なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

あなたの感情は誰も否定できないけれど、その感情に理屈をつけてその理屈がおかしかったら当然批判されるよという話

…こういうことばっかり言ってるから、誰も私に悩み事を相談してくれないんですよね(オチ





君の気持ちはわかるんだよ。
「ある事実に驚いた。不公平だと感じた。つらい。憤りを感じる。
 もっと自分たちのつらい現状をわかってほしい」



それはいい。大事だ。できることなら尊重したい。




ただ、それに共感できるかどうかは別の話だ。
自分の感情を尊重してほしいなら、相手がどう感じるかの自由も尊重してほしい。




まして、それについて、わけわからん理屈をつけられたらこっちとしては困ってしまう。




もちろん受け答えのテクニックとして「『あなたは』○○○だと感じているんですね。(私は全然そう思わないけれど)『あなたが』そう感じていることはわかります(あなたの理屈はめちゃくちゃだけど感情は尊重するよ」といった風に、感情だけ受け止めて肯定してあげることはできる。うわっつらでいいならいくらでも。




ところが、人がこういう風に感情に理屈をつけてる時って、その感情に不安を感じているのか、なんらかの自己正当化の欲求が働いていることが多いらしい。「こういう理屈でこういう感情を感じているんだ」と、感情と理屈がセットになっちゃってるから、大概の場合、こちらはその感情だけをを肯定してるつもりだったのに、相手はその理屈込みで肯定されたと感じちゃったりするみたいです。その結果、「あの時、この話を肯定してくれたじゃないか!」と、勝手に肯定されたことになっている理屈を拡大解釈して、あれもこれもとこちらの領域を脅かしてきたりする。




こうなるとやっかいだから、こちらとしては、素直にその感情を受け止めることはできなくなってしまう。感情だけだったら受け止められるのに、と思う。感情に小難しい理屈をつけないでほしい。いや、どういう理屈づけしてもいいから、こちらにその理屈まで押し付けようとしないでほしい。


感情を伝えたい時は、素直に、「私は、○○○と感じている」だけ言ってもらいたい。長々と事の経緯や理屈を表明したうえで、「私の感情を察しろ」という推理ゲーム強制されたり、「これだけ説明しただから俺の感情に共感するよな、しろよ!」みたいなことを言われるとうんざりする。さらに、その理路が間違ってたらどうなるかというと・・・・たまにブチ切れしそうになります。




そこらへんがごっちゃになってる記事を読むと罵声にまみれたどす黒い感情がふつふつとわき上がってきちゃうわけですよ。

(censored!)




感情だけだったらいいんですよ。それは誰にだって否定できないです。大事にしたらいいと思います。ただ、それにクソみたいな理屈とクソみたいな自己正当化理論をくっつけて、それまでこっちに飲み込ませようとしないでほしいんですよ。特に、誰かを批判するときは、その批判が的外れだったら、フルボッコにされて当然、くらいの覚悟は持ってほしいんですよ。 あと、理屈を批判されたら自分の感情まで否定されたみたいに勘違いして発狂するのやめてほしいんですよ。




…と、とある記事にうんざりしている気持ちをだらだらと説明・理屈付けしている記事がこちらになります。こういう記事を見たときに、理屈付けしないで、ただ「なんかわからんけどむかつく!」とだけ言ってすっきりできるような性格になりたいです。