なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

炎上している人の言い訳はこのエントリで99%殺せると思う

すごい。炎上した人間がだいたいいう言い訳はこのエントリによってだいたい全部つぶされるようになっている。攻撃力が高い。

はあちゅうさんたちの言い訳がのきなみ全部潰されているというか、彼女の言い分を「そうだそうだ」って言ってる人までまとめてなぎ倒すみたいに攻撃範囲まで広い。

というわけで、自分なりに整理。

ところどころ省略してるから、ちゃんと元記事読みに行くといいと思うよ。


「間違っていることもあるけど、正しいことも言ってるでしょ!そこを読んでよ!間違ってるところだけ取り上げないで!」→「正しい所だけとりあげたら何も言ってないのと同じ」

結局世の中のたいていの炎上・失言・暴走した正義ってのは、複雑さに耐えられずに音を上げて本来複雑である問題を単純化して極論を振り回していることを咎められているのであって、一部が正しいのは当たり前といえば当たり前、というか一から十まで本当に何から何まで全部間違ってることを言うのって小学校に行って一応の読み書きを習得してしまった人間にとってはそっちの方が逆によっぽど難しい。今回の件だって例えば「医療費なんとかしないとヤバイ」という問題意識自体は別に間違ってない。ただ、普通に喋ってたら間違ってない部分がいくらか含まれるのは恐ろしく当たり前、そんなことがいちいち加点になると思ったら大間違いだ。何より、複雑さに耐えられなかったことを咎められた人が自身の主張の正当性の担保にしようとする「間違ってない部分」っていうのはたいてい他のみんなだってわかりきっていることだったりする。

→そういうことを言うが指摘する「正しい部分」人は、特に発言する必要がないことである。
 その部分だけ見て支持している人は、同じくらい複雑さに耐えられない、知的体力が足りない人といえる。

「私はこういう意図や動機で言ったのに。曲解されてる。動機が正しいんだから責めないでよ!」(真意システム)→「お前は半年ROMれ

人はよく問題意識の正しさをそのまま自分の行いが正しい論拠にしようとするが、それはしばしば誰でも解ける問1.だけ解けてその後の問10.までは軒並み出鱈目を書いた癖に、それで10点の答案が返ってきた時「問1.の配点が10点なのはおかしい。80点くらいあるはずだ」と主張してるのと同じレベルだったりする。あなたが「間違ってない」と思ってる部分については他の多くの人だって間違ってない。問題はその先で、その先の部分を考えるにあたって、あなたは徹底的に役に立たない。むしろいない方がいい

論点を間違えてるのにプライドだけでかくて自説を修正出来ない人間はいないほうがいい。

実際こういう人間は「問1だけはあってるね」という点を認めてあげないと、延々とここは正しいだろ!とそれだけを主張し続ける。
だいたいこういう人は、大幅に議論を後退させる。

長谷川豊は、議論を「いちからか?いちからいわないとダメか?」というレベルまで後退させていることに全く自覚がない。
一番後ろからやってきて、謙虚に教えをこうたり、先行する議論を追いかけるどころか、自分が議論の先頭を走っていると勘違いする間抜けに付ける薬はない。

はあちゅうさんや長谷川豊さんたちは、致命的な問題な問題として「勉強しない」「ググらない」「自分の経験だけで思考する」という三重苦があり、これはもうよほどのことが無いと改善しない。こういう状態の人たちよりはまだ青二才のほうが分野によってはマシ。アレは自分がわかってると思ってる分野では恐ろしくバカだが、自分より優れてると認めた人間に対しては少なくとも逆らわない。(だいたいはひねくれて急に興味をなくすが、たまにちゃんと素直に言うことを聞く)。

「私の問題意識は正しい、なので、私の言ってることに難癖をつけるよりも先に、あなたも問題に目を向けなさい、代案がないなら私の主張に賛同しろ」(動機システム・議論が深まっ太郎) →とりあえず議論に邪魔なお前を追い出してからな?

