ジャンヌ・ダルクについて⑤ 安彦良和「ジャンヌ」(後編) ルイ王太子との対決
なぜそうなのかっていうことはきかないで。
わたしにもそれはわからないの。
でも、神様がそう望まれているのよ。
この戦争はもうおわりにしなければならないって。
でも、人間たちの勝手な欲や、恨みや、意地にまかせていたのでは決着がつかない。
だからわたしに仕事をお命じになったの。
ロッシュの戦い
①シャルル7世の愛人アニエス・ソレルがいるためこちらに移動。
先に王太子軍がロッシュを確保する。
②王太子派ブルボン公の騎馬部隊5000 VS リッシュモンの部隊槍兵8000。
本来は王太子軍の方が総勢で優勢であったのに、王太子が独断でロッシュに赴いたため大敗。
ルイ王太子はオーベルニュへ敗走。
③リッシュモンから、ジャンヌと相対した時の話を聞く。
アランソン公がブルターニュ領バルトネーに侵攻
①サン・マクサンでの戦い
エミールは使者としてアランソン公のもとを訪れ、アランソン公からジャンヌの話を聞く。
アランソン公はジャンヌの件でシャルル7世に失望していた。
②アランソン公に捕らえられ、オーベルニュへ連行される。
③アランソン公は戦闘に破れ降伏。
この間、ブルボン公、オルレアン公、ラ・トレモイユ、ブルゴーニュ公は全く動かず。
ジャンヌの異端審問の再現
「どちらかを選べ。男の服と女の服だ。素直に女に戻って女の服を着るなら情けをかけてやろう。だがこのうえまだ男のふりをしたいというのなら、それはどこまでも神の定めた掟に背き、この俺にも逆らうということだ。その時は…」
「あなたも、よもやジャンヌが女の服を着ることを拒み、そのために火あぶりにされたのを知らないはずはないでしょうに!」
「無論、知っているさ!だからお前にもそれをしてみろと言っているんだ!ジャンヌを気取るお前なら、服と一緒に生き死にを選ぶこともマネられるだろうよ!俺はジャンヌが好きだ!おれは多分ジャンヌとうまくやれただろう!ただし、戦が上手でイギリスを憎んでいるジャンヌとならばだ!神がかりで説教じみたジャンヌなら用はない。それよりも十万の軍隊とハガネの武器をおれは味方にして、神の祝福する勝利をもぎ取ってやる!
ジャンヌは死んだ、灰になった……それで何が変わった!?イギリスは出ていったか!?神が正義を実現してくれるなら、聖書の民はもっと幸せだったろう!同じことだ!力以外の何に跪けと言うんだ!」
ジャンヌの出現に、みんな希望を見た。しかし、彼女に見た夢が果たされなかった時、ジャンヌなど最初から信じていなかったラ・トレモイユや、ジャンヌを評価しつつも依存しなかったリッシュモン以外は希望を持ってしまったがゆえにそれ以上の絶望を感じてしまった。バブル発生からの崩壊だわね。
ジャンヌを見殺しにしたこと、というかジャンヌがグランス全体の勝利をもたらさず途中でリタイアしたことの恐ろしさは、神というものを信じていたこの時代の人達に耐え難いものだったであろう。だから、ジャンヌロスに陥ったり、必死にジャンヌの信じた神を否定する。あるいは、シャルル7世の無能さを強く責める。そうすることによって、ジャンヌそのものを神聖化していった。
ジャンヌ以外の少女は、はたしてジャンヌと同じ苦しみに耐えられるか
①ジャンヌの最後の告解を聞いたマルタン・ラブニュ修道士と面会する
神は、信仰の深さ浅さで人を選んだりはいたしません。神の御心を推し量ることは出来ません。ただ祈り、願うのです。
そして信じたいのです。愚かしく罪深い人間の性よりも、神の御意思がお強いということを。人の理性が、悪い欲望に屈することがいかに多くとも。いつかはその理性の正しさの支えとなる我々の力を超えた力が、聖なる御意思としてこの世に示されることを私は信じたいのです。
イエス・キリストとジャンヌに祈ります。あなたが救われますようにと!
ジルドレは、人の弱さに直面し、さらにジャンヌの死に直面したことで神の救いを信じることもできなくなって崩壊した。しかし、本当に神を信じるなら、ジャンヌが死んでも尚、信じ続けなければならないのかもしんないね。そんなの人にできることかどうかわからないけど
1453年百年戦争終結後の1455年にジャンヌ復権裁判
途中王太子ルイ(後のルイ11世。1423-83)との不和や、愛妾アニェス=ソレル(1422-1450。女性として初めてダイヤモンドを身につけたとして有名)の政界介入などもあって苦しんだが、シャルル7世は、長く心残りであったジャンヌ=ダルクの復権において、1455年、勅命によってジャンヌ復権裁判を開かせることにした。
これにより、翌1456年ルーアンで、ローマ教皇カリクストゥス3世(位1455-58)は、1431年のジャンヌ宗教裁判の無効を宣言、無罪と復権の判決が出、ジャンヌは名誉を回復した(時が経ち1920年にはローマ教会で、ジャンヌを聖女に列し、フランス国民の英雄として讃えられたのであった)。