なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

2月7日

しばらくは自分で記事を書くことは減らします。

ただ、記事を全く更新してないとブログの習慣そのものが無くなりそうで怖いので、
気になった記事について、簡単にメモだけつけてクリップしておいて、
また3月くらいになったらぼちぼち思ったことについて記事書き始めようと思ってます。

…と思ってメモだけしようと思ってたら結構長くなっちゃったので、明日からはクリップだけにしよう。
今日の記事はいつも以上にチラ裏なので、スルーしちゃってください。

今日のメモ

思春期=「他者や世界に関心はないが自分がどう見られてるかだけは気になる」時期?



http://togetter.com/li/622442
記事内容も面白かったけど、個人的にはこの表現がなんか気になったからメモ。

日本人は外国の文化に対する興味を失いましたが「外国人は日本が好き」みたいな本や記事ばかり売れるという「他者や世界に関心はないが自分がどう見られてるかだけは気になる」という思春期みたいな状況になってますね

中二病って表現すきじゃないので、「思春期」って言葉をもう一度考えなおしてこっちの表現に戻していきたいな。




http://togetter.com/li/619012

無断転載者って必ずと言っていいほど「下手な絵ですけど」って言うのはなんで?

こういう人って、ボカロも歌い手も絵師もカゲプロも、リアルでは「バカじゃないの?あんなの」って周りに言ってそう。少なくとも尊敬がないな。それでいて自分は尊敬してもらおうとだけしている感じ。ちやほやされ方を根本のところで間違っているんじゃないだろうか。

自分を好きになってもらいたかったら、まず自分だけじゃなくて相手を好きになれ、敬意を払えってのは、理屈ではわかっても難しいよね。「インプットは自由に、アウトプットは慎重に」の記事でも書いたけれど、他者へのリスペクトが全く感じられない人って、傍からすると怖いんだよね。無断転載とかパクリとかは、表に出た行為であり現象だけど、根っこにあるのはこの敬意の欠如だと思っていて、この根っこが同じだと思うものは気持ちが悪い。1年位前の青二才の人に感じていた嫌悪感の源はこのあたりだったんだと思う。


私は基本的にあまり他者に興味を持てないので、素の状態だと礼を失することが多いと思う。その分形式とか礼儀を重視したいと思ってる。自分をある程度縛ってもらうという守りの意味もあるし、形式を守ることで、形式の力を借りて敬意を示すという、プラスの効果も期待している。まぁ役職とか仕事といった形式にばかり依存していると、いつまで経っても素の状態でのコミュニケーション能力が向上しないからこれはこれで問題あるとは思うけれど。 まずは形式だけでも他者に敬意を払う、すくなくとも敬意を欠いた行いをしないことは心がけないとなーは思う。

実際、コミュ力は高くて普段は他人に興味を持って、他人のために行動できるような人でも、ある程度ルールみたいなものを意識してないと、こういうことを ttp://usami-noriya.com/?p=3712 やらかしてしまうようだし。 

共感とか敬意とか礼儀あたりの話はもうちょっと考えてみたいような気はする。



http://anond.hatelabo.jp/20140204233807

自分はなにもしないけど、その人にとって自分は特別な人で、その人はなぜか自分のすべてを肯定してくれるって幻想

私自身、上の意味での「思春期」的な状態になることはよくあって、そういう時って、努力をするにしても、「注目されるための」「認められるための」努力をしてしまうのだと思う。独りよがりで、「押し付けたり」「求めたり」と相手にとってはむしろ望ましくないことになりがち。

なぜそうなるかというと、誰かのためとかじゃなくて、とにかく自分がどう思われるかが大事だから。他の人なんかどうでもよくて、自分がすべてになってしまってるから。他者へのリスペクトとかそういうこと考える余裕なんて無い。余裕が有る時にはそういうのを示すときもあるけれど、それもあくまで自分が共感できるかどうか、みたいな感じ。ちょっとプライドに傷がつきそうなことがあると、すぐに殻にこもって、周りが目に入らなくなってしまう。メタ的に物事を考えるのができなくなる。


で、最近まではずっとそういうのを嫌いというか、よくないことだと思って強い反発を感じてたと思う。今でもそうかもしれないけど、絶対に許せないってことはなくなってきた。それって結局、同族嫌悪、自己の鏡写しを嫌悪するような気持ちだったんだなってことに最近ようやく気がついてきた。で、それならちょっと寛容にならないといかんかなーと思う。


というか、とにかく今は色んな物に怒るのをやめないと。怒りって現状に立ち向かう行動のためのエネルギー原資みたいなものだろうから、大事にしないといかんかな、と。とにかくいまは職場の理不尽に怒っていきたい。 今までは行動しないで平穏にリアルを過ごすために、あえて怒りをネットで発散してるような感じだったかもしれないので、今はそのエネルギーを大事にとっておきたい。





蛇足。

ヨイコノミライ」は腐女子とかオタクのイタサよりも「傷」がテーマの話だと思うのだけれど。

平松かの子は確かにかなりイタイキャラだとは思う。

杏曰く「現実が直視できないオカルト少女」。眉が太く身なりにも気を遣っていないが、言葉遣いと身だしなみを整えた時は井之上が驚くほどの変貌を見せた。いわゆる腐女子で(少し)親しくしてもらった同人作家「羅☆ガッシュ」に対しストーカーまがいの押しかけ行為を行ったり、「ミロフェル王子」の妄想に逃避している。井之上に告白して、彼に気に入られる為に奮闘するも報われず別れを告げられ、目指していた漫画家の夢も有栖川に追い抜かれてしまう。本心では有栖川を見下しており、自分の方が何事も優れていると思い込んでいた為、有栖川の努力と成長を素直に受け入れる事は無かった。大言壮語を吐くも一向に上達しない自分の絵の事は理解しており、現実と理想の間で壊れて行く。最後は弱い心を青木に利用され、羅☆ガッシュの作品を盗作した事を指摘した、唯一の理解者であった有栖川をも自分から切り捨て、心の中に閉じこもり無人の教室で「ミロフェル王子」と会話する幻想に浸るというラストを迎える。

でも、そういうイタさは、平松かの子に限らないし、まして平松が腐女子だったから、とかそういう話じゃないだろう。 誰だって自分のことで精一杯な時は当然あって、特に自分自身にコンプレックス抱えてたら、まず自分を守ろうとか、自分が認めてもらいたいって気持ちが先行するのは当たり前のことだと思う。青木にぶっ壊されなければ、そこそこ身の程知って現実と妥協して生きて行くことはできたはずだし。逆のパターンとして「けいおん」の澪が、唯という圧倒的な才能に出会ってしまったことでぶっ壊れてしまう話(蛸壺屋)なんかも作れるわけで、ほんとに巡りあわせとかタイミングって大事だなと思う。


http://d.hatena.ne.jp/LIT/20080714/1216048776

「相手が自分をどう思うか」ではなく、「相手のことを想っての行動かどうか」が人間関係の構築としてはベターである。

踏み出したのに逃げていたから、傷付いた。何かを得ようとしたら弱さに向き合う必要が出てくることもあるし、手に入れる為には努力も必要。