なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「辺獄のシュベスタ」2  虐げられている人間のほうが、虐げる人間よりもよほどタフだ

私はいったい、何をやっているのだろう……?
何も、かも。生きるためのはず者のを。こんなにも費やして。


この作品、実は神さまのいうとおり、みたいな「試練もの」という見方もできる。でも決定的に違うのは「日常」があること。

 

一つ一つのゲームをクリアすれば一度リセット、みたいなことはない。ゲームはゲームでちゃんと生き延びつつ、かつ日常においてミスがないように、毎日蓄積をしなければいけない。

そういう意味で、ガンパレードマーチみたいな作品だ。




あるいは「ひぐらしのなく頃に」とも言える。

「ルールXYZ」として3つのルールが設定されている。

X=修道院の食事を食べなければならない状況に陥ったら死亡確定

Y=反逆がばれたら即死。仲間との信頼関係が崩れた時点で失敗。

Z=数々の試練で生き延びて、かつ候補生たちのトップ5に選ばれなければ目的を達成できずGAMEOVER

特に、常にXのハードルが非常に高い。「前の5人」はこのハードルを越えられずに失敗した。一度も休まずに、かつあらゆる状況を想定して毎日を過ごすのはそれだけでも厳しい。

 

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先に失敗した人が描かれるという意味では「スウィートホーム」のことも思い出す。

なんというか、私が今まで体験してきた、いろんな面白いものがこの作品にはたくさん詰まってると思う。


4巻まで読んだ。キャラも、言葉も、絵も力があって好きだ。ちょっと展開が強引になってきたけれど、なんとか最後まで走り切ってほしい。 ====


以下名言集


人が恥を感じるのは自分を愛しているからだ。私は違う。私は私を、復讐の道具としかみなさない。


目的地に向かって進んだ距離がわかる。進んだ一歩が、次の一歩を耐える力になる。これが今私の持てる武器。



まだ考える時間がある。全部言ってよ、ヒルダ。これからひとつずつつぶすから。



私はあんたを背負わないしあんたたちが私を背負うことも望まない。それぞれの足でいけるところまで。そういう旅の仲間よ。


ユーリアが私に声をかけたのは、それまで彼女がここでいじめられていたからなのだ。私は学んだ。虐げられるものの背には死神がいるのだ。死神は殺せない。背負わされるか。背負わせるか、だ。


だれだか知らないけれど。
そうやって後ろから投げつけている限り
一生かかっても、前を向いている人間の顔は汚せないわよ。



これは初めから私の戦いよ。修道院はこの騒ぎ(いじめ)を黙認してる。多分この衝突があいつらにとって好都合なのよ。単なる嬲るもんと嬲られるものの争いじゃないわ。だから、あんたをつるし上げた連中をシメても終わらない。倒すべきなのは、この空気を作った原因。



「なんで私たちがそんな知恵を絞らなきゃいけないのかしら。変わるべきは人をいじめてるやつらなのに」
「それは、私たちのほうが強いからよ。標的を作ることで結束を生む。いじめる側っていうのは、その便利な方法に真っ先に屈服したってことでしょ。虐げられている人間のほうが、虐げる人間よりもよほどタフなのよ。だから、私たちが先に立ち上がって戦う。それだけよ。(戦うべきはいじめが発生する状況なのよ)

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あたしは確かに守ることも捨てることもためらう凡人だ。エラとは違う。だけどね。神が天才を創るなら、凡人だって自分で自分を作るさ。人を甘く見るんじゃないよ




とうとう私は一人になった。これは悲劇じゃない。当然の、愚かさへの報いだった。誤認に対してぎりぎり4人分の食糧。致命的な不足に気づきながら、だれもそれを口にできなかった。あまりにお互いを、大切に思っていたから。けれど、本当に大切なら、選ぶべきだったのだ。四人を活かすために一人の犠牲者を。三人の死を見て、ひとりを殺した。生き延びることは私の責務。

→この数日でなんとなくわかったわ。あなたたちはそれぞれ違う方を向いていて、だからぶつかり合いもするし、お互いから発見するものもある。私たちにはなかった強さよ。あなたたちなら、「真実」を知ったうえで、正しい選択をできるかもしれない。


母さんは苦痛の中で一生を終えたのに。楽しい思い出だけ取り出して、心の糧にして生きるなんて、死んだ人の骨をしゃぶるような卑怯な生き方はできない。




一万人で一人を嬲り殺したら罪は一万分の一?一人一人の罪は限りなく0に近くなるとでも思うの?罪は分け合えない。薄めてよいものじゃないのよ




あんたが何を考えてああいう決断をしたのか。私たちはわかってる。それだけ。それしか言えないから、それだけ言いたかったのよ。



この生活をつづけていくためには、無理してでも喜ぶことも必要だ。そのほうが人間長持ちするもんだよ。




それぞれの足でいけるところまで。初めからそう言ってたでしょう?ここが分かれ道みたいね。さよならを言えるだけ悪くない別れだわ。




私たちは知っていく。希望は、どんなに遠くを見渡しても見つからないことを。なぜなら、それはいつも、手の中から生まれるものだからということを




傲慢かもしれない。こんなことになってもまだ何かができると思うのは。でも、決めたの。これが一番、正しさに近いって



「あなたがもし私に復讐しようというのなら、私も黙って殺されるわけにはいかない。迎え撃つわ。今度こそ殺し合いになる。だけど、あなたが抱くはずの怒りまで奪うのは、あまりにもあなたを愚弄していると思ったからよ。私があなたを迎え撃って殺しても、誰かに本当の意志を奪われたままでいるよりは、残酷じゃないと思うから。」




私たちは誰にも屈さずに自分自身を統治している。昼間は棒で打たれても、私たちはまさしく王様よ。




「それでもいいじゃない」というのがやさしさだろう。けど、私たちに今必要なのはそういうやさしさじゃない。




神だか運命だか知らないけど、そいつは私たちを殺し損ねた。私にいわせりゃ腰抜けよ。




この世にあらゆる物理にも逆らいうるものがあるとすれば、それはただ一つ。人間の意志である。