なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

体罰は「無能」な教育者にとっての麻薬

体罰の是非については、小田嶋隆さんのこのコラムがもうそのまま答えだと思っている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130117/242405/

そして、体罰はなぜいけないのかについて「必ずエスカレートするから。そしてそのメカニズムは…」と語ったこのコラムもそのままこれを答えにしても良いと思う。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120216/227276/
http://blogs.yahoo.co.jp/ryuugatobu12345/3303835.html

それでもなお私は体罰を容認する考えには賛成できない。理由は、体罰の効果の覿面(てきめん)さにある。そのあまりに顕著な効果は、体罰を発動する側とそれを受け止める側の双方を狂わせる。仮に、体罰の効果によって、それを受けた子供の態度があらたまるのだとしても、その効用がその子供の人格形成にどのような影響を与えるのかは、また別の問題だ。より重要なのは、殴る側の教師に、体罰へ依存が生じることだ。

教師の側からすると、教室がざわついていてどうしようもないような時に、誰か一人を教卓の前に引っ張り出してきて、ひとつふたつ殴りつけると、たちまち教室の空気が「締まる」という事情がある。無能な教師は、この「効果」に依存する。 で、私は、その無能なO崎教諭のターゲットになっていたわけなのだ。

O教諭が狙っていた「効果」は、「生徒の人間的成長」や「オダジマの道徳的覚醒」ではなくて、単に「たった5秒で、騒がしい教室に静寂をもたらすこと」だったということだ。これは、「体罰の教育的効果」であろうか?いや違う。「体罰による秩序回復効果」に過ぎない。かくして、「効果」は嗜癖を生み、教師は体罰を濫用しはじめ、教室は恐怖を媒介とした表面的な秩序を手に入れる。おなじみのストーリーだ。

O崎教諭とて、新任の教諭だった時代の最初の授業からいきなり生徒を殴っていたのではないと思う。ある時、何かのきっかけ(どうせ感情的な暴発だと思うが)で、体罰を使って、以来、その「効果」に嗜癖するようになったと、おそらくはそんななりゆきだったのだ

卒業してから、クラス会などで会うと、O崎教諭は、いつも懐かしそうに話しかけてくる教師でもあった。実際、彼の側に悪意はなかった。それどころか、本人の意識の中では、私は特別に目をかけて面倒を見た生徒ということになっている。だから、O崎の方は私が恨んでいるとはまったく思っていない。実に面倒な人だった。


その他小田嶋隆さんの記事。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20101216/217581/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20130212/243601/