なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

恋の終わり…かもしれない

この気持ち・・・まさしく恋だ!!

なんだかんだいって、

今まで自分がブログを続けてきた原動力はとある人物に対する執着だったと思います。

一度その人物への執着を切ろうとブログを変えるまでしたのですが、

結局その後もその人物を念頭に書いた記事を作るなど、なかなか断ち切れないほど強い執着でした。

ところが、ここ数日その人物を見ても何も魅力を感じなくなってしまいました。

それどころか、なんで俺こんな人の発言見てるんだろうとか思う始末。

端的に申し上げると、「つまらない」と感じている自分がいます。

信じられないことですが、なんだか、プツンと糸が切れてしまったかのような感覚です。

今後今までのような執着が復活するかどうかはわかりませんが、

なんとなくもう回復しないような気がしています。

正直、今までの原動力ではもうブログを継続することは困難だと思います。

新しい原動力を見出すまでは、ふらふらと迷走すると思いますし、

何も見いだせなければ、このままどこかでフェイドアウトしてしまうような気がします。












※以下は意図的に創作混ぜてます。

実際のところ、私のその人物に対する感情は、グラハムのような純粋なものではなく

ダメ人間に対する、これまたダメ人間の共依存のようなものだったと思います。

何人にも指摘されてきたことですが、ずっと目を逸らしてきたことですね。

自分よりダメだと思う人を見つけて、ダメな自分を安心させたい。

その人を構うことで自己重要感を得たい、そんなまさにダメ人間特有の感情。





当時の私はうつ状態で、生きる気力を失いかけていて、動けなくなっていました。

何か行動する理由、というより、何か強い感情を欲してやまなかった自分にとって

その人に対するいらだちは唯一の手がかりのように思えました。

その人物よりはダメな人間であることは耐えられないと思って

ひきこもり状態から奮起して再就職したりしました。

自分が落ち込んでる時は、その人の発言を見て怒りのエネルギーをもらい、

それを仕事にぶつけてなんとか乗り切ったりしてきました。

一時はほんとにその人がいなければ何も感じられないくらい気分が落ち込んでいました。

「スキエンティア」という作品に、原理はよくわかりませんが、

寿命と引き換えに生きる気力をかき集めて活動する力を与えるというマシンの話が有りますが、

私にとってその人物の存在が、そのマシンのようなものでした。

(寿命が縮まったかどうかはわからないけれど一時期は怒りまくってたのでだいぶ疲れました。
 あと、意識的に必死に怒ろうとしてた時期もあって今から考えるといろいろとひどかったかと)




だんだんそうやって怒りまくってる間に、

その他の感情も思い出してきたのか、いろいろと活動が出来るようになりました。

少しずつ人と付き合うこともできるようになってきました。

そこで人から頼られたり、逆に助けてもらったりというようなことをしている内に

そこそこ生きる気力も戻ってきたような気がします。

仕事が終わった後にプライベートで人と付き合ったりとかもできるようになりました。

人付き合いの中でergアニメマンガラノベ以外の趣味も持てるようになりました。

以前ほど、自分のことを、バカだとかクズだとか思わないようになりました。

正直今だったら、笑って自分のことをバカだなぁとか言ったり出来るくらいの余裕はあると思います。





そろそろ、その人物を必要としなくなってきたのかもしれません。

少なくとも、昔と比べると、それほどいつも怒る必要は感じなくなりました。

怒るために見ていたその人物に怒りを感じなくなった時、思ったことは勝手なことに「ありがとう」でした。






というわけで、今まで長い間、ありがとうございました。