男と女の話3 男だって共感されたい。でも求める共感の形は女性とはぜんぜん違う
巷で言う「女性は共感を求める。男性は解決を」みたいなのは半分正しいが半分ウソである。
別に男性は共感してほしいわけでもないし、共感を軽視しているわけじゃない。
ただ、男性の考える共感の示し方と、あるいは共感として求める態度は女性とはぜんぜん違うのである。
この違いを認識していないから、男と女はすれ違うのである。
その違いもわきまえずに「私の求めてるような形で共感してくれなかったからあの人は思いやりがない」みたいにいって勝手に機嫌を悪くするのは、男だろうが女だろうがアホだと思う。
でも、傷ついている時って臆病になっているから、それを確かめるんが怖いんよね。それはわかるけど、わざわざそこでネガティブにかんがえて余計に状況を悪くしてるのは、あくまでも相手ではなくて自分だ。
相手にパーフェクトな対応を求めるという事自体が大いなる間違い。
女性はとにかく肯定・受容は
「言葉にしなければ、目に見える形でやらなければ、そして、聞いてくれなければ」と思う。
男性はだいたいのばあい
「信じて待つ・そっとしておいてやる」のである。
男性にとって共感をする、気持ちを尊重するというのは、「相手から求めない限り待ってやる」ことだ。
ここで「どうしたの?」「大丈夫?」ってこえをかけるのは場合によっては侮辱に近いニュアンスとして伝わる。
だから、女性が苦しんでいる時も「そっとしておいてやろう」という態度を取ってしまう。
しんどそうな時こそ話を聞かなければ、ていうのは女性に対して取るべき態度だ。
特に親が子供に対するときはこれは致命的に重要であり、
ここで親が心配だからといって「待つ」ということができなかった場合、特に男のコはプライドをズタズタにされ、屈辱を感じ、場合によっては無気力になる。
「男の子が自立する子育て」で再確認したとおり、親の仕事は「準備」と「見守る」こと。そして、あとは子どもが成長していくのを待つことなのだ。著者はこれを、子どものペースを尊重するこという意味で伝えてくる。成長にはそれぞれの子どもに合ったペースがある。「今すぐ結果を出してちょうだい」というのは大人の都合であって、子どもは「いつ結果を出すか」「そもそも、結果を出すのかどうか」を自分で選べばいい
10代の子をもつ親が知っておきたいこと | ||||
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ただ、どちらにしても「感情を否定しない」ということは共通している。
女性にとっても男性にとってもそこは同じだが、相手の感情を大事にすること、が意味することが違うのだ。
特に女の人は、「どうして?」という言葉を無造作に使う。
これ男に取ったら「殺し合いの合図」に近い。
この言葉を使う時点でもうかなりアホだが、ましてこの言葉で反論されてキレるような女は男と付き合うのを諦めたほうがいい。
「どうして」と聞いている限り、どうしても問題行動に焦点が当たってしまう(子どもは防御の姿勢をとる)、だから代わりに、「どういう気持ちだった?」「どうしたかったの?」とたずねるのだ。そして、とにかく話をさえぎることなく、「どういうつもりでそれをやったのか」という意図をよく汲み取れという。すると、相手の説明の中で「なるほど」と思うところが見つかるはず。
そのときは口に出して「なるほど」と言ってあげて、意図したことを、実際に起こったことはどう違うのかを子どもに考えさせるのだ。「なんでそんなことをしたのよ!」と叱るのではなく、「本当はどうしたかったの?」と教えてもらうキモはここにある。
どうして?って言われて怒らない男性は、もう完全に去勢されているようなものだ。
あなたが、その男を無気力にしてしまったのだ。
それで「男らしくない」とか文句言ってるならさすがに殴りたい