聲の形 13話 あがき
罪を背負い、あがき続けると決めた。
ドシャ降りの中、今日も確かに、生きた。
「聲の形」すごく面白いけど読んでて辛い。
この話は、どうしようもなく「取り返しがつかない」ところから物語が始まってる。
しかもその「取り返しがつかない」ことは、事故とかではなく、主人公が過去に行ったイジメが原因である。この事実はあまりに重い。
普通の人は逃げる。抱えようとしても自分が潰れるだけだから、それを捨てて逃げ出す。
でも、主人公はそこから逃げない。逃げられない。むしろその事実の重さだけが、自分の生きる意味を感じさせるものになってしまっている。
今は悲愴感すら漂うほどだが、いつか二人が安らかな気持ちで笑顔になれるときが来るんだろうか。
ショージと硝子が抱えている五段階(くらい)の課題
硝子は、過去に辛い事があったけれども、後ろを向いてばかりではない。下を向いているわけではない。ちゃんと、今を生きようとしている。過去のことは忘れて、諦めて。
でもショージとの再開をきっかけに、再び過去と向き合って、過去に諦めたものを取り戻そうと物語が動き出した。
ただ、道のりはものすごく険しいと感じる。
①まず、まだ再開したばかりと言うこともあるし、過去の因縁もあるから、気持ちがすれ違ったり、周りの思惑もあったりで、意思疎通がうまくいかない。
でも、まだこの段階でもがいているうちはまだいいだろう。
ここまでは、普通の恋愛でもあり得る話だ。
少し周りが騒々しいくらいにとらえることもできる。
だが、そもそも、なぜ周りは二人の関係にやかましくなるかというと、
ただ仲良くなるだけでは済まない大きな問題が後ろに控えているからだ。
②周りの妨害が無くて、気持ちが通じ合ったとすれば、もっと大きな問題に直面する。
過去の加害者被害者という関係は取り消したり出来ないということ。
時間は戻らない。その時起こったことは無かった事には出来ない。
あなたがどれだけあがこうと
幸せだったはずの 硝子の小学生時代は 戻ってこないから
よくいじめっ子がいじめられっ子のことを「忘れ」たり「記憶を上書き」したりするのは、それが取り返しがつかないことだとわかっていて、向き合っても解決できないから逃げたりごまかしたりするしかないのだろう。 過去の自分と向きあうと、二度と前を向いて歩けないという恐怖があるから。
いじめられた側も、そのことを諦めたり、忘れようとしたり、あえてプラスの意味を見いだそうとしたりまでする。 仕方なかったんだ、運が悪かっただけだって思い込んだりする。 恨みを心の奥底に押し込めようとすることが多いらしい。 そうしないと生きていくことが出来ないから。 恨みを抱えたまま生きていくと、それだけで生きていく気力がごっそり奪われてしまうから。
特に、硝子は一度何かを諦めてしまっている。ここから取り戻すのはとても大変なことだ。
「お前は知ってるんだろ?昔の西宮を…そして俺がどんなに嫌な奴か
あいつこの前…「一度諦めた」っていったんだ。
な…何を諦めたのかはっきり言わなかったけど 確かにそう言ったんだ。
俺のせいであいつは何かを諦めた だから……」
「だからその罪悪感を原動力にして諦めずに頑張るって!?
あとはなんだ!?義務感か?まさか使命感!? 気持ち悪!!」
「 そうだよ 悪いかよ
俺は西宮に会って、その全部を強烈に感じたからこそ 人生から逃げずに済んだんだ!
アホみたいな考えかもしれないけど…
体があるうちは 西宮のために消耗したいと思ってる! 命を!!」
③そこにある程度両者が納得できる形で解決出来たところで、
次は硝子の母親の問題が待っている。
そもそも硝子はなぜ、小学生時代にあれほどまでに積極的に「普通の子と一緒」であろうとしたのか。そして、何を諦めたのか。 そこに母親との関係は大いに絡んでくるだろう。
硝子は母親のことをどう思っているのか。母親は硝子のことをどう思っているのか。
(というか父親はどうした)
④さらに、それも解決出来たところで、硝子が聾であることから生じる壁は残る。
これは手話が出来れば解決できるという問題ではない。
そこにいろんな差異を感じることは避けられない。
聾である硝子は、どうやって生きていくべきかという問いは常に発せられる。
これは、小学校時代に硝子が積極的に答えを求め、そして諦めた問いだ。
二人が出会って、協力することでこの③と④の壁が越えられれるなら、
小学校時代の時間の「取り返し」はつかないけれど
二人の出会いに意味はあった、と言うことが出来るかもしれない。
そして、ショージは、②の段階で、まずこの③と④が
克服可能であると、もう一度硝子に信じさせることが必要になる。
⑤その壁を越えても、人と人の間には絶対の隔たりがあるという問題が…。
どこまで作品で描くのかはわからないが、
どれも普通の人間だったら、どこかで妥協して、考えないようにしている問題だ。
しかし障害者である硝子も、そして、一度失敗して二度と逃げないと決めたショージも
この厳しい問題から逃げることができない。ずっと向き合っていかなければいけない。
端から見ているだけでも相当辛い。
読者としての私は何も出来ないのだけれど、ただただ応援したくなる。
おまけ 私は「怒る資格」みたいなのを考えて何も言えなくなった時期がある
11話~12話あたりの「怒らない(感情を表に出さない)」と思っていた硝子が、実は「怒れない」のだと知ったときの弟の反応はとても良かった。 そして、そんな硝子が「怒った」シーンは見ていてとても嬉しい気分になった。
多分みなさんにもそう言う時期があったと思うけれど、私は小学生の頃、親から「相手が納得する理由でなければ、他人に向かって感情を表現してはいけない」としかられ続けた(今から思えば単に「口答えするな」程度の話だったかもしれない)結果として、「どんなにおかしいと思っても怒るのにもっともな理由がないと怒れない」時期があって、この時期は笑うことも泣くことも出来なかった。感情を出そうと思っても出せないというのは本当に苦しくてしょうがなかった。
今でも「親には理由が無くても子供を怒る権利があるが、子供には親が納得する理由がなければ怒ることも笑うことも許されない」に似た類型のダブルスタンダードをネットとかで見ると、その時の苦しさが思い出されて苦しくなり、こういう発言をするやつは何が何でも黙らせなくてはいけないと思う程度につらかった。ホントにこの手のダブスタだけは今でも許せない。
「いつでも」というのは困るけれど、必要なときに感情を率直に出せることは、必要だと思います。ほんとに。
「聲の形」では西宮硝子の主観は見えないようになっていて、絶対に説明されることはない。
そのため読者はあくまで他人からみた硝子の描写を見て、その内面を推測するしかない。そして、硝子は少し普通と感覚が違うので、戸惑うのだけれど、だからこそ、解ってくると嬉しい。
そのあたりが面白いのだというのは前に書いたのだけれど
http://possession.hatenablog.com/entry/2013/09/17/211455
これからも硝子が、少しずつ感情を出していってそのこんがらがった部分を解きほぐしていってくれたら嬉しいなと思う。