なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

互助行為がダメとは誰も言ってなくて不正互助行為がダメなのだけれどそれが不正だとわからない人達がいる

d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20161221/p1

それと同じようなことをしているにも関わらず、「これは悪いことだ」という認識のない学生が登場し、誰でも持っていそうな常識的な善悪の観念に訴えることができなくなった。

バレたらまずいという意識がないから、堂々と同じ内容、同じ書体で書いて提出できたのだ。

そして、「それは悪いことだ」と初めて教えられたので、Aさんは「知らなかったことを教えて下さってありがとうございました!」と礼を述べた。何の衒いもなくハキハキと。

私が一瞬言葉を失ったのは、基本的な善悪の判断力がすっぽり欠けている(ように見える)にも関わらず、こういう妙な礼儀正しさだけはある点が、一種異様な感じに映ったからである。もしかして、「これはどうやら叱られているっぽい」と感じ、「教えてもらった」ということで礼を言えば、それで話が終わると思ったのだろう

なるほどなあああああああ。


いや、はてなにこういうやたらと不気味な人たちいるけど、


ほんとに悪いと思ってないし、未だに分かってなさそうな種族いるよね。



「悪いと知らなかったんだから罰を受ける謂れはない」という主張にも、虚を突かれた。

「今回だけは見逃して下さいよ」という感じではない。自分の主張はあくまで正しい、理に適っていると確信しての発言だった。「やったことが不正でも自分に悪意はなかった。その自分の内心のほうを尊重せよ。尊重するべき立場にあなたはいる」と、Aさんは私に訴えていたのだ。

私は以前に「はてな真意システム」というものを紹介したことがある。


主張内容自体に問題があり、その内容自体は理解されてその上で批判されているにもかかわらず、「私の真意が正しく伝わってない。伝わりさえすれば納得してもらえるはず」という勘違いをしている人

5年前はこの真意システムを使う人間は本当に限られていた。

頻繁に使う人間は青二才などごく限られたエリートバカみたいな扱いを受けていた。


でも、いまは、その青二才ですら常識人に見えるようなすごい人たちがいるんだ。


それを単にバカと言ってよいのかどうなのかが私にはわからないのだが、とにかく私らの常識が通じない独自の宇宙空間を形成してるみたいな種族だ。


いや、マジで社会人経験がほとんどなくてほんとに頓珍漢なことを言ってる青二才のことを大人だとか社会の常識を教えてくれる人だと思って尊敬してる若い人いるからね。



なんでこいつらこんな意味不明なことをやってるんだ?ってのがよくわからないのだ。





ちょっと前にはてなの一角にすごい頭の悪い「なんちゃってミニマリスト」の集団が出てきたことがあった。
教祖的ポジショんの人からして似非で、他の人もファッションでそれをやってるようなほんとになんちゃって集団。

で、この人達が延々と互助会的行為を堂々とやってた。

で、とにかく気持ち悪かったのが互助会行為そのものではなくて、批判への向き合い方。

最初はいろんな人が批判してた。

別に批判されたからと言って全てを受け入れる必要はない。そういう批判を受けてどう折り合いを付けるかが大事。

なんだけれど彼らは全ツッパ。 ゼロか一しかないような感じだった。

彼らほんとに自分のこと全く悪いと思ってない。

自分が悪いことをしてると思ってなかったから、他人が怒ってるのも全く理解できない。

ただ批判されたということに被害者意識を持ってるだけ。

批判されたら批判されてる内容を検討する以前に「批判という行為そのもの」を受け付けないというスゴイ反応をみせた。

これほんとに興味深いなと思ってた。

ナチュラルボーン無敵クンなんだよね。



ネットのやり取りで擦れたりこじらせてそうなったわけじゃない。

ネット始めたその場から、周りのこと一切無視して自分たちで勝手にルール使って勝手に行動する。

一般人にとっての「旅のはじはかきすて」とか「新春花見大会のおっさんどものクソみたいなノリ」に近いモードが常時ONになってる。

周りから文句を言われても全く気にせず傍若無人にふるまうその様は本当に脅威だった。

どうやって育ったらこういう集団が出来上がるのかってすごい不思議だったのね。




でも何のことはなくて、普段からリアルでそんな感じなのか・・・・と。



で、これについて上の記事は最後にこうしめている。

「うまくやってる奴は一杯いる。自分だけ損することはない。いや、みすみす損をするのは悪だ」という価値観は、この社会に行き渡っている。その一方で、「積極的にコミュニケーションし、気持ちを人に伝えなさい。そして堂々と自己主張しなさい」という啓蒙も行き渡っている。

