なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

2月9日

日曜日なのに研修会とかあって疲れた。

今日のメモ

絶望の国とは永続的な成長の幻想や、総中流社会幻想の崩壊のことだろうけれど、
じゃあそういう幻想の破壊を受け入れて下流志向になった若者は本当に幸せか、みたいな。


中産階級を再定義する
http://econ101.jp/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%80%8C%E4%B8%AD%E6%B5%81%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E3%82%92%E5%86%8D%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%99%E3%82%8B%E3%80%8D/

中流階級であることについて語るときには,その地位の属性で決定的に大事なやつを2つ,念頭に置くべし:安全と機会だ
キミのふるまい方がどんなにていねいで厳格で賢明であっても,安全と機会がないなら中流じゃない

ぼくらの中流階級崇拝,あたかもぼくらのほぼ全員があの階級の一員であるかのような思い込みこそ,ぼくらの多くが実際には中流じゃなくなってる主な理由なんだ.だからこそ,社会階級の実情が国民のあいだでどんどん認識されるようになってきてるのは,いいことだ.

1970年代以来の貧困の政治は,「貧乏人ってのは『連中』のことだ,俺たち働き者のホンモノのアメリカ人とはちがう」という世間の思い込みに立脚してきた.この思い込みは,数十年にわたって現実との接点をなくしている――ところがいまになって,これが現実味を帯びて来ちゃっているらしい.ただ,このことが意味するのは,「人格の欠陥が貧困の理由だ」「貧困対策プログラムは生活をあまりに安逸にしてしまうのでダメだ」と主張する保守派たちが語りかけている有権者たちは,その多数が,自分もセーフティネットの助けをときに必要とする人間の1人と認識してる『連中とはちがう』さんたちだってことだ

面白い。

日本でも団塊世代老害と呼び、若年層の対立を煽るつまらない話を多数見かけるが、実際には「老害」と呼ばれる特徴を持つ人は、中年にも、若年層(!)にも存在し、これを世代間の意識の断絶や、単なる世代間格差の問題に単純化してとらえても何の役にも立たないだろうと思う。むしろこの記事で言われている「総中流意識」、つまり「努力さえすれば、みんな均等に最低限の機会は与えられる、生活の安全は保障されている」という幻想にこそ注目し、そげぶしていくことが日本でも求められてるかもしれない。

しかし、この幻想はただ否定すればよいというものではない。「勤勉な日本人」「忍耐力がある」というある種の美徳(今では行き過ぎてしまって、どんな理不尽にも文句を言わず、状況を改善をしようという意識を持とうとしない奴隷根性になっているかもしれないが)を根本から支える大事な点でもあるかもしれないからだ。 

そういえば、ドラッカーは、この総中流幻想的なものやナショナリズムに依存して国を運営するのは危険だと考えていて、国全体としては無理でも個々の企業で出来る限り、企業以外のNPOなどが活躍したりして、なんとかみんながアノミー状態からの全体主義への墜落に陥ることを避けなければいけないって考えてて、その危機感が「それぞれの人が、最高ではないかもしれないけれど最適な社会的役割を得ることができる」社会を求め、その「機能」としてマネジメントを提唱したみたいな話だったと思う。

総中流幻想そのものは今となっては、あまりほめられたものじゃないかもしれない。じゃあこれをなくしたとして、そのあと人々がそれぞれ自分の人生に希望を感じ、己の役割に誇りを持って生きていくためには何を心の支えにすればよいのか、という問いがある。 このことにみんなが悩んでおり、特に答えがないからみんな、それが間違っているとは思っていても総中流幻想にしがみつかなければいけないのではないかと。
(「もしドラ」はそういう時期にうまいことはまってヒットしたのではないかとか。当然ながら救世主にはならなかったけれど)

総中流社会」幻想は、単純化すると「とりあえず、上の人にしたがってまじめに働くことがあなたの役割だ。役割は上の人が考える。その役割さえ果たしていれば、あなたは立派な社会人だ」というメッセージだったように思う。「自己実現」こそなくても、少なくとも社会的に承認される。この安心感のために頑張るみたいな話は「ロスジェネ心理学」で軽く触れられていた記憶がある。

こういうメッセージの洗脳を強く受けた状態で、まじめに働くだけではまともに生きられなくなるという環境変化を受けたらどうなるか。それでもまじめにはたらくためには「下流志向」にならないためには、「俺は連中とは違う」という意識がどうしても必要だったと思う。なにか見下す存在がなければ、自分を支えきれないのではないか。

そこでまだ人を見下しながらもまじめに働ける人はいいが、そうやって人を見下すことに耐えられない程度に誠実で、かつ自分がもはや下流であることを受け入れられない人の宙ぶらり感とかなんとか。これも考えてみたら面白い話だとは思うけれど、あんまり今は考えすぎないようにしよう。



◆英国の天気が悪いイメージはどこから来たか
http://grshb.hatenablog.com/entry/20140209/1391907022

イギリスの雨は蒸気機関の発明がもたらした産業の変化とそれに伴う大量の蒸気から来ているのだそうだ。上のウィリアム・ターナーの絵画にも、汽車と蒸気に並んで雨が描かれ、作品の題名にもなっている。従来とは比較にならない飛躍的なパワーを持つ動力源は瞬く間に英国内に行きわたり、おそらくは想像を絶するほどの蒸気を生み出した。ちょっと想像がつかないけど、それは気候にまで影響をおよぼすものだった。

面白い。みんなスチームパンクシリーズ読もうぜ!

http://www.waseda.jp/sem-muranolt01/KE/KE0103.htm
産業革命期は、上の記事とは逆にそれまで存在しなかった中流(って言っても日本における中流とはレベルが全然違う、新興貴族みたいなもんだけれど)が誕生していく過程であり、ベクトルが全く逆。経済が成長して国全体が栄えるといっても、労働者はそれ以前よりずっと苦しい生活を強いられたイメージがあるし、結局、自分がどのポジションにあって、そのポジションにいる人々にはどういう変化がもたらされるか、自分はどう変化したいのかとか考えるべきなんだろなー