なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「聲の形」(読み切り版)

http://blog.livedoor.jp/takamine_koh/archives/7320506.html

「聲の形」5話まで来ましたね。
ショーヤにだいぶ肉付けがされてきて良い感じだと思います。



というわけで読み切りの時の感想再掲。
6話からまた時々感想書いていこうかな、と思います。

連載版読んで、だいぶ印象変わったところがあります。


何も言わずに、結局何の会話もしないまま。転校した翌日から、硝子がイジメられて机に落書きされてるのを毎朝消してたのは、本当はショーヤの机を拭いていた事が判明し、「あいつマジムッカつく…」と言いつつ感動して泣くのであった。硝子まじいい娘すぎるだろ。

私はこの作品について、「西宮さんいい子だ」で回収して終わりではないと思った。

いじめられっ子というか、さらに言えば立場が弱いなどで
モノ言えぬ子が何を考えているのかわからない、とか
それを知れば、知る手段があれば状況は変わるって事じゃないの?



・あいつは、あの時なんて言おうとしたのか?

・あいつは、なんでいじめっ子だった俺の机をふいていたのか?

・あいつは、なんで俺が殴ったらちゃんと反撃できるのに
 今まで怒りもせずにずっといじめられるままだったのか?
 そもそも殴り合いしてた時あいつは何を考えてたのか?


そういうのを考えて考えて、それでも分からない、って話だと思う。

傷つけ合うことでしか声を伝えられなかった

わかってみたら、単純な話だった、ってことでもあるよね。






いじめられてる子だって、思うことはある。
むしろいじめてる奴よりずっと誇り高いことだってある。
ろうあ者だけでなく、他人の心の声って
聞いてみないとわからない、そのあたりが主題かな、と思った。




私はこの話を読みながら
ぱすてるチャイム3」のシンヤというキャラを思い出した。

自分だっていじめられて仕返しできないのに
いじめられてる時に私が助けを呼びにいかないと
私を「臆病者」と詰る。

シンヤはいつもそんな感じでした。
私もシンヤのことは苦手でした。
いいえ、もっと正直に言うなら……嫌いでした。
自分の不甲斐なさは棚に上げて…嫌なことをいってくる、
陰険な人だと思っていました。

だけど、ある年の遠足の日…

<中略>

「どうして探しに来てくれたの?
 そんなに、その…仲良くもないのに…」
「そんなの、理由は決まってる」
「なあに?」
「オマエはクラスの連中にはめられて迷子にさせられたのだろう?
 僕が同じ事をされたとしたら、嫌だからだ
 嫌な思いをしている者を放っておいては嫌な気持ちになる
 だから助けに来た」

シンヤがいじめられている時、私は怖くて見て見ぬふりをしていたのに。
それどころか、心の奥底では、
シンヤの方が自分よりひどい扱いを受けていて、
自分は助かっているとさえ…
でも、シンヤは弱い私とは違いました。
強くて、崩れない信念を持っていた。自分に胸を張っていた。
私とは、全然ちがう…

私は今までそんなことを考えもしなかったのです

西宮さんとこれが同じだというつもりはないけれど、
彼女がショーヤの机を拭いていたのを
「ただいい子やなー」で流してしまうのは
ちょっともったいないかな、と思った。

「最近よく考えるのは西宮のこと。
 あいつが俺にこんなことされてる時、あいつは何を思っていたかだ。  
『ごめんなさい』、それだけ?それだけ?」

それがどうしてもわからない、どうしても知りたいって切実な気持が
ショーヤに手話を習わせ、最後のシーンに導いたのだと思う。

途中で「西宮さんいい子だな」ってわかったつもりになってたら
多分ショーヤは最後のシーンに辿りつけない。




どうして、西宮さんはショーヤと友だちになろうとしたのか。
どうして、机を拭いていたのか。
そして、どうして急にそれをやめて転校したのか。その時何があったのか。
そのあたりをいろいろ考えたいと思うんです。


http://togetter.com/li/459715


「なぜ彼女は机を拭くのか」というテーマに絞って、
まさに机を拭く少女側の視点を描いた作品。

「聲の形」作者の大今さんが作画を担当された作品。
同じく奪われるだけの存在だった少女が力を得た時に
今までずっと押さえつけていた感情を爆発させるシーンを見ながら
西宮さんの内面を考えてみるのも面白いんじゃないかと。

せっかく琴浦さんが今放送中なので比較しながら考えるのもひとつの手。琴浦さん単品で見てもアニメ版とコミック版で大分印象違うので面白いですよ。