとんど乱れない程度のスピードなのにご覧のあり様。
 やばい。

 あと今日の早朝はほんとに寒かった。雪も降ってたし。
 「春が来て、ずっと春だったらいいのに」(懐かしい)


今日のメモ

これは何欲求ですか?

自己実現欲求でもないし、承認欲求でもない。
でも何かが自分をそれなりにやる気にさせてくれる。
このやる気や充実感ってなんだろう。


◆評価対象にならないので能力があってもやろうという発想にならないという話
http://d.hatena.ne.jp/next49/20140207/p1


◆「創作」と「課題の実施」との間にある天地ほどの差
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905

自分自身が一から創意を持って創作する真剣なチャレンジとしての「仕事」(ライフワーク)ではなく、初歩的な、既存の、別の表現を取れば、さんざん手垢のついた既成のスタイルでの楽曲書き、これは言ってみれば、「作曲課題の<実施>」に近いもの

課題で、とりあえず丸がつくものを書くのも大事ですが(そうでないと受験では落とされます)、「この課題から、この実施をどうやって作ったの???」と目を剥かれるようなものを作ったときの快感ていうのは、この仕事をした人にしか本当は共有してもらえない感覚です。でも、読者の皆さんにも何となく分かっていただけると嬉しいです。

新垣君が今回の「代作品」を自分の著作権は放棄すると言っているのは、つまり「実施」をした。それでみんなが喜んで演奏してくれ、聴衆も満足してくれた。「これでいいじゃないか。もう十分」という、内実の満腹感から、一切のウソなしに言っているのが分かります。

この話は面白そう。人間のやる気の話。


「やればできる」と、「やりたいか」「情熱をもって取り組めるか」は全く別物だよね。
ただ、自分がやりたいことじゃなくても、意外とやる気を出せるシチュエーションてあるよね、と。
誰かから依頼されたり指示されると、「自分の全力をこめて」とは程遠いにせよ、
それなりに結構まじめに取り組むし、それが評価されたら、
自分が本心からやりたかったことじゃなくてもやっぱりうれしい、なんて大いにありそうな話。


「本当の自分」(笑)じゃないけど、その役割を演じることも楽しいし、
そのことに誇り持ったっていいじゃないか、という感じかな。




あと、ちょっと違うけれど、ニコニコや、2ちゃんねるにおける「嫌儲」のことを思い出すなど。

あらかじめ「まとめ」が想定されている(オチがつくことが最初から予定されている)創作や大喜利と、
そのことを特に意識してないでみんなが好き勝手発言して、たまたま収拾がついた作品とでの違いというかなんというか。
「まとめ」業者の手が入ってる作品は、最低限の質は保証されているわけだけれど
なんとなく、途中をスクロールして最後だけ読んで終わらせてしまうことが多かったりする。


他にも「嫌儲」という概念は、自分を使って誰かが金儲けしてること自体が許せないというよりは、
金儲けが目的の人が、そういうことを気にせずゆるいサークルのノリで楽しんでるところに入ってくると
意図してかせずしてかはともかく、サークルクラッシャーとして機能してしまうところを嫌う、みたいなところもありそだね、と。
あ、これは「ヨイコノミライ」の話か。

とまぁこんな感じで、思うところはあるけど特に考えとしてまとまったものは思いつかないです。




・今のだめな職場を改善するための材料集め。
 今の職場はなぜこんなにだめだめなのか、について考える材料として、
 先輩方に、この職場が今の状態に至るまでの経緯とかを聞いてみたりする。

 どこがだめなのかは、いちいち聞かなくても見て考えればなんとなくわかる。
 でもその経緯とか背景とかは聞いてみないとわからない。
 聞いてみたところ、いろんな知りたくない事実を知って凹む。