なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

生きづらさは特定の人たちだけのものではない。


「生きづらさ」の正体とは?:日経ウーマンオンライン【「自尊心」養成講座】

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生きづらさってそもそもなんだべさってのはみんな考えるよね。





みんな自分の生きづらさを感じていて、その正体を知りたがり、語りたがっている


それにしても、「生きづらい人の受け皿がプロブロガーだけ」という文面はあまりに意味不明である。



「生きづらい人とそうでない人がいる」かのような書きぶりだ。そうじゃないだろうと私は思う。



もちろん、文章中で、この言葉で具体的にだいたいどういう層を指しているか説明はされているが、それなら、そういう言葉を使わないでほしい。「就職がうまくいかない人」とか具体的に書いてくれないと、問題についてちゃんと話し合うこともできない。




サラリーマンでも生きづらいよ。健常者は生きづらさを感じてないわけじゃない。そんな雑に生きづらさという言葉を扱わないでほしい。自分に近い人たちだけで「生きづらさ」を独占しようとしないでほしい。それ以外の人たちは私たちより悩みが楽だろうなどと思わないでほしいのだ。




これ間違えてしまうと、だいたい人を傷つけることになる。




以前ブルーマンさんが、「同じ鬱でも、自分のようにブラック企業で疲弊したとか、毒親に育てられたという人でない人たちのいう鬱は甘えだ」だみたいなことを書いて、さすがにまずいと思ったのか消したということがあった。




別にブルーマンさんだけを責めるつもりはなく、こういう考え方の人は割と多いと思う。




障害者の人たちや、病気の人たちが思ったように職に就けないというのは確かに大変だと思う。




そういう人たちが自分の生きづらさと向き合うのは大事なことだが




「自分のつらさをわかってほしい」という気持ちが暴走して、「あいつらがつらいというのは甘えだ」「私と比べたらたいしたことない」などと言い始めたら、あなたが他人を苦しめる側になる。



みんなひとそれぞれに生きづらいと思うところがある。



問題なのは「生きづらい」という感覚ではなく、個々人がそう感じるその原因をもっとよく考えることだ。




「社会の話」は大事だが、まずそれは後回しでいい。



まず自分の生きづらさにきっちり向き合って、それをちゃんと理解できない人が、「人のため」なんて言ったところで話にならない。



それができずに社会に向けて呪詛をまき散らすようなら、先に自分の治療をやれ、という話になる。









でも、鬱になる人たちってだいたいしんどい時に助けてって言えない人たちなんだよね。

みんなが社会の話をするのも、「まず、助けてって言う権利を認めてくれ」っていう叫びなのかもしれないと思うと何とも言えない。

社会の不公平や、個人が己の窮状を訴える話題になると、途端に多くの人が「甘えるな」と言い出す光景は何度も見てきた。


なにか問題があった時にすぐ己を責めちゃったり、ごめんなさいって言ってしまう人たちが多いことを知ってる。

あるいは限界まで黙って抱え込んで、ある日突然パンクしちゃった人が知り合いにいる。

割合でいえば、「怒り」や「呪詛」を書く人よりこっちの割合の方がはるかに多いし深刻だろう。









私は「まず自分が悪かろうが悪くなかろうが、無理なことは無理と認めること」「精神論ではなく事実を味方にすること」ってのをいろんな本を読んで学びましたよ。

公正世界仮説 - Wikipedia

ハイパー・メリトクラシー - Wikipedia



私の生きづらさとのむきあいかたについて

まぁなんというか、ネットではふわっとした話しか書けないし、ほかの人の参考にはならないと思うけれど。

「生きづらさ」って万人に共通の問題で、程度の差はもちろんあるけど、

「自分だけがしんどい」「誰にも理解してもらえない」って思うとほんとに行き詰っちゃうから、

誰も批判しないような形で、とにかく自分の生きづらさと向き合って、それを身近な人に伝えてみるというか、

それを分かち合えそうな人を探す、みたいなことがすごく大事だと思う。



私は自分の障害や病気のことも、経済的な面についても、オタクであることにつちえも、ブログについても

それぞれの悩みについて、バラバラにつながることで、その人たちと話を分かち合うことで何とか生き延びられてる感じがある。

ささやかだけど、自分も少なからずその人たちと一緒にいると、生きててもいいんやなとか存在意義みたいなものを感じる。

まずはその程度でいいと思う。

いきなり社会を変えなければいけないとか、社会の悪を糾弾しなければいけないって話に飛びすぎないことだ。

そんなのは個人で背負えないし、背負えると思ってるなら認識が雑すぎる。 まず自分と自分の周りだ。

そこからちょっとずつ活動の輪を広げていくべきだろうと思う。



【進化心理学】“生きづらさ”の出処を考える - NAVER まとめ

結局のところ、現代社会でいわゆる「自分らしさ」を発見するには、内にこもって、自分の好みや能力ばかりを考えていてもだめなのです。
それでは狩猟採集時代にふさわしい自分しか見つかりません。
やりたいことを探すのではなく、環境の中にある仕事をやりたいことにしていくことが重要なのです。

残酷だけれど、この考え方を持っていない人は、プロブロガーやら起業したいというクソ株を、クソ株と思わずにつかんで死にます。