なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

バカッター8

本来の筋から逸脱していて妄想の領域に入っているので簡潔に。

「不満があったらバカッター発動するやつがいる」
「そのバカッターは、数年前より大きくなり最悪経営を破壊する」というリスクは
今後の雇用主の行動にどういう変化を与えるのか、というのは興味がある。

雇用主側が、バイトや店員の感情を無視して、使い捨ての
それでいて、規則に従い、会社に損害を与えないのを当然と思ってなめてる状態なら
その反動で今後もこういう事件は置き続けると思われる。

今まで、従業員の感情や倫理観などを無視して、
ゼロリスクが当然として過ごしてきた雇用主がもし存在していたのだとすれば、
そういう職場や企業の在り方の方が非人間的で恐ろしいことであり、
今後、是正が強いられることになるのかもしれない。

もちろん、この変化はバカの立ち位置を強化するものではない。
その分「大事にすれば応えてくれる社員かどうか」の選別は厳しくなり、
ますますバカは生きる道を失う。悲しいけどこれ経営なのよね。


テラ豚丼事件の時からの変化=雇用主側のリスクが臨界点を越えつつある?

http://possession.hatenablog.com/entry/2013/09/06/140130
で、バカッター問題はテラ豚丼事件があった6年前から何も変わってないと書きましたが

https://twitter.com/m_twister/statuses/377072756593942528
を見て認識をあらためました。

テラ豚丼の時は、彼がやった行為が社会的に示したインパクトは
自由のアピール、間違った創作意欲、ちょっとした抵抗程度でとどまっていた。
あくまで、そのバカをやったやつが叩き潰されて終わりだった。

テラ豚丼動画は、ブルジョア法規上も、うp主の自己利益としても、あり得ないことです。あり得ないはずなのに突如として現れたのがテラ豚丼です。だからテラ豚丼は、人間が自由であるということ、「縛るもの」が頼りないものであるということを暴露しているのです。だから叩かなければならないのです。

なぜ我々は、明らかに自己利益に反するようなことをしている人を見かけると不快になるのだろうか?たとえそれがどんなに愚かで不合理で悲惨な結末を招くことは目に見えていても、ひょっとしたら僕もまた「やりたいこと」をやってしまうかもしれないという恐怖をかきたてる。

しかし今は、本人が意図していようが、していまいが、
バカが、ちょっと職場への不満を持て余したのか
教育が足りなかったのか、ちょっとした自己表現のつもりかはおいといて、
こういうバカ行為をやると、それが即座に企業への自爆テロになりうる。


今後雇用主への不満は内部告発ではなく自爆テロという形で表現されることになる?

とにかく、最近のバカッターにおいては、
本人が叩かれるだけでなく、被害者であるはずの企業も叩かれる。
むしろ、企業が泣き面に蜂状態になることもありうる。
「バカのした不始末」では済まなくなってしまう。
ゆえに、企業は見せしめのためにもバカに対して苛烈なお仕置きをするようになり
それがますます従業員の反発を招くことになる。 lose-loseの関係だな。



ロイヤリティが低かったりや教育不十分の従業員が最大のリスクとなる時代に雇用主は対応する?

一部のバカッターが、企業の抱えるリスクを暴いた結果、企業と客の関係における建前だけでなく、企業と従業員の建前も破壊される

ここで、ダメな企業だとバッドエンドコースだろうなぁ。

1ーb 企業から従業員への寛容さは更に減り、締め付けが強化される。

2ーb 従業員の、企業に対するロイヤリティはますます減少し、
  また、彼らが自らの力を自覚したころには、意識的な自爆テロが…
  バカを煽って事件を起こさせて、それをもとに企業を脅す人とか出てきそうやね。

よい企業はハッピーエンドの為に何ができるだろうか。

1-h 従業員のロイヤリティこそが経営にとって必須条件であることが見直される?
  従業員を「安価なロボットの代用品」として扱い感情を軽視していた運営が改善?

2-h 従業員がリスクとならず戦力となることの必要性が認識され…。
  アメリカの公民権運動のように、テラ豚丼事件の若者は
  日本のローザ・パークスと呼ばれるように…ないわー。