なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「仕方がなかった」という信仰

穢翼のユースティア 聖女編より。

殉教精神を持つ人間に、説得をすることの困難および
説得する人間もまた己の「信仰」に自覚的であるべきという話。

「信仰は、私が生きている意味そのものなのです。決して捨てるわけには参りません」


「あんたが言ってることは確かに格好がいい。だが、生きる意味なんてのは贅沢品だ。友人を犠牲にする程のものじゃない。はっきり言わせてもらえば、くだらない。生きる意味や信仰じゃ、腹は膨れないし寒さもしのげない。牢獄でそんなものにこだわっていたら、すぐ死体になるだろうよ。」



キレイ事など聞きたくない。そんなもの、牢獄では何の役にも立たなかった。だから、俺は否定した。生きるために否定せざるを得なかった。心の奥底でそれを悔やんだとしても、仕方のなかったことだ



「おっしゃることはわかります。ですが、ここは牢獄ではありませんし、私は聖女です。」



「身分が違うとでも言いたいのか?そりゃ、あんたには牢獄の実情などわからんだろうよ」



ヘドが出る。



「ふふふ……カイムさんは、本当に牢獄がお好きですね」



聖女が口元に手を当てて笑う



「生きる場所を選ぶ権利などなかった。好きであんなところに落ちる奴がいると思うか?」



「以前も申し上げましたが…お好きでないのであれば、お出になればよいでしょう?今のあなたであれば簡単なことでしょうに、なぜそうなさらないのですか……?」



なぜ俺が牢獄から出ようと思わなかったのか。なぜ未だに牢獄にとどまり続けるのか。



「カイムさんは普段食事にはそれほど困られていないでしょう。 聖殿の料理に文句をおっしゃるくらいなのですから。服装も整えられていますし、それなりの暮らしをなさっているのではないですか?」



「それは今の話だ。昔は、文字通り泥水をすすって生きていた」



「牢獄での生活は厳しく、信仰を持つ余裕など無いとおっしゃいました」



「そのとおりだからな」



一般的にはそうかもしれませんが、今のカイムさんは違うでしょう?衣食は足りて、牢獄から出られるにもかかわらず出ない……。牢獄の一般論をご自身にも当てはめる……まるで、牢獄の苦しさにしがみついているようです。私の立場から言わせていただくのなら……それも信仰です 

 カイムさんの信仰を捨てろとは申しません。私も自分の信仰は捨てられないのですから。ですが、あなたの信仰をもって、私の行為を否定なさるのは筋が違います



「言うじゃないか…」



「私の信仰をくだらないなどというのでつい本気になってしまいました」



聖女は笑っている。こいつが愚かではないのは、今のやり取りでもわかる。ならば当然、自分の主張がこのままでは誰にも受け入れられないことも知っているはずだ
知っていてもなお、もっとも愚直なやり方を選択する。それはなぜか?目的遂行の「手段」に価値を見ているからだろうか。




【余談】

なんだか父との会話を思い出す。
ちょっと違うけど父とはこういう会話になることがよくあった。

父はシバキ系の企業でのし上がった人なので、今の若者に不満が多いらしい。
ふとしたニュースの際に今の若者が甘えているとよく知らずに批判する。

これに対して私は父の考えというか
その考えの前提となる事実の把握が正確ではないことを咎める。

そうすると、父は私を「甘える若者の味方」というか敵として認識する。
それどころか、私自身を「甘える若者」と同一視して批判しだす。

私は自分が父が批判している「空想上の若者」と同じ立場になりたいといった覚えもなければ
そういう人たちを弁護した覚えもない。

私はただ、

①自分のいっときの満足のために
②現実の若者の実情を理解しないで
③現実に基づかず藁人形を叩いて満足する
④生産性のない

父の話が無意味であるどこか有害であるし、
そういう発言をどや顔で息子に向かって語り同意を求める

⑤話し相手に気を使わない無神経ぶり

が嫌いだと言っているだけである。特に⑤が重要。



だが、こういう話で揉めた時父は必ずこういって私を黙らせる。

「お前には、俺がどんなに苦労してきたかわからない」
「働いたこともない時点でお前は幸せものなんだ。そんなお前なんかになにがわかる」
「俺が苦労して働いて養ってきたお前に、俺のいうことに文句をいう資格はない」

私と父の会話はいつもこんな感じだった。
ものすごくフラストレーションが貯まるものだった。




今でも当時のことを思い出すと

最初から父は俺に向かって話して無いし、俺の考えなんて聞いてないわけだ。

じゃあ最初から同意を求めるな。
俺の意思を確認するな。
最初から押し付けるな。
俺が同意したという形式を求めるな。
意見を求めるなら、否定される可能性も批判も受け入れろ。
批判を受け入れた上で説得するならともかく、最初から反対を禁じるならそれは会話じゃない。
息子一人説得して納得させられないような幼稚な意見をどや顔で語るな。

父がそうやって他人を浅はかな理屈で批判したくなるのは仕事のストレスが原因でしょう。
ストレスを自分より弱い立場である若者叩きに向けるないでください。
やるならせめてそんなのは飲み屋で仕事仲間と一緒にやって下さい。

息子に空想の若者叩きに同意させるとかいう踏み絵を強制するハラスメントはやめて下さい。
意見を求めては黙らせて「お前の意見に価値はない、お前に意見をいう資格はない」って言うのやめて下さい。
息子はあなたの感情のゴミ箱じゃありません。

みたいな感情が瞬時に再生される。
自分で自分を否定することを強要される恐怖や屈辱などが相まって吐き気がする。

だから、上記の①~⑤あたりの条件を満たす意見を見ると、
瞬時に当時感じていたフラストレーションが再生されものすごく不愉快になるようだ。





今から考えると、父の話は信仰告白のようなものだったのだろう。
そして、私は、信仰に直接ケチをつけるという危なっかしいことをしていたのだ。

そして、父は息子の自分に己の信仰を理解して欲しかったのかもしれない。
もちろん、伝え方は下手くそでゲロが出そうだったのだけれど。

共感や賛同はせずとも、多少は理解を示すべきだったのかもしれない。
私は父の信仰を聞いた。その上で同意できなかった。それだけの話で良かったのかも。

会社教の信者さんって、一般論とか常識論と己の宗教を区別出来てないっぽい。
己の宗教を、常識だと思って語り
さらに他人に強要しようとする人間は、やはり危険なのではないだろうか。

ただ、相手の信仰を批判する時は、一定の敬意を払う必要があるだろうし
己の中にも同じように凝り固まった部分があることも理解しておくべきかな、とは思う。