「下品」という言葉について
やくみつるや、ネット魏延さんの例を出すまでもなく、他人を批判するときに「品」の話をする人は、その時点で負けてると思う。
批判をしたいのであれば、品などという言葉を使わず、具体的にどう間違っているかを指摘するべきであろう。
とはいえ、やはり「下品」としか言いようがない人はいる。
能力的にも、成果的にも、本当にすごいのだけれど、それでもすきになれない。
間違っているわけではないのだけれど、どうしても抵抗感がある。
そういう雰囲気をどう表現すればいいのかというのは少しだけ悩ましい。
と思ってたらこんな記述を見つけたのでメモっておく。
d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20161030/p1
そもそも物凄い個人的なキャラクターのパワーが強くて、それで人生を驀進して切り開いてきた人なんだろうと思います。
僕もエゴが強いタイプなんで、人のことを言えないのですが、ちょっと強すぎて、ひいちゃう。たぶんスゴイ厳しい状態から、実力とエゴの気合で勝ち残ってきた人であろう臭みが凄いする。
その実体験をベースに「私のやり方は正しい!」という強い確信を感じるのです。それ自体は素晴らしいことなのだけれど、あまりに強すぎて、おなかいっぱいになってしまいそう。
とても厳しい幼少期から、強い動機と行動力で成功してきた人は、たいていみんなこうなるんですよね。
それそのものは、悲惨な(本人のせいではない)子供時代が背景にあって文句が言えるものではない。しかしやっぱり、身も蓋もない確信が、下品に見えてしまう。
まぁ、それが世界の一面の真実であるのは、否定できないんですが、そんなめちゃくちゃな世界ばかりじゃないだろう、と。
普通の人生を歩んでいる自分には、感じられてしまいます。子供時代に苦労したり、強い動機で酷い環境から人生を切り開いてきた人は、どうしても、ほどほどな感じに考えないし行動しないんですよね。
僕は、西原さんの世界観は、身も蓋もなさ過ぎて、否定できないけど
なんだか、ああは思いたくないなぁ、と思ってしまいました。
まぁ、それは、悪くない子供時代を送った自分の贅沢な考えなのでしょうが…
つまり、
①エゴが強すぎる
②「私のやり方は正しい!」→世界のありようを狭める感覚。
③あまりに身も蓋もないものいい
このあたりがポイントになるでしょうか。
他人を下品って言う時点で、上から見てるとか言われそうだと言われるかもしれないけれど、
上の人と同じように、別に下に見てるわけでもなく、否定したいと思うわけでもない。
むしろ尊敬している人のほうが多い。それでも拒否したいという気持ちになる、ということです。
(ちなみに①~③を満たしているが、ろくに成果も上げてない人は警戒します。飢えている上に余裕がない人ってのは、狂犬と一緒という認識です。「下品」どころでは済まされない。 )
で、なぜこういう人を下品と思って拒否したくなるかというと、
ちなみに、これだけ強い確信がある世界解釈をする人は、何を体験しても、同じように世界をとらえてしまう。
彼女の作りだす作品を通しての世界解釈が、すべて同じになってしまうと思う
やはり世界をその人と同じように見れない。ということがはっきりわかるからでしょう。
私は世界についてそこまで強い確信を持っているわけではないけれど、
それだけ強固な世界観を持ってる人に相対したときに、
「少なくとも自分はこうじゃない」くらいのことはわかる。
あまり褒められたことではないけれど。
ある意味、他人を下品と思う時は、自分ってどういう人間であるかを少し認識するときなのかもしれませんな
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