なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「幼女戦記」 とびきり優秀で冷酷なサイコパス主人公の魅力と恐怖を、アニメは表現できているか?

戦争が悲惨なのは良いことだ。
戦争なんてものを好きになる人間が増えずに済む。

本来ならば、軍人ほど平和を希求し、無駄飯ぐらいであることをのぞむ職業もない。
それなのに、こんな真似をすればするほど出世できるとは、軍は何かが間違っている。

真の愛国者は行動で示す。
エセ愛国者どもは口だけで表す。
だが、出世を目指すものならば、両方でアピールしてこそだ。
道具としての愛国主義は実に便利であり、そして道具は有効に使わなければならない。
(道具に振り回されるものは愚かだ)

戦争狂どもめ、よそで勝手に殺し合え!
災いあれ!!私を戦争へと巻き込むすべてのものに災いあれ!!

戦争において最強の兵士であるが、
戦争と宗教を類似させ、戦争だけでなく痛烈に狂信者を批判する主人公のキャラが凄く面白い。




幼女戦記アニメ4話見たけれど、さすが原作付きアニメ、必要のない部分は容赦なくすっ飛ばしてくる。


シュワルコフ中尉の205強襲魔導中隊のもとで新兵を率いて初の戦陣指揮を執るシーンはかなり重要というか面白いのでがカットされている。
なにせ、この戦いでは、ターニャは結構部下から「義の人だ」「お優しい方なんです」「帝国軍人の鏡だ」などと誤解され、いろいろかわいい描写もある。会話もユーモアがあってなかなかに楽しい。
なんといっても、ターニャが「ラインの悪魔」なのか「天使」なのかに戸惑う敵側の描写は、内面を知っている読者としてはかなり皮肉がきいていて苦笑させられるようなところだ。

見どころがたくさんあるのだが、この部分をあえて「1話のなんだかよくわからん描写」だけで終わらせていまうのはもったいない。



多分だが、アニメでは詳しい戦況を視聴者に考えさせる必要はなく、幼女の性格および、活躍するバトルシーンをメインで描こうという考えだろう。そりゃアニメ作る側の気持ちを考えたらよくわかる。「戦略」や「戦闘準備」の部分で絵として見せ場を作るのは難しいからな。なので、読者側としては、この作品について絵ではなくストーリ-も楽しみたいならある程度原作をさらっていく必要はありそう。実際、この部分はかなり長くなるが、極論すればヴィーシャさえいればよいのだからね。むしろいかにこの部分を省略するかでそれ以降を長く描けるかが決まるし、まぁ仕方ないか。でも原作の場合、この部分でファンが付いたといえるのでなんともなー。

内戦戦略が破綻しかかっている。
遅延防御を断念し、起動防御に移行することが決定された

原作においてはヴィーシャ視点はかなり重要。

一応書いておくと、ヴィーシャはモスクワ出身。徴兵されて軍隊に配属された。
ターニャはあまりに優秀すぎてよくわからないので、
このヴィーシャ視点を持って、この戦争の悲惨さや救いの無さを描く。

この戦場においては、「大砲」が圧倒的に有力。
故に観測手(および無線手)の存在は非常に重要。
しかも観測手が空を飛べるという設定なので、重要度は現実の第一次世界大戦を遥かに上回る。
その分、非常に狙われやすい。

→第2次世界大戦でも、
第一次世界大戦では塹壕戦術が有効であったという過去の成功事例にとらわれて
 フランスはあっという間にドイツの機甲師団電撃戦にやられてましたね」

帝国は、相手が一国ならばかならず勝つ。
ニ正面も戦えないことはない。現状がそうだ。
だが、兵站や兵員の輸送では、はやくもほころびが出始えめている。

もっとも重要なのは、主人公の「サイコパス」要素。

なんというか、アニメを見ていると、異常なキャラクターぶりを表現はしているのだが、
原作で得た印象とだいぶ乖離がある。

原作は、ターニャ本人の視点も多いが、外部からの視点を多く取り入れることにより
ターニャの異質性を際立たせる工夫がされている。
自分のことにというか、存在Xに対してのみ感情的だが、
それ以外には本当に計算のみで接し徹底的に無関心であり、
かつ「無能」に対してだけは異常な憎悪を燃やすという壊れっぷりだったのだが、

なんかアニメを見ていると、内面をべらべら喋るためか、ただの気性が激しいキャラに見えてしまう。

アニメが悪いと言っているのではなく、このあたり、アニメ化する際に
どうやって作っていくかという方針を決めるのが本当に難しいのだろうと思う。
アニメはアニメで頑張って作っていらっしゃると思う。


ただ、どうしても、原作をおすすめしたくなる気持ちにはなるよね。