なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「この世界の片隅に」を映画で見るということ

①直接の感覚
アンネ・フランクの日記を読んだことが有ります。
このときの感想ですが、そのまま読んでもあんまりスゴイと思わなかった記憶があります。実に小生意気な内容の日記で、戦争も何もない平常時に読んだら、その青二才ぶりに苦笑してしまうような話です。短気な女の子が「日常における他愛のないこと」にしょっちゅう文句を言っては、意識の高いことを言ってる、そんな話です。本当に前提を知らなければ、ちょっと賢い子が背伸びして書いてるなーくらいの内容です。嘘偽りのない感想として、私は本で読んだ時その程度しか受け止められませんでした。


②理性で補う部分
でも、この日記は、ユダヤ人を取り巻く虐殺の地獄の中で、隠れ家に閉じこもり、外を見る自由もなく、いつ殺されるかわからないという恐怖の中で書かれたものであり、そういう状況で、マクロな状況を感じさせず、「日常」を感じさせる日記を書くことができた人はそうそういない。実際にそういう記録は殆ど無い。 みんな「壊れていく世界」に怯え、「将来編の不安」にとらわれていた中で、彼女は目の前の現実を日常としてとらえていた。「日常における他愛のないこと」を考えることが出来た。それがとてもスゴイ。
これを踏まえてもう一度読み直すことで、鈍い私も少しは深くあんねの凄さを感じることが出来たかもしれません。



③文章だけでは、①と②を完全に合致させることが難しい。
それが分かっていても、その壮絶さを、文章を読んでるだけでは同時に感じ得ないわけです。頭で考えないとその2つが一緒にならない。少なくともリアルタイムではなかなかそれが難しいものであると私は思います。

マンガで「この世界の片隅に」を読んでるときもそうでした。頭では分かるんですよ。すずさん視点を通してみてるからほのぼのして見えるけれど、実際はそんなに甘いものではなかったと。でも、マンガ読んでるだけだと、その当時のリアリティが同時に受け止められない。十分に理解できたとは言えなかったと思う。



④アニメーションになった時のインパクトはとても大きかった。
それが、アニメーションになって、背景に、音に、そういったものが揃ったときに、初めて胸に迫るものが確かにあったんですよね。言葉で言うと臨場感とかそういうチープな表現になってしまうのだけれど、その時代の空気にぐっと近づく感覚ってすごく大事なんだと改めて思う。それがアニメーションとか映像の力なんだと思う。


この部分をもっと丁寧に表現できたらなあとは思うのだけれど、難しいよね……



おまけ アンネ・フランク之名言など

あなたのまわりにいまだ残されているすべての美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう。

私の想像の翼は、閉じ込められても閉じ込められても、はばたき続けるの。

太陽の光と雲ひとつない青空があって、それを眺めていられるかぎり、どうして悲しくなれるというの?

世界をよくすることを始めるのに誰も一瞬ですら待つ必要なんてないんです。

私達は皆、幸せになることを目的に生きています。私たちの人生は一人ひとり違うけれど、されど皆同じなのです。

大人の方が今の私たちよりずっとつらい目に遭っているというのは、本当ですか。いや、私はそうは思いません。

だれもが心に良い知らせのかけらをもっています。それは、自分がどんなに素晴らしい存在になるのか、まだ気づいていないということ!どれほど深く愛せるのか!何を成し遂げるのか!自分の可能性とは何かを!

こうやって取り出してみると、アンネ・フランクスゴイやつだと思う。

ただ、実際に日記読んでたらこういう「特別」なだけの人間じゃないんだよね。

上で「面白くなかった」って言っておいて何だけど、
ちゃんと日記読んで、普通の女の子であったんだよ、ということを思い出してやってほしいなとも思います。

すずがここで国を守るんも
わしが青葉で国を守るんも
同じだけ当たり前の営みじゃ。
そう思うて、ずっとこの世界で普通で、まともで居ってくれ。
わしが死んでも一緒くたにして英霊にして拝まんでくれ
笑うてわしを思い出してくれ。
それができんようなら、忘れてくれ