ゴミはゴミ箱へ

ネットのゴミを収集しています

トップボトムの法則

本当に傷つき、自己肯定感の微塵もない者にとっては、まずエンパワメントより、自分が傷ついていること、弱いこと、辛いこと、自分が自分で認められないこと「そのありのまま」を肯定する場、過程が絶対的に必要であり、「自虐」はそのような人たちの「受け皿」になっている。
これも「自己肯定」の過程のひとつに過ぎないのだが、疲れ果てている人にとって「エンパワメント」は眩しい。「あなたも私たちと同じように立ち上がって戦うのです!」と迫る「エンパワメント」にとても付いて行けない

なるほどとてもおもしろかった。

記事については特に異論はないが、なんとなくこの記事読みながらぼんやりと思ったことを落書きしとく。
このままだと腐臭が漂うからちゃんと記事にするならそれなりに整理しないと・・・・




というか以前から思っているのだが、自己肯定感のレベルで行動に差がありすぎるので、ある程度階層化していく必要がありそうだ。

否認と孤立 私は悪くない。男が悪い。 私は悪くない。女が悪い
怒り 男性憎悪 女性憎悪、現実逃避
取引1 男が悪いから私もこのままでいい 女が悪いから私も悪くない
取引2 男がもう少し優しくすれば 女がもう少し優しくすれば
抑うつ こんなことをしても無駄だ こんなことをしても無駄だ
受容 今のやり方ではダメだ 今のやり方ではダメだ

「◯が悪い」の部分は毒親とか自民党とか野党とか朝鮮とかなんでもいい。そうやって何かのせいにしてる人はみんな同じ穴のムジナだ。

     ↓

快復期 他者を攻撃せず自分のつらさを訴える 他者を攻撃せず自分のつらさを訴える
自立 まずは独り立ち まずは独り立ち
相互依存 自虐と慰めあい 自虐と慰めあい
他者支援 エンパワーメント エンパワーメント
社会運動 プロセスを踏んで改善を目指す プロセスを踏んで改善を目指す

自立できてない人が自虐するとどっかに攻撃色が混じってまたミソジニーミサンドリーに戻る。他人のせいにするのではなくあくまで仲間との毛づくろいが目的になってる必要がある。被害者意識や男攻撃が強すぎるとエンパワーメントにならない。私怨を晴らしたいとかうさばらしというという個人的、非生産的な目的のための「オルグ」になる。 マルクスのウィメンズマーチは完全にオルグの方向に入った。
キレイな頃の津田大介が勘違いしていたようにこうしたオルグは瞬間的には一気に広がるけどすぐに消える。持続性がない。ただし、オルグは多くの人間がついていけなくて去った後に尖った人間だけが残り、害のある集団となる危険がある。


大変困ったことにトップである「社会運動」と底辺部分で「否認と孤立」をやってる人間はよく似ている。だからこそ、ちゃんとした運動ほどゴミのようなミソジニストやミサンドリストが群がりやすい。このゴミをどうやって排除・制御して、本来の目的からぶれないようにするかが大事。ネットの前であれば、どんな活動にも参加コストがあったからこの手の口だけ達者のゴミは容易に排除できた。しかし今は、数だけは多いこのゴミがネット上では非常に活発的に行動する。弁護士懲戒請求騒動を見ても、扇動されて破壊行動を行う鉄砲玉になるほどの馬鹿がたくさんいることが可視化されている。恐ろしい恐ろしい。



あと、これについてちゃんと言及しているのが素晴らしい。

つまるところ、らしさや身嗜みに細かい突っ込みをして来るのは男子よりも女子なのだ)。
男性上司の顔色を伺いながら、同時に女子の同僚や上司に対しては想像以上の気遣いとコミュニケーションを強いらる

女性の生き辛さのうち、無視できない比重で「同じ女性によるもの」があることはちゃんと自覚して欲しい。女性が同じ女性の中で孤立したくないからそれに気を使うのはわかる。それは男も同じだ。

