なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「部分対象関係」と「全体対象関係」

互助会についての印象だが、はてブ汚染云々は建前であって
「小学生くらいの対人関係の感覚を恥ずかしげもなく大声で喚いているから見苦しい」
というのが批判を集めやすい理由であろうと思う。



昨日取り上げたこの記事だが、これは完全に幼児の理論だ。
ttp://www.yuruiblog.com/entry/2017/08/05/120000

こういうことを言ってしまうのは、人間関係の捉え方が「部分対象関係」のままでとどまっているからではないだろうか。

母親がおっぱいをたくさん出してくれているときは、いいおっぱいだから母親もいい対象になる。いいおっぱいに対しているときは、無邪気に良い子となる。

ところが、おっぱいの出方が悪くなると途端に赤ん坊にとってはわるいおっぱいとなり、母親も悪い対象となる。こうなると赤ん坊はむずかって、悪い面を出してくるように成る。

こういうレベルだ。 自分を批判してくれるやつは「悪いおっぱいだ」くらい幼児じみた記事である。「文句をいうやつに限ってブログを書いない」という部分についてはただの後付であり、この部分は典型的な詭弁になっている。上の記事の本題は「文句をいうやつは悪いやつだ、つまらないやつだ」という部分対象関係的な認識にある。


対象関係論 - Wikipedia

子供が母親を部分対象として認知する時期の子供の心的構造は分裂・妄想ポジションと呼ばれている。
また子供が母親を全体対象として認知する自己の子供の心的構造は抑うつポジションと呼ばれている。

これは、人には良い面も悪い面もある、というアタリマエのことをまだ学習できていない子供の理屈である。
上の記事の人は、書いてる間に自分で書いてる内容がやばいと思えないのが何よりやばい。





ただ、ネットって、こういう「部分対象関係」の方がむしろあたり前、ってなることが多いよね。

リアルの付き合いなら全人格的な付き合いが必要だし、実際に嫌でもいい面も悪い面も目に入るからさすがに
上の記事を書いた人でも、有る人に対して全面的に悪い人だ、という判断はしないだろう。

でも、ネットって、本当によほど親しくない限り「一面」しか見せてもらえない。
逆に言えば、自分にとって「良い面」だけ見せて付き合ってくれる人を求めてもいいじゃないかって発想になることは珍しくない。


「ネットでまでめんどうくさい付き合いはしたくない。とにかく自分を褒めてくれる人しか付き合いたくない」っていう小学生の欲求をもってネットに臨むのも、自分がそういう小学生っぽいことを言ってるんだ、という自覚がある分においては問題ない。

おおっぴらにいったら馬鹿にされるけど、そういう願望を共有できる人との間でつつましくネットを楽しみたい、そのかわり誰にも迷惑かけ内容に気をつけよう、っていうふうに気を使ってネットをやってる人は何のとらぶるも起こさない。




でも、上の記事の人、絶対自覚なかったよね。
むしろ、露骨に互助会行為やって、たいして面白くもない記事をズルをしてみんなに見てもらおうってやったから批判されたにもかかわらず、逆ギレして、その小学生の欲求を、皆の前で恥ずかしげもなく誇っている。

これはちょっとさすがに幼稚過ぎるというお話ですね。



幼稚というだけなら良いのだけれど、こういう態度をずっと続けているとそれは境界性人格障害への入り口になってしまう。

「自分にとっても気持ち良い態度を取ってくれるかどうか」が他人を評価する基準で一番大事ってのは本当に小学生で卒業したほうがいい。

そういう小学生のレベルのままネットに入った人が、互助会に取り込まれたり、自分で互助会行為をやってしまう。