なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

エンジョイVSガチという構図から「浮動層」こそがマジョリティになるという現実認識へ

最近私がよく見ている青二才の人の記事がよくホッテントリするようになった。それはめでたいことだと思うのだが同じ時期から私のつまらない記事*1まで時々ホッテントリするようになってしまった。前者は書き手の実力がアップしたと理解すればよいのかもしれないけれど、後者はあきらかに変だ。なんというか、ほかにも個人的には「?」と思う記事がよくホッテントリするようになっていることが多くなり、周囲の変化にとことん鈍感な私も、さすがにはてなのユーザ層は明らかに変化してるんじゃね?と感じるようになってきた。


以前このような記事をよんだ。書き手に大きな変化があるのかどうかはわからないけれど、私も、すくなくともはてなの評価エンジン(つまり受け手)は変化したと感じる。
http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20140429/p1

さて、はてなが変化すること自体はいいとも悪いとも思わないけど、実際、なにが起きてるのかな、というのはちょっと気になる。

読み手を「受動層(ライトユーザー)」「浮動層(サブオタ)」「求道層(オタ)」に分類してみると

と思っているところで読んだこの記事が面白かった。
http://toyokeizai.net/articles/-/38827?page=4

マキタスポーツさんは、消費者を「受動層」「浮動層」「求道層」の3つに分類する。
「受動層」は情報を真に受けやすく、感動しやすい。メディアの情報をそのまま受け入れる傾向がある。
「浮動層」は、情報を積極的に取り入れるが、突き詰めては考えない。
「求道層」は、情報を咀嚼して分析する力がある。批評するだけでなく、情報を発信し、作り手に回る人もいる。

J-POPに感動しているのは主に「受動層」。
J-POPをネットで揶揄しているのは主に「浮動層」だという。「この『浮動層』の人たちは、実は音楽にさほど興味がない。世の中でウケているものにツッコミを入れて優位に立とうとしながらも、感動したいという心理がある」と分析する。そして「浮動層」の数が最も多い。その状況は、「浮動票」が多い政治の世界と似ている。「政治にさほど関心がないのに、文句だけ言う人が大勢いますが、政治は結局、民意の反映でしょう。それとまったく同じで、J-POPも大多数の民意の反映であり、合わせ鏡なのです」

個人的には「浮動層」が批判・揶揄したがるのは、J-POPそのものではなく、J-POPを好む「受動層」の人たちであることが多々あるような気がします。基本的に、「もの」や「こと」を直接批判する人はそれほど多くないと思うんですよね。誰か「ひと」を、あるいはそのひとの集まりであるクラスタを批判したくて、その理由づけとしてなにか「もの」を使うという人が多いと思います。

自分自身がそうだから、そう思うだけなのかな?



「浮動層」こそがいちばん多いという現実認識が自分にはとても面白かった

それにしてもこの分け方おもしろい。
今まではエンジョイVSガチという構図でものごとをとらえていた。そして、その中間にあるアイデンティティの真空地帯で、どちらにもなれない人がニワカを叫ぶ、という感じだと理解していた。つまり「エンジョイ」と「ガチ」ははっきりした存在として認識していたのに対し、その中間にある人たちは、ぼんやりした輪郭でしかとらえきれていなかった。

http://possession.hatenablog.com/entry/2013/10/07/001124


まちがっていた。そうじゃないんだ。「浮動層」の部分が一番多いんだ。ここが、マジョリティなんだ。


浮動層の定義をもういちどみかえしてみる。

情報を積極的に取り入れるが、突き詰めては考えない。『浮動層』の人たちは、実は***にさほど興味がない。世の中でウケているものにツッコミを入れて優位に立とうとしながらも、感動したいという心理がある

受動と求道の中間の位置にいて「表現者としての自己顕示欲求と、それでいてユーザとしての感動も求める」という感じで、下手すると分裂してしまいそうな欲求。 こういうめんどくさい欲望を持つ人間は、そういう欲望を持ちながらも自分を表現できる力をもってないことが多い気がする。あと、ぶっちゃけこういう欲望を、仲間内ならともかく公に向かってダダ漏れにして書くのは、たいへんはしたないような気がする。だから基本的にははてなでは今まで可視化されにくかったか、ネットでは発言しても影響力を発揮しにくかったり、冷笑されたりするなど、この人たちが存在感を発揮するには壁があったんじゃないだろか。


今後ははてなでも「浮動層」こそがマジョリティになるのかな

ただ、今後、書くことの敷居がますます下がったり「自己顕示欲求」を満たすことが容易になり、「自分の欲求を公に向けて堂々と書くことへの抵抗」が下がったりして、そういった欲求をだすことが自然になってきたら、浮動層としての自分をだすことのマイナスよりプラス面が優ってくるようになることがあるかもしれない。そうなると、浮動層を代表する意見を堂々と書く人が結構めだつようになってくるのかな、と思っている。具体的にいうと、青二才さんのことなんですが。

僕が書いたものがマジョリティの位置関係の人をうまく揺さぶったり、全体のマジョリティでなくても一部の層のことをちゃんとして共感を得るのは、その層と自分の関係を調べ込む結果であり、個々のポジションをちゃんと把握しようとするからなんです。ある程度数字出してるブロガーは大体できる技術だが。ブログの中に「私はこう思います」というコアをきっちり書ける人は多いんだけど、ヒットしてる人はその意思とスタンスを「誰に向けて書いているか」がもっと明確なんです。「私はこう思います」という内容の正しさや精度ばかりに彼は目が行きがちですが、それは意外に重要じゃないんです。必要だけどね

https://twitter.com/tm2501/status/465935392756072448

今はそうじゃないかもしれないけれど、今後はこの浮動層=青二才的欲求を抱えた人々を刺激するコンテンツが今後伸びるんちゃうやろか。



で、浮動層がマジョリティになったらどうなるの?

とはいえ、そういう流れになるのかなーという点は理解できたとしても、
いろいろともにょもにょするところも多くあります。

「浮動層の意見」「青二才の主張」が目立つようになったとして、それってなんかいいことあるのですか?と。 
そこが私にはよくわからない。

http://www.carpefidem.com/column008.html
https://twitter.com/magic_mackee/status/475120341111422976


で、それについて、私はどうしたらいいんですか?誰か教えてください(受動層)

*1:書き手の私が、他者に見てもらうことを想定せずメモ程度に書き殴った記事のことです