そこで、同性からハブにされたくはないが生きづらさを訴えたいから、過剰なまでに異性のせい「ということにして」語ってるのが分かる人がいて、この割合は絶対に女性の方が多い。男性で女性のせいにするのはかなり恥ずかしいことであって、だからミソジニストは、同じミソジニスト以外には支持されない。多くのフェミニストのみなさんがよく勘違いしていることだが、多くの男にとってミソジニストというのは軽蔑の対象である。ミソジニストに限らず「自分がダメなことを他人のせいにして泣き言を言ってる情けないやつ」は男社会ではゴミ扱いされる。ミソジニストという時点で、社会に適応できなかった落ちこぼれのゴミという扱いになる。実際、ミソジニーを表明してしまうような人間は、大半がニートか引きこもりだろう。男としての誇りがズタズタに引き裂かれてしまってる人間で福祉インシデントだと思う。

女性はどうか知らないけど、男に対して軽々しくミソジニー呼ばわりするということはそういう意味がある。はてなフェミニストがそのあたり理解してなくてブックマークコメントで私をミソジニー弱ばりしてきたが、そいつら問い詰めたら無言で二度とブログに近づかなかった。覚悟もないのに男にたいしてミソジニーとか言ってんじゃねえよぶっ頃すぞ。


さてそれに比べると女性にとって、ミサンドリストがそういう扱いになっているかどうかは私にはわからないが、まぁ気軽に男のせいにして自分のショボさを棚に上げるコメントが目立つ目立つ。 同じ自虐といっても、なんか「男に虐げられてる私」ってのがナチュラルに出てくる。ネットはともかく実社会、特に家庭においては男性社会で動いている場面は未だに数多く有るから別にそれ自体はいいとして、それにしても気軽に言うものだとは思う。
ただ、それは良いとしても「男性だけじゃなく同じ女性同士も嫌な人いるんですけどね」と女性を批判する文脈をまぜた瞬間にボコボコにされるのがよくわかってて必要以上に同性に媚びるアクションが多くて見てて反吐が出る。



男も女も、自分が所属するコミュニティを攻撃することは基本的に出来ないのだ。本当の問題はそこにあるはずなのにそれを指摘したらそういうのは単なる落ちこぼれとか適応能力不足と扱われるところに問題が有る。そして「私は悪くありません。まっとうな社会人です。ただ◯◯の存在のせいでパフォーマンスがオチてるだけです」ってアピールをするために攻撃してもいい対象を探し始めると地獄だ。それも見つからない場合に、漠然と異性を抽象化し、藁人形として自分のふがいなさを押し付ける依存が始まるのだろう。

ぶっちゃけ「不甲斐ない自分」から逃避してるだけなんだよね。別にいいじゃん、自分の不甲斐なさを認めたら。


職場では気を張っておかないと行けないんだろうけど、なんでプライベートでも同じことやろうとすんの?
それごまかしたところで守られるのってあんたの安っぽいプライドだけでしょ。
自虐したらいいじゃん、って思うけど。



でも、この自虐ができるレベルというのはそれなりに自己が安定してるということらしい。自虐すら出来ないほどに余裕がなく、それゆえに他人のせいに出来ない人たちは、金を払ってカウンセリング受けるしか無いんじゃないの?ネットで愚痴ばらまいてても余計に地獄に走るに決まってるのにね



あーあと

ある限られた文脈の中でしか受け入れられることがない当事者の表現を「自分がやってもいい」と軽く考えてしまったことが「キリン」の失敗だった。

いやもちろんそうなんだが、「当事者性」を盾にしすぎるのもどうかと思う。いつも思うのだが、このブログ主は違うのだろうが、ゾーニングという言葉を好む人達が、なぜ自分たちの話になった途端に当事者性を強調するのかと思う。

広告を非表示にする