なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

めだかボックスの球磨川くん

炎上する才能、ねえ、、、


うん、才能あると思うよ。マイナスだけど。



その上でいうと


書き手は伝えたいことは炎上させずに書くことはできないのか?それが書き手にとって最善の手を尽くした文章なのか?


炎上するような書き方をすることによってどういう読者に届けたいのか?


炎上するような書き方をするメリットは書き手以外にあるのか?デメリットについてはどう考慮しているのか?


書き手は炎上させる才能が認められたいのか?炎上させる能力を伸ばしたいのか?炎上させる能力に依存することで自分が伸ばしたい才能は死ぬのではないですか?



説明するつもりもない雑な喩えをすると、炎上記事書く人というのは、粉飾決算やったら企業と同じか、よく言っても財務レバレッジかけまくってる企業なのでそこに投資(応援したいとは思わない。




炎上させる才能それ自体は無価値である。企業に例えるなら破綻を恐れず借金することができるというだけの話でありそれ自体には価値がない。無知でもバカでも同じことができるからだ。持続できなかった炎上マンは、ただのリスク管理ができないバカである。世界はそこまでバカに優しくない。


本当に価値がある炎上の才能は、山ほど借金をしたり投資家騙しまくった上で、きっちり生き延びてピカピカの事業をちゃんと建てられることです。炎上して悪名でもなんでもいいから耳目を集めた上で、何かしらそこに価値あるものを打ち立てられたなら、クソ株という評価は変わらなくても存在意義は後から付いてくる。


この基準で言うと、魔理沙アイコンやトマトは一定の評価はつけられるだろう。ソフトバンクとしてではなく、gumiやgunosy的な位置づけくらいだが。クソ株愛好家に愛される資格はある。



逆に言うとチノアイコン、てめーはダメだ。

炎上してしばらく注目度を集めた上でしばらくしたらブログごと消そうとする奴は、決算ごまかして上場ゴールした後ドロンするクソ経営者であり、あるいは企業だまくらかして売りつけるクソインキュベートファンドであり、今わかりやすい例を言えば村田マリだ。

消えた時点で有害なゴミであったという評価になる。今回はまだ生きているが、すでに数回持続可能性に失敗している。つまり無責任にゴミ撒き散らすだけで終わっている。持続可能性あるいは、有意義な何かに転化できないなら、ただ炎上することだけしかできないなら、存在意義はマイナスでありそういう才能は無価値以下のゴミという評価になるだろう。

幸いにして、無価値なゴミでも今の仕組みならPV は金に変えられる。お金が欲しいならいまのまま活動すればいい。そういう才能が欲しかったならそれで満足だろ? よかったね。私は全く憧れないです。



他の人はどうか知らない。少なくとも私は、炎上するだけの才能の実在を認めた上で、才能ではあるがただのマイナスであり、ゴミであると認定する。


わたしはめだかちゃんではないのでな。嫌いなものは単に嫌いだ。



めだかボックス球磨川くんが人気があるのは、才能ゆえではない。マイナスでしかない才能を抱えなんども何度も負けつつも、やたらひねくれてるけども、それでも諦めないからなんだろう。

マイナスの才能をプラスの才能だなどと偽らず、それでいて手放さず、その上で勝つというのはやはり物語的には美しくねえよなー。そういう人間でも物語と違って勝てるのは現実ってクソだけどおもしれーよな