なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

「老害」「社畜」という罵倒はやめて、「前提がおかしい」「それは合理的ではない」と批判しよう

それで聞く耳持たないという人は、老害でも社畜でもなく、
ただ合理的な思考ができない人です。そこに年齢が上とか下とか関係ありません。


ただし、この手続きを踏まずに最初から批判を行うのは、手抜きです。不誠実です。


ただ手軽にののしりたいだけなら老害社畜という言葉は楽でいいと思います。
が、「老害」と呼ばれるような発言をする人と、その人をただ「老害」であると罵倒するだけの人は私の中ではレベルが同じです。

争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!

http://www.nicovideo.jp/watch/sm16639053

大事なのはあなたの「常識」ではなく、何が合理的であるか、という話

http://togetter.com/li/630007
が話題になっていますが、

この人の主張の根本的に何がおかしいかというと
何が「常識」で、何が「非常識」かというちょっとずれた所で戦っているところだと思うんですよ。

その企業が説明会等の開催の有無を連絡くれず、Webなどで告知していないのなら、個別に電話をかけることは非常識ではない。もし、企業が対応できないと言うのならWebなどで告知すればよいだけ。非常識だというのは電話したくない言い訳でしかない。

あげく、自分の常識に固執して、相手の批判は「俺を非常識呼ばわりするな」とか「それは甘え」呼ばわりする始末。
ついカッとなっているだけだとは思いますが、常日頃からこういう発言をしていたら全く議論能力がないと思われても仕方がないレベルです。
元発言だけ釣り宣言すれば良いというものではないでしょう。


老害」とは、合理性が状況や条件の変化に伴って変ることにより、以前の合理が現在の合理とズレる現象のようなもの

この人の発言は、今となっては、学生のみならず企業にとっても不合理です。


(1)前提がおかしい
この人の発言が前提としているのはこのような状況ではないかと思います。

・会社と社員との関係が対等ではない(会社大幅有利。バブル期の日本IBMだそうです)

・情報技術が今ほど発達していなかったので、中止する際のコストが今よりずっと高かった

・学生にも社会にも「ブラック企業」「社畜」などへの警戒心がない。
・「若いころの理不尽」を耐えてでも働き続ければ報われるという期待が高かった
 →若いころは会社に文句を言わずに働くのが合理的だという風潮だった

・会社のCSRや社員への扱いが今ほど厳しく叩かれなかった時代であった
 →強行することのリスクも小さかった。

という感じで、
会社にとっては、よほどのことでなければ自社の都合を学生や若者に押し付けることが、
学生も、多少の理不尽であれば耐えて将来に期待することが、合理的だったわけです。

端的に行って、だいぶ古臭いなと思います。現状にあてはまるものがほとんどない。

IT技術の発展とかこの人の中では全くないのか、と。
強行するメリットよりコストのほうがでかいうえに、
学生も、そういう企業には近寄らない方がよいと考えるでしょう。
つまりこの人の意見は今となっては「不」合理だと言えます。



(2)それは合理的ではない
もうひとつの視点からもおかしいところがあります。

これのおかしいところは一対一のビジネスの話を一対多の説明会に適用していること

http://twitter.com/KyoPeeee/status/434512460628762624

正直、時代が少々変ろうが、一対一の人間関係なら大事なことはそうそう変わりません。
この教授は「人間関係学」というものを教えていらっしゃるようなので、
おそらくこちらの立場から発言されたのだと思います。

「企業と、学生が一対一かつ、対等な関係である」というイメージで語られている。

労働法を持ち出すまでもなく、
S そんな
O おかしな前提は、
 (少人数のベンチャー企業ならともかく大企業はおろか中小企業でも)
A ありえません。

というわけで、この「非」合理的です。



後釣り宣言の無意味さについて

あと、後釣り宣言してらっしゃるようですが。

釣り宣言は、発言を取り消し、無効化することとはまったく違います。

「その後の発言の信用を犠牲にして、プライドを自分の心の中でだけ守る」行為にすぎません。

釣り宣言をした時に、「なんだ釣りか」と認めてもらうためには、ちゃんと伏線を張っておかなくてはいけません。

釣り発言をしようがしまいが「狂人のまねをして大路を走る人は狂人」扱いでおk 以上。




理想を言えば何が合理的かを示したい。あるいは私がコンビニ店長の記事が好きだった理由

とまぁこんな感じで、上のtogetterは、DannaNandaさんの発言を批判することは実に容易だと思います。

でも、本当に大事なのは、
「今はどういう前提で考えるべきなのか」「じゃあどうすればよいのか」「何が合理的なのか」を考えることですよね。

そのためにも、「それは前提がおかしい」「それは合理的ではない」というのをスタートラインにしたいです。

こう批判すれば、上の大事なことを考えざるを得ないはずですから。

この件、どうせなら、「自分の会社だったらどうしてるか、どうすべきか」が話し合われるといいなと思います。

コンビニ店長の記事は、そこまでちゃんと考えてあるから好きでした。
(一度、店長が「そこまで考えてなかった」ことに気づいて、あわてて長文の記事を投下されていた時は
 ああ、この人ほんとにすげえなぁ、そこを絶対に避けて通らないんだって思った。)

この件、皆さんだったら、何が正しいと思いますか? 私もちょっと考えてみます。




老害」はいつでもどこでも「老害」であるわけではない

なぜ私が「老害」や「社畜」という言葉を使いたくないかというと、
老害」や「社畜」である人とそうでない人の線引きの基準がよくわからないから、
というより、この言葉の前提となっている基準は時代や状況が変わればズレるからです。
そういう言葉を使っていると、将来自分が手痛いしっぺ返しを受けるのが目に見えている。

個人として考えるときと、友達を含めた少し広い範囲で考えた時とで、視点を少し変えただけで何が合理的かはかわります。
状況が変われば、似たような人が、全く逆の方向に突っ走ることだってありうるわけです。
そのくらい、合理性というか、人を何かに駆り立てる原理というのはころころ変わるわけです。

大事なのは、「今」「このとき」「自分が取っている立場から考えると」合理的なのはどっちか、というだけの話です。
その時に、何か絶対の基準があって、その基準を超えたものは絶対悪だ、とやってしまう考えは非常に危険だと思います。
そういう安易さが露骨に見える「老害」とか「社畜」という言葉は、身内の間で自虐するとき以外では使いたくないですね。



オチ

効率のことを考えると、ネタにマジレスはかなり不合理