なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ジャンヌ・ダルクについて④ 安彦良和「ジャンヌ」(前編)ジャンヌの死後からスタート 

「教えてジャンヌ!わたしにわかるようにはっきり答えて!なぜあの人達はわたしあなたの味方ではないの!?なぜあなたがいのちをかけて守ったシャルル国王様がひとりぼっちなの?そして、なぜあなたを見殺しにした王陛下を助けろというの?」
「言ったでしょう、なにがあっても……って。なぜかわからなくても、正しいことは信じ続けなければならないの」
「そんなのはダメ!そんなことなら……わたしは耐え続けていくことは出来ない!拷問されるかもしれない。殺されるかもしれない!それも耐えろというの!?なんだかわからないことのために!?そんなことできない!!」
「わたしは耐えたのよ。エミール。耐え続けてただお告げに従って……」
「そして、あなたは火あぶりになったのでしょう?私には無理!できない!!わたしはただの女です!あなたとは違うんです!ジャンヌ!お願いだからこれからは私を好きにさせて!わたしは自分で考えたいの!けっして悪いようにはしないから!」
「だめよ、エミール!なにもわかっていないのね!自分の力で一体何が見えるの!?人の力が何?自由が何?そうやって鎖で縛られてみてもまだわからないの?あなた以上のものに、あなたは従いなさい!!

この作品ではジャンヌは物語開始時点ですでに火刑で処刑されている。つまり生きているジャンヌは登場しません。かわりに主人公はロレーヌ公の妾(アリゾン・デュメ)の娘エミリー。ロレーヌ公が死んだ後は、素性を隠してボードクリール卿の養子になり女ではなく男「エミール」として育てられた。ジャンヌと似た運命を選んだ少女が、ジャンヌの足跡を辿っていく、という話。似た存在からジャンヌを語らせることにより、「ジャンヌ」というのがいかに特異点的存在であるかが浮かんでくるという構成ですね。

時代背景 「1440年のプラグリーの乱」発生時点からスタート。

1431年 ジャンヌ ルーアンにて処刑される
1431年 ブルゴーニュ公とフランス王家との間に休戦協定
1435年 アラスの和議が成立し、フランス王家(アルマニャック派)とブルゴーニュ公との間に同盟関係。
1439年 オルレアン三部会。フランス王国は軍の編成と課税の決定を行うが貴族が猛反発。
1440年 反発する貴族によるプラグリーの乱
1445年 常設軍「勅令隊」が設立
1449年~ フランスが一気に攻勢をかけてルーアン→フォルミニー→ボルドー→カスティヨンの戦いで勝利
1453年 百年戦争終結


アラスの和議までは

・シャルル7世(アルマニャック派)&ブルターニュ公ジャン5世&リッシュモン
・ブルゴーニュ公フィリップ

という感じだったのですが、その後は

・シャルル7世 VS 反シャルル派(アランソン公ジャンなどが王太子を擁立)
で争いになりました。

ジャン2世 (アランソン公) - Wikipedia

百年戦争後半にフランスがイギリスに勝てるようになってきたのはフランスの古い封建領主たちの騎兵中心の戦術から国王直轄軍&大砲による中央突破戦術へのシフトしたことが理由であり、この関係で、中央集権が進みつつあったのですね。こうなった時に、軍のトップであるリッシュモンに権力が集中しつつあったため、反動でこういう内乱状態になりました。 ぶっちゃけ、この漫画、このあたりの説明がほとんどないため、知識がないと出だしで躓きそう……。 


ジャンヌの生家 ドンレミ村訪問

この村で、エミリーはジャンヌの亡霊を見る。

①ジャンヌは村ではジャネットと呼ばれ、機織り作業をしていた。
②妖精の木の下で天使さまと出会った話を聞く。
③ジャンヌから、シャルル7世をなんとしても守れと告げられる。


オルレアン城訪問

①「ジャック・ブーシェの家」を訪れる。
②反シャルル7世陣営の面々と遭遇する。

王太子ルイ
・ラ・トレモイユ
・アランソン公ジャン2世
・ブルボン公
・ラ・イール
・ポトン・ド・サントラーユ
・オルレアン公シャルル・ドルレアン

③囚われの身にあうが、辛くも脱出する。

私はあの時…思わずジャンヌにすがったんだもの。神様に、ではなくジャンヌに。
いけないことだけど、神様。
わたしの信仰の心はまだそのくらいのか弱いものなんです。

ロレーヌ川を下ってオルレアン公領→ブロワ伯領→トゥーレーヌ伯領→アンジュー公領へと移動

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ジャンヌがシャルルと面会したのは、アンジュー公領のシノン

①アンジュー公「ルネ・ダンジュー」がジャンヌ・ダルクの仕掛け人であったことがわかる。
 (ロレーヌ公はアンジュー公の義父であり、ボードクリール卿はロレーヌ公の配下)

王太子ルイがトゥーレーヌ伯領に侵入。

③トゥーレーヌ伯領内にてシャルル7世と面会。

④シャルル7世とともに、アンジュー公領のアンジェに移動。リッシュモン大元帥と面会。
 (シャルル7世がリッシュモンを恐れ、煙たがっている様子が描かれる)


ジル・ド・レの館を訪問する

要するに金が無いのだ。それに尽きる。兵を増やすには多額の給料が要る。ラ・トレムイユが散々浪費したために、国の金庫は空同然になっておる。

①資金の融通を依頼するために、大富豪である「ジル・ド・レ」の元を訪れる。
 
②ジルから、戦場でのジャンヌの話を聞く。


ちなみにジルは、この直後に別件で逮捕されます。

1440年5月15日、所領を巡る争いからサン=テティエンヌ=ド=メール=モルトの聖職者を拉致・監禁したことから、告発され捕らえられる。この領地は1438年にジルがジャン5世に売っていたが、ブルターニュから派遣された家臣が厳しく税を取り立てたことに憤慨したジルが暴挙に出たのだが、これはまさにジャン5世の思う壺に嵌った。直ちに家臣のナント司教ジャン・ド・マレストロワがジルの身辺調査に乗り出し、7月29日に告発状が公布され、9月15日に逮捕されたジルはナント宗教裁判所へ出頭した。

ジャンヌがシャルル王太子と面会したシノン城へ

①シャルル7世軍とルイ王太子軍がいよいよ対決。緒戦はトゥール近郊の戦い。

②ロッシュへ移動






おまけ 百年戦争というあまりにはた迷惑なお家争いについて

なぜフランスは一つになって、イギリスに勝たねばならん?なぜブルゴーニュやアルマニャックやブルターニュが別々の国であってはいかん?ウィリアム征服王以来、王家の血脈が通じ合うイギリスとフランスが一緒になってはなぜいかん?そのどちらを取っていても、戦は多分とうに終わっていた。違うか?お前のような理屈では答えられまい。だが、俺に言わせれば簡単だ。強いものが、勝つんだ。神は裁かない。ただ勝者を祝福する。勝者が神をたたえ、勝ち取った富で点にも届く聖堂を建て、領地を与え、聖職者たちに金ピカの衣を着せれば、紙は全てをよしとする。