なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ツッコマれやすい人と、情報が集まる人の話

「ソーシャルの有効活用」についてちょっと考える。

ツッコミを軽く受け止められる余裕がほしい

1つ前の記事で

せっかくtwitterでいろんなツッコミを入れてくれる人がいても、あまり有効活用できてないですよね。

と書いたけれど、ツッコマビリティを考えるとむしろこれが重要なのかもしれない。
ひとつひとつのツッコミにいちいちちゃんと反応しない。
だから、ツッコミを入れる側も、相手にとってそんなに重くならないかな、と気軽にツッコめる。

私はコメントとかリプライとか来たらそれだけでテンパって固くなってしまう。
完全にスルーするのではなく、軽く受け止められるといいのかな、と。
そして、ツッコミ大歓迎だよ―って姿勢を示しておく。そういうのが大事かな、と。



ツッコミではなく情報が欲しいなら、情報を有効活用できることを示すべき

http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080922/p2

「オマエが実際にその店に行くことが大事だ」

「情報は使う人のところに集まる」

「オマエに教えれば実際にその店に行く。だから教える。行かないヤツには教えない」

「情報は使う人のところに集まる」の対偶は「情報が集まらないのは使わない人」ということ。使えば集まる。使わないと集まらない。言われてドキッとした。確かにそうだよ。そういうところがある。

いい形で自分が出した情報を使ってくれるとうれしい。対価の問題じゃない。使ってくれたことがうれしい。そうなればまた発信したくなる。そうした場合に相手が特定され、尚且つその人物にアクセス可能であれば、尚更その人に情報を渡したいと思うのは自然なんじゃないかなあ。


ここから少し話を変えます。

コミュニケーション苦手なら苦手なりに、ちゃんと役割や武器を持ちたい

私にとっては、ツッコミというより、他の人との会話全般が結構しんどくて、ついつい避けたがる。
自分一人であれこれ考えるのは好きなんだけれど、逆に人とのやりとりしながら考えるのが苦手。
相手が何を考えているのかに意識の大部分が持って行かれて、頭がうまく回らない。

だから、人と話す時は、予め話す内容をかなり準備してないといけない。
話しながら臨機応変に考えるというのが弱い。その場のノリに急に合わせるとかできない。
そういう意味でのコミュニケーション能力はかなり低い。
よくコミュ障扱いされてた。なにげに結構傷ついていた。

それでも、事前にいろいろ考えていれば、そこから引き出すことは出来る。
実際に、上手に引き出してくれる人と話すると、
自分ってこんなに話せることあったんだ、と驚く。
私でも、やりようによったらちゃんと話は出来る。


人と話をする時、どうしても聞く方に意識が言ってしまうのはもうしょうがない。
その分、ちゃんと話を聞いて、理解することにつとめたい。
そのうえで、自分の引き出しの中に何かありそうなら、お返しが差し出せるといいなぁ。

なので、私は効率がわるかろうがなんだろうが、自分の中にある程度蓄積を作っておきたい。
人と合わせられるものを持っておきたい。ちゃんとした判断基準を持っておきたい。
その上で、話をするのが好きな人の話をちゃんと聞くのが、自分の役割かな、と思う。
 

…といっても、現時点では聞き上手というわけでもないですよ。
あくまでこっち側のタイプというだけです。
タイプって結構大事だと思います。
やっぱり話するのが好きな人は、無理に聞こうとせず、どんどん盛り上げていって欲しいです。
私は、これからは、意識して聞く方向を目指していこうかな、と思いました。






余談 今読んでいる「高杉さん家のお弁当」って作品がすごく面白いです。

「コミュニケーションの武器や防具としてのお弁当」という発想が素敵。
上で書いたけれど、「コミュニケーション」って別に言葉のやりとりや知識だけじゃないよね。
しゃべるの苦手でも、聞くのが苦手でも、他の武器があって、縁があれば、コミュニケーションできる。
読んでてホッとします。
他にも「旬」や「おもてなし」の考えや「なんとでもなるの心構え」などなど参考になる所が多いです。
私は「あの山越えて」という作品がかなり好きなのですが同じくらい好きな作品かもしれません。
迷った時などに何度となく読み返したいと思います。