野良犬が餓えて人里に降りてこないようにするためにはどうしたらいいだろうか?という問題を会議室に野良犬がいる状況で考えるのは難しい。まずは野良犬を追い払うのが先だろ、と私は思う

この文章が白眉であると私は思う。

もちろん、追い出した後に我々はちゃんと考えなくてはならない。そうしなければ、第二第三のゴジラ感覚で野良犬がまたやってくる。そうならないためにも誰も餓えない世界を私たちを目指さなくてはならない、という部分はもちろんあるのだけれど、それを促す野良犬こと議論が深まっ太郎個人が優秀な評価に値する存在であるとは特に思わない。繰り返しになるが、100点満点のテストで10点分の正解しか書けないやつはテスト前に何日徹夜してようが10点、問題意識への関心の強さは評価の対象にならない

ここすごく問題で、頭が悪ければ悪いほど、「声のデカさ」や「極端な意見を言うこと」が関心の強さを示すと勘違いしている。

バカほど、「問題意識を強く持っている」ことのアピールとして、過激なこと、燃えることを言おうとするのである。 正しいことをいうよりも過激なことを言おうとする。

FGO界隈にいるキッズたち」のまとめがあったが、このあたりの精神的に幼稚すぎる人達は、問題と向き合うことより、味方にたいしてアピールすることばかり考えている。つまりいかに自分が過激なことをできるかどうか、いかにFGO運営にえげつない攻撃をできるかどうかを競っているわけだ。ネトウヨもそうだね。いかにターゲットに対して汚い言葉を投げかけられるかを競いあっている。そうやって目立ってイイネ!を手に入れることが正しいと思っているわけだ。ひどいのになるとフジテレビデモに参加した際にイキりすぎて顔出し実名出しで雑誌に載り、しかもそのことをブログで自慢し、その記録はネットに残り続けるハメになる。そんなバカいるのかよ!?って思うかもしれないけどいたんだよ。 

長谷川豊はそういうキッズ精神の頂点であったが、別にそうでなくてもそれと同等の思考レベルの人間は山ほどいる。togetterで頻繁にまとめ活動をやったりコメント欄に常駐してる人間はだいたいそうだろう。


謝ったってお前らどうせ許す気ないんだろ →お前何が問題なのか全く理解できてないだろ。謝り方が下手なんだよ

ただ謝るだけではまぁ許してもらえないんだろうなと思う。ここで必要になってくる作業というのは複雑さともう一度向き合うということなのだと思う。別に珍しくも特別でもない「間違ってない部分」に固執して、そこばかりクローズアップできるように問題を矮小化・単純化するのではなく、もう一度本来の複雑さを見直して自分の間違ってなかった部分と間違っていた部分を丁寧に切り分ける。ぶっちゃけこれがちゃんと言葉にできるならば直接言葉として謝らなくたって結構許してくれる層はいるんじゃねえかなと思う

じゃあ実際に謝ってる人いるのかよ。許された人居るのかよ。 → いる。まずその人の謝り方をちゃんと研究してみろ。お前と全然違うから

以前に小池一夫が炎上していた時に出したブログはやっぱり素晴らしかったんだな、と思いだした

ヨッピーさんも完璧ではないけどきっちり火消しに成功してたろ?  
ずっと燃え続けてるとしたら、それはその人が悪いってことになるな。


結局謝れない人ってどんな人? =怠惰ですねぇ!

謝ったら死ぬ病の人たちっていうのは結局、複雑さに耐えかねて、物事を単純に捉えてゼロかイチかでしか考えないようになってしまっているから、謝って自分の非を認めるってことがまるで一から十まで自分をまるこごと否定して生まれ変わってやり直さなくちゃならないくらいに考えているのだろうけど、実際は別にそんなことはなくって、複雑さにしっかりと目を凝らして、変わらなくてはならないところと変わらなくていいところを丁寧により分けて、そしてなるほどと思えばいいだけの話なのだ

それがすげえ難しいことだってのは俺だって重々承知はしているけれど。だからってそんなこと億劫だと匙を投げて開き直る人は怠惰だと思わざるをえないし、間違ってない部分もあるから俺の言うことは一から十まで正しいなんて言う人と話せることは残念ながら何もない。以上です

大変面白いことだがよく炎上するはてなでそこそこ力持ってるマンが炎上した時の言い訳の定型句として「俺はもっと複雑なことを理解しているが、それをすべて書くには文字数が1万文字必要だしそんな義理はない」というものがある。

しかし、他の人のこの人物への評価は500文字で済む内容を、大げさな話しぶりと自分語りで3000文字に膨らましている、である。

炎上する人は、「自分は複雑なことを考えているつもり」なのである。

もちろんそれを何度も問いただして効いてみたことはあるのだが、結局500文字程度の思考しかなかった。




追記

id:watapoco 何でズイショさんの記事へのリンクをちゃんと貼ってないの?

一度リンクを張った後、何度か追記で記事の訂正を行ったからです。(その都度通知が飛ぶらしいので)
最初に記事を書いたときにはリンクを張っていましたし、ブックマークでもコメントいただいているように私がこの記事を書いていることはズイショさんもご存知です。 これ以上の訂正はないのでリンク戻しました。