なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

理解することと共感することは違う。理解の方が遥かに難しい

この事を履き違えている人が、
T氏のことを内面化したり自分もTになりえたかもしれないということをいっている。それについて、安易な気持ちでいったのではないという人もいるようだが、

気持ちが安易でないにしても、
あまりにも方法が安易だ。

同情や共感は、方向こそ違うけど一方的に行うだけなら拒絶と同じ難易度しかない。
自分で勝手に相手を規定しているだけだ。


その証拠に、共感や同情を口にする人は、
相手の話よりじぶんの話ばかりする。 

そうではないのだ。
同情や共感が悪いわけではないが「まず」共感するやつは、じぶんがかわいいだけなのだ。自分を拡張子しようとしてるだけだ。

そしてその自覚がないから迂闊にT氏のような人間にてを伸ばそうとして取り込まれるのだ。

馬鹿らしい。


本当に共感したいなら主体は相手でなくてはならない。自分であってはならない。ならばまずすべきはなにか。相手を知ることだ。 
 

お前は共感する前にどれだけ相手について知ろうとしたのか。本当に興味を持っていたのか。

怖いから距離をとって、でも冷たい人間だと思われたくないから共感するふりをしようとしているだけではないか。とりあえずよゐこであらうとしておるだけではないのか。



人を殺すような人間を安易に理解できるわけがないだろう。

T氏だって、どこまで近寄るか葛藤もなく果てしなく遠い場所から語られる形だけの共感などくそくらえではないのか。


処世術としての共感もどきの提示はわかる。
それはみんながなかよくするための尊い知恵だ。

でも間違ってもT氏とは仲良くするつもりなんかないはずだ。むしろ心を落ち着かせてくれない厄介な存在なはずだ。そう言うときにいつものぬるい関係で使う道具で同じように対処しようとするのは、私にはそちらの方がよほど狂気じみているように感じる。


今私たちは侵略されている。攻撃されている。いきなり殴り付けられた状態だ。きちんとたいじすべきだ。そうしないと割りと本気で、むじかくのまま心に大きなダメージを負うぞ。


すでにptsdなりかけてるのに、T氏のことを受け入れなくては、とか言ってる人は、やさしいのではなくただの間抜けだ。


わからないなら逃げろ。無抵抗で突っ立ってるのは最悪だ