乙女戦争2 プラハ防衛戦①ヴィトコフの丘の戦い
「ヤン・ジェリフスキー」 フス戦争を起こすきっかけになった人物。
①フス戦争開始。ボヘミア国王ヴォーツラフ4世(ジギスムントの兄)が急死。
②神聖ローマ皇帝ジギスムントが、ハンガリーだけでなくボヘミアの王としても戴冠。
フス派殲滅のための10万からなる十字軍が派遣される。
③プラハも旧市街は降伏。貧乏人があつまる新市街だけが取り残される。
④ヤン・ジシュカ率いる2000の兵がそれに勝つ????絶対に背後の事情とかあると思うんだがなぁ……。
神聖ローマ帝国の目的はオスマン・トルコと戦うために、国内での宗教争いを解決し一致団結すること
ビザンツ帝国が滅亡するのは1453年。フス戦争が集結してからわずかに14年後。
オスマントルコの脅威はヨーロッパまで迫っていた。そのためにジギスムントはコンスタンツ公会議で強引に教会の分裂状態をまとめ上げ、わざわざ地方の反乱一つを制圧するためだけに十字軍を結成した。
ジギスムント自体、1396年にオスマントルコとの戦いに破れている(ニコポリスの戦い)。オスマントルコへの雪辱にかける執念は強かったみたい。
逆に、マルティン・ルターの時にルターが殺されずに済んだのは、オスマン・トルコに押し切られて国内で争っている余裕がなかったからというのはかなり大きい。
騎士殺しの「ジシュカ」の夢 戦術や新しい兵器が騎士中心の戦場を越えること
こいつらなら何も恐れずに戦えるはずだ。
こいつらなら騎士の強さすら恐れず俺の戦術を実行できるはずだ。
50年かけて練り上げた俺の戦術を。
今度こそ俺は……
ちょうど14世紀初頭から製鉄技術が盛んになり、鋼鉄の鎧に身を包んだ騎士もメジャーになった。
大型馬に重い甲冑を着込んだ1トン近い塊が襲ってくるのだから当初は無敵の存在。
しかし、騎士は農村を基盤としていたため、15世紀初頭のこの頃は都市の貨幣経済が発展して地位が低下。「傭兵団」が盛んになったり、歩兵や弓兵、そして、大砲や銃によって敗れることが増えてきた。
日本より2世紀も早く、騎馬兵が勝てない時代が来てたわけだ。そう考えたら、日本がヨーロッパの軍勢と戦っても勝てるわけ無いわなー。
軍規もなく個人の勇猛に頼るだけの騎士たちの敗北
「戦の戒律?軍の決まり事があるのか?兵がそれに従うというのか?」
「はい。聖書の戒律を守るのと同じですが」
「あの男の軍は、司令官の命令通り一糸乱れず戦うというのか」
中国の孫武が軍規を重視して大軍を率いたのと違い、ヨーロッパは15世紀になっても統率が取れず騎士道とかやってた。戦場のマナーや慣習はあっても軍規という概念がまだなかった。
そりゃ、中国に勝ったモンゴル帝国に勝てるわけ無いわな。オスマントルコにだって勝てないわ。
そんな時代にヤン・ジシュカが軍規という概念を持ち込んだと。
「領主制」というのが足かせになって、騎士の天下を阻むものをすべて抹殺してきたからこそ、進化が止まっていた。結局国王直属の常備軍という概念ができるまでずっとこのままだっただろう。
騎士は強くないといけない。強いから土地も権力も守れる。
格下相手に挑発されたら後には引けない。力を示すために真正面から突っ込むしか無い。
中世のヨーロッパは、宗教と領主制という2つの概念が足かせになりさらに黒死病などもあって、色んな意味で暗黒の時代だったのかもしれないね。まぁ日本の武士だって、モンゴルに侵略された時に同じ弱さを露呈させていたわけだけれど。
そして、ヨーロッパがこんだけ停滞の時期を迎えていて、なお日本より2世紀も進んでたというのが恐ろしいね。それだけ、ヨーロッパは常に戦争ばっかりやってるってことだ。野蛮だよこいつらは。日本は、結構長期政権が多いよね。その分戦争の発展も遅かったりしたわけだけれど。
幕末期に、高野長英らが、西洋の武器は戦術書を見て、これは勝てないってすぐ悟ったと言うからどれほどの差があったんだろうね。