「なぜすぐ書いたものを消したり直したりするのか」「なぜすぐ消すものを書くのか」
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20130626/p13
本題については下記コメントあたりと同じ立場。
ブコメの書き換えそのものが問題なわけじゃないと思うよ書き換える方向性に問題があるだけでってまあいいや
自殺が出るからやめろ,とは言ってない。覚悟して発言を。もし自殺しても「まさか死ぬとは」「そんなつもりじゃなかった」とか逃げるな,ということでしょ。まして事後に消すなど論外と
とはいうものの、この件とは別に「すぐ書いたものを書き換える」「書いては消し書いては消しを繰り返しする」自分の習性はちょっと気になってる。
私はなにか思ったことがあると脊髄反射的にいろいろ書く。
書くけど、すぐ書きなおすし、すぐ消す。
正確に言うと「非公開状態にする=自分以外見れない場所に移動させる」。
昨日も深夜に書いたツイッターのコメントを多数削除した。
(別に消したからといって誰かの悪口とかじゃあ無いです、念のため)
これが他人から見てゲスい行為であると見えるなら、それは一切否定しません。
でも、ついやっちゃうんだよなぁ。
「じゃあなんでそんなどうでもいいことを書くのか」と問われると
「書きたいから」「書くのを我慢できないから」としか言い様がない。
なぜ書くのを我慢できないかというと理由は2つ考えられる。
一つは私は書くことで考える傾向があるので、書かないと考えが進まないということ。
もう一つ、こちらのほうが重要なのだけれど、
私はその瞬間の感情が消えて失われてしまうのを怖がるようなところがある。
自分の感情に自信がないのだが、そのくせ自分の感情を蔑ろに出来ない。
特に怒りの感情や、矛盾を指摘するような感情などはそのまま我慢して忘れるのが怖い。
長年理不尽な会話を忍従を強いられてきたせいか、それを忘れると
心の毒として溜まってしまうような気がして、吐き出さずにはおれない。
ただ、これは吐き出すことが目的なので、
一度表にだして、自分の外に出して、冷静に眺めると、
「大したことない」「こういうことは言うべきではない」ということがわかる。
前者はすぐに消してしまう。後者はすぐに人の目に届かない場所に移動させる。
他の人には何の意味ないけれど自分なりにそういうポリシーがあるような気がする。
「だったらなぜ最初からチラ裏で書かないのか、
吐き出すことだけが目的なら別に日記でいいじゃん
どうせすぐ消すんでしょ? どうせ誰かに見せたいわけじゃないんでしょ?」
という問に対しては、もうぐうの音も出ないけれど、でも
非公開の日記ではやっぱりダメだ。 自分一人で書いてるとはかどらない。
よくわからないけどせめて書き終わるまでは「もしかして誰か見るかも?」と思うことが
文章を書く張り合いのようなものとしてひつようなのかもしれない。
見られたくない・・・でも見てほしい?
・・・完全に露出狂の発想じゃないですかヤダー!
というか、完全に非公開にしてるはてブのコメントを見返すと
一瞬でも一目につく場所に公開する理由がわかるような気がする。
はてブのコメントは、絶対に誰にも見られないと思ってる
=誰に見せるつもりもなく、完全に自分のためだけに書いても良い
こういう状態で書いたコメントは本当に目も当てられない。
「未来の自分に当てたコメント」と考えれば有用なコメントを書くことだってできるはずなのに
どうしてもその瞬間の自分の、脊髄反射的な感想ばっかりに成ってる。
「一応読み手がいると仮定する」のは完全非公開だと出来ないのかも。
アウトプットするなら、やはり「自分以外の読者が存在する」という感覚が
錯覚でもいいから必要なのじゃないかしら。
以前増田に書いた関連記事。もう消した。
http://anond.hatelabo.jp/20130424231826