なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

高いレイヤーの話と低いレイヤーの話

//business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/102700067/

小田嶋さんがこの問題について、綺麗なくらいにジェンダーの匂いを消臭してて草生える。まるでそんな問題などなかったかのように。

正確に言うならば、話のレイヤーをあげることによって、その問題を、その他多くの問題のなかに埋めちゃうかんじか。

化粧の問題を特別扱いしてない。あくまでその上位レイヤーのマナー警察の問題として処理してる。

これ意図的なんだろうなと思う。


このレイヤーから見ると、公共やマナーを盾にして他人の行為や表現物を制限しようとする人はみんな同じ扱いにされてしまう。(この高いレイヤーからの総括は、はてな用語で超高度爆撃と言われていた時期があり、某内科医が得意としていた)



はたしてこの記事に賛同してる人はそこがわかっているのだろうか。安易に同意すると、鉄道むすめや電車問題といった細部の論点に戻ったた時に、この原則を忘れずにいられるのだろうか。それとも自分がかかわるもんだいになったらすぐその原則を忘れたり、特殊ルールを持ち出したりするのかが問われることになるがわかっているのだろうか。




この問題、最初に騒ぎ始めた人は、間違いなくマナーの話ではなくジェンダーの問題として認識していたはずだ。この記事を読んだことでその人たちの不満は解消されるのか。それとも抽象的なマナーの問題として回収されることには納得いかないと述べるのか。小田嶋さんの記事で納得するというのであれば、この問題はジェンダーの問題として騒ぐ程度の話ならジェンダーの話はいらなかったということになる。

でも、きっとこの話はそれだけではなかったはずなのだ。私はむしろそこの話に興味がある。だから小田嶋さんの記事で納得してしまわないでほしい。というか、小田嶋さんの記事、細部はこじつけまくりだしツッコミどころ多いはずだ。





多分それぞれの話題において、こういう細部の話は必要なのだ。もちろん、原則というかベースの部分の確認は必要だ。しかしそこで話は終わりではない。その先の話は大事だと思う。この辺りのレイヤーを整理した上で話が展開されることを期待してる


高いレイヤーから原則を確認する人、低いレイヤーで個別具体的な話をする人、それぞれに意味がある。だから、読み手も今どの高さで話をしているのかをきちんと理解する必要がある。