なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ヨッピーさんは良い意味で持ってる人だなあと感じた

news.yahoo.co.jp/yoppy/20161209-00065195/
炎上中のDeNAサイバーエージェント、その根底に流れるモラル無きDNAとは(ヨッピー) - 個人 - Yahoo!ニュース

正直spotlight に関するこの記事について、わたしはヨッピーさんは近いうちに自滅するフラグが立ったと思っていた。


ゲームに関する記述は、わたしも読んだ時に気になっておかしくね?ってツイートをしたし、そう指摘する人もいたが、そういうコメントが賞賛のコメに埋もれててあーこれいよいよやべーと思った。


ヨッピーさんの記事は、クソ長いし形式がワンパターンなのでマンネリ化しつつあったけれど、ちゃんと取材をしてその過程まで見せていること、自分がよく知らないいい加減なことを書かないこと、あたりがブランド価値だと思っていた。

これは逆にいうと網羅的な視点があるわけではないし、専門性があるわけでもないから、結構取材元によって記事の記述のが偏る可能性があるということである。意図せずに取材先が一方的に語る内容を検証しきれずに提灯記事を書く羽目になることだってあり得るし、偏った観測範囲からの記事を書くことだってあり得るというリスクがあるということだ。


わたしはこれ自体は悪いことだとは思わないし、こういう形で多様な側面からいろんなことを語る人がいてくれればそれで良い。


だが、社会派記事となるとそれでは不味かろう。網羅的な視点が必要だし、一部ソースにやたら偏った情報や視点、さらに言えば確認されてない筆者が詳しくない分野にまで言及することになると、色々とおかしくなる。さらにヨッピーさんは特定の分野には感情むき出しにして書く人だ。



以前の蹴鞠記事がすでに危うかった。ただ、あの時は言及範囲を狭くかぎろう、あんまり知らないところについて語るのはやめようという自制心は大いに感じられた。むしろ流石ヨッピーさんやなという記事ではあった。


しかし、今回は自分の中ではイエローカードものであった。明らかに脇が甘い。強い情念は感じるし、とても努力されているとは思うが、センセーショナルである代わりにGIGAZINEの村田マリ叩き記事同様、中立性や記事の信頼というものが犠牲になっている。個人記事だからいいんだけれど、すでに社会派としての期待が高まってきて、はてなの読者が無批判にそれを賞賛してる姿を見て、あ、これこのまま行ったら事故る、、、という嫌な感じが強まっていた。スプリングウインドコース入りまーす的なアレだ。


他のインタビューでも言われていたが、DeNAのけんで焦りや功名心があったのかもしれない。今回だけかもしれない。でもこの記事が無批判で賞賛されるようなら多分暴走するだろうなと。




ところが、その初動できっちりブレーキがかかった。しかも彼の雑さを指摘する人が、いい感じで態度クッソ悪く、理詰めではなく感情論で迫ったため、ヨッピーさんとしてもサクッと謝罪しやすく、むしろヨッピーに同情票が集まる流れになった。これ理詰めで来られたら結構気まずい雰囲気になってたと思う。

何も考えずにヨッピーのこと鵜呑みにしてる読者も、ヨッピーさんでもこういうことあるんだなあと認識できただろうし、それでいてヨッピーさん頑張れ、という形に落ち着いたのだから誰も不幸にならずに済んだ。



そういう意味でヨッピーさんは持ってるなあと思う。


今回の記事は決して軽いではなく、結構な分岐点だったはずなので、一番ダメなのは、些細な揚げ足取りしてんじゃねーよと言ってる一部のはてなブックマーカーである。批判すべき時は、できるだけ深刻にならないうちに批判するべきだ。そうすれば早い段階で軌道修正もできるし、長い目で見れば本人のためになる。些細なことであればあるほどきちんと見てあげるべきだ。そう、批判ではなくきちんと見る、というのが大事。


はてなブログのお花畑仲良し村ごっこの感覚で、真剣に仕事として記事を書いてるヨッピーさんを測ってんじゃねえよ。批判するな厨の奴は自分の仲間以外の話に口出すなバカが。間違いに見て見ぬ振りをしたり、斜め読みして雑に褒めるみたいな感想ってブロガーを殺す最悪の毒だと思うんだよね。読者じゃなく毒者だよ。