何かあると思わず「最近の若いもんは‥‥」という定型句を呟きたくなるが、若者は社会からのメッセージに忠実に従っているのだ。つまり大人である私たちのしてきたことが、巡り巡ってもたらした結果だと言うしかない。


いや、、、本当にそうなの?


私はそういう話じゃなく「叱られない」「批判・否定されない」を続けてきた結果なんじゃないのかなと思うのだ。


こういう問題が起きた時に、まともな人ほど「自分たちが悪影響を与えてしまった」って思う。


名前忘れたけどちゃんと名前の付いた心理学効果でそういうのがある。



でも、この人達その逆でしょ。何か問題が起きても「自分は関係ない」って思うタイプ。



仲間内以外に対してサイコパスじょうたいと言うか、逆に仲間内にエネルギー使いすぎててそれ以外に世界が無いみたいな状態。



こんなん、大人の教育とは別の何かが起きてるんじゃないかって考えたほうがいいんじゃないかと思うがどうだろう。





まぁ考えても意味ないから諦めて、もうこの辺から全然本題と関係ない別の話する。


一般人よりも30代のオタクの方がラブライバーってものが理解できないんじゃないだろうか

私はオタクなのだけれど、オタクと言っても今の高校くらいのコは全く理解できないところある。

ラブライバーがやたらとラブライブのグッズをカバンにベタベタ付けまくってるの。

派生して腐女子系アニメの作品はラブライブ以外でも同じようなことやる人増えたけど。

あれ全く理解できない。同じことやれって言われたら無理だ。

あれ、多分一般人よりも私みたいな30代のオタクの方が戸惑うんじゃないかと思う。

似たようなものとしてコミケの時にエロゲのパッケージの袋持っていく人たちがいるでしょ。

私はこれは理解できるんですよ。褒められたもんではないしやったこともないけれどアレだったら自分もギリギリ耐えられる気がする。

コミケ」という文脈の魔法が機能している間は、周りに似たようなやつがいればなんとか耐えられるだろうし一人でなくて二人とか三人とか集団で行動していれば一日くらいは平気なんじゃないかと思う。

アレは言ってみればキモオタたちにとってのシンデレラ的な魔法なん。別に自分自身は変身しないけれど集団となって巨大な魚となるというか固有結界を発動させて周りの世界を塗り替えるみたいな感じの魔法なんだよね。その日だけはオタクを全面的に外に出せるようになる。というその程度の魔法何だけれど、別にそれでいいよね、と。そういう魔法が機能するからコミケってスゴイと思ってたんね。


でも、常時、学校に持っていくカバンとかにラブライバーの証明たるアレをガチャガチャ扠せながら移動する今の若い人たちはなんか完全に別だと思う。24時間365日、一人のときでもシンデレラの魔法がかかったみたいな状態なわけでしょ。

アレほんとどういうしくみで可能になってるんだろうって不思議に思うのね。

そういうのやってる若い子の脳みそってどういう状態になってるんだろうって不思議に思う。

確かに周りにそういうのやってるコが2~3人いて、そのコたちで集まって行動する間はまぁギリギリ有りだと思う。

そういうイベントの時にイベント会場付近でそういう装備をするというのだったら昔からある。

でも、一人ぼっちの時に、しかも日常的な空間で、ラブライブグッズをみんなが見てる状況で平気でジャラジャラ言わせてる若い人たち。

これはもうワタシ的にはもう、「セーラー服おじさん」と何も変わらないくらい心臓強い行為だと思う。

でも彼ら彼女らは別にそれを気負わずにやってるよね。 それがホントすごい。 

あ、特にオチはないです。すごいすごいっていいたかっただけ。