なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

私がはてなでブログを書き続ける理由

数日前から
トピック「ブログを書き続ける」 - はてなブログ
について何か書こうと思ってたんだけど、私にとって何か書くというのは日常的すぎるし
逆にそれがブログである理由は実は全然無いので、どうしようかなーと思ってた。

そういう時に下の記事読んで、あ、こういうことかも、と勝手に思ったのでそれについて書きます。

犬を傷つける罪の重さが、その犬が持っていた役割次第で変わるなら、それちょっとつらい - ←ズイショ→




本題とは関係ないところなんだけれど

「そうなんだ、じゃあ仕方ないね」と思うんだけどやっぱりそれを言う時僕は少し腹筋に力を入れていると思うんだ

人間は馬鹿で短絡的だから二つのことを同時に細やかに考えることが難しくて、そんななかでなんとか「もっとよくする方法」としてとても大事な問題は当たり前にとても大事なことなんだよって大前提にしちゃうのがたぶんポリティカル・コレクトネスってやつで、これはこれで何も悪いこっちゃないしそういう方法を採用したお陰で昔よりよっぽど良くなったことはたくさんあるんだろうしこれからももっと良くなるんだろうと思うし、だけどその一方で、この方法を使うことによって別に本当なら飲み込まなくていいような人それぞれ考えて思って言うぶんには自由で喧嘩でも何でも好きにすればいいような話まで一緒に飲み込まなくちゃならんようなそういう息苦しさがあるような気がするんだけどどうすればいいんだろうか。

こういう納得いかないことについて、ある程度すっきりするために自分は「書く」という作業を必要としています。
私が書いているものは、根本的にはこの「飲み込みにくいもの」に遭遇した時に、
「そのままでは飲み込まない」から「なんとかごまかして飲み込めるようにする」ために、
自分の中でちょっと試行錯誤してみたその残骸、みたいな感じです。


自分が何かを書く場合、自分としてはポリティカル・コレクトネス(PC)に意識的に寄せているつもりです。
自然に振舞っていると、自分がPCからどんどん外れていくような恐怖があるからです。
ちなみにここでいうPCは「常識」とか「その場が議論抜きで正として受け入れているもの」くらいの意味です。


手順としてはこんなかんじです。

①なにか考えるときは、まずPCをあえて意識します。
②それに対して、自分の考えはどうだろう、を考え、それがどのくらいズレているか考えます。
③そして、なんでPCはこうなってるんだろうとか調べたり、疑ったりしてみたりします。

この時点で納得できればそれで終わりです。 ここで納得できなかった時は

④自分はどこまではPCを受け入れられて、どこから先は受け入れられないのか、そういうことを考えます。
⑤そして「これを自分が受け入れるためには、自分の中ではどういう但し書きが必要か」とか考えます。
⑥この「但し書き」を見つけるという、他の人からどうでもいいささやかな抵抗を形に残しておくことで、自分はいろんなものを飲み込むことが出来ます。これをやらないと生きていくのがツライです。

自分の許容範囲や、受け入れるための条件は、その時時によって変化します。
ブログに書いているのは大体が③です。
④以降は個人的なものです。時々どうしてもムカツクと⑥について書くことが有ります。


…という感じで、何かモヤモヤすることがあったら、こういう感じのめんどくさい処理が必要になり、
この処理をすべて頭のなかでやることが出来ないから書きます。書くことでようやくスッキリします。

ちなみに、なぜここまでしてPCを重視するかというと、
経験上、9割以上はよくよく考えてみたらPCが正しかったからです。
というより、「自分の方がおかしい」ことが多かったからです。
簡単に「常識」批判を始めたり、常識に従わない俺格好いいと思ってる人は羨ましいとは思うけど自分にはムリだな、と。




そもそも書いて思考を整理してからでないと、他人とコミュニケーションが出来ない

私は子供の頃からコミュニケーションに齟齬が生じやすい人間でした。特に人の話をきいても納得出来ることが少なく、しまいには癇癪を起こしてケンカをすることが多くありました。小学校になって、いじめにもあい、三者面談でも親に「あんたの息子はちょっとおかしい」と言われて病院にいったら「発達障害っすね」ということになったり、まぁいろいろありました。


当然家族とも会話がうまくなりたたないことが多かったのだけれど、父親から「会話をしていると、こちらもお前のいうことがよくわからないし、お前もこちらのいってることがよくわからないからどうしてもこじれてしまう。まずお前が思ったことを全部書いてご覧」というアドバイスを貰い、実行してみたら、ようやく家族と意思疎通ができるようになったという経緯があります。


自分が思ってることを家族が理解してくれて、それに対して、ちゃんと意見がかえってくる感覚は、普通の人には当たり前かもしれないけれど私的にはメチャクチャ嬉しい事でした。「○○○くんってこんなこと考えてたんだね」って母親が呆れ顔で言ってくれたのは本当に嬉しかった。いま書きながら思い出してちょっとウルっとしてます。


それから数年間訓練をした結果、そこそこの意思疎通は書くことを通じなくてもできるようになりました。しかし、自分にとっては、書くことによってはじめてコミュニケーションがはじまったのであって、コミュニケーションの起点はやはり書くことにあります。だから、思ったことがあったら、それを書かないということのほうが自分にはありえないことです。



はてなでブログを書き続ける理由

そんなわけで、小学校の時から毎日なんか書いてます。
PCで何か書くようになったのは、大学生になってノートPCを手に入れてからです。
それまでは延々手書きだったのだけれど、たくさん書いた割に字が一向にうまくならなかった。

ネットで何か書き始めたのは楽天日記が最初。
就職してからだからなんだかんだ8年くらいやってんのか。すげえ。

それから
楽天日記(ネットDE交流。すぐ挫折)
 FC2BLOG(ゲーム感想)
  →LIVEDOORブログ(東方ニュースサイト。トラブルあって閉鎖)
   →Amebaブログ(マンガ感想。そこそこ長い)
    →はてなダイアリー(仕事日記。すぐ挫折)
     →mixi(オフ会とか)
      →SeeSaaブログ(アフィリエイト。即挫折)
       →はてなダイアリー(マンガ感想。閉鎖)
        →増田
         →はてなダイアリー青二才)
          →はてなブログ(お前のことが好きやったんや)
           →はてなブログカキツバタ

という感じです。

正直書くことはともかく、ブログそもものに手間かけるのはめんどくさいのでキライです。
はてなは書くこと以外何もしなくていいので気に入ってます。
知り合いがいるというのもでかい。

でも、ブログはほんとなんでもいいです。
書くことで、人とコミュニケーション出来る場所があればブログでなくてもなんでもいいです。
それでも、はてなブログで書いてきたことで、人とつながりができたことはすごく感謝してます。
はてなさん、ありがとう。そしてありがとう。