ともあれ互助会は滅びるべきである

Apps、meshigakuitaiなど、はてなスタースパムがひどすぎる人たちとそれを容認する運営にいつか天罰が下りますように

得意でないことをやるのは疲れるね・・・

私は他人の受け売りと、自己完結的にブツブツ呟くのが好きなタイプだと思ってます。

自分であれこれ考えるのは好きだし、思ったことを自分なりにまとめるまでだったらそんなに疲れないのですが、自分で思ったことを他人向けに語るのは好きでもないし苦手だし、疲れます。先週は自分なりに「伝える」ための努力をしてみましたが、元来そのための意欲も体力が乏しい私は、あっさりと疲れてしまいました。 実はここから先が伝えたいことで、先週の記事はその下地つくりのつもりだったんですが、下地作りの段階で疲れてしまったというね。情けない。

いずれ書きたいとは思ってるので、また充電期間置いて挑戦したいです…が得てしてこういうのは勢いで書ききらないと意欲が復帰しないものだと思うのでどうしたものやら。

伝えたいことを伝えるってほんとにめんどくさいなーと改めて思いました。読んでいただいた方も、いちいち文章が長くてめんどくさかったことでしょう。本当に何かを伝えたいなら、もっと簡潔に短く書けるようにならないとだめだなーとか色々反省すること多いです。すみません。


とりあえず今日からまた通常運行に戻ります。しばらくは、他人に伝える気ナッシングの暗号みたいなメモばっかりになりますがよろしくお願いします。







□自分らしく「静かに」話す勇気

http://www.ted.com/talks/lang/ja/susan_cain_the_power_of_introverts.html

もっとも重要な組織である 学校や職場が 外向的な人向けに作られており 外向的な人に合った刺激に満ちているのです さらに今の世の中に行き渡っている ある種の信念体系があって 「新集団思考」と私は呼んでいますが 創造性や生産性はもっぱら 何か社交的な場から生まれるのだと考えられています。

単独行動したり 1人で作業するのが好きな子は はみ出し者とか さらには 悪くすると問題児と見られてしまいます。教師のほとんどは 理想的な生徒は内向的でなく 外向的なものだと思っています。

同じことが職場についても言えます 多くの人が壁のない開放的なオフィスで 仕事をしています 絶えず雑音や 他人の視線にさらされています そしてリーダーシップが必要な役職からは 内向的な人はいつも除外されています。内向的なリーダーは 積極的なメンバーが アイデアを出して活躍できるようにさせる一方 外向的なリーダーは 気づかぬうちに 何でも自分で仕切ることに 夢中になって 他の人のアイデアがなかなか 活かされないようにしてしまうのです

なぜ私たちはこれほど間違ったやり方をしているのでしょう? なぜ学校や職場をそんな風にしたのでしょう? 内向的な人が時々1人に— なりたいと思うことに なぜそんなに罪悪感を持たなければならないのでしょう? 1つの答えは文化の歴史的変遷の中にあります。

(中略)

20世紀になると 歴史家が「個性の文化」と呼ぶ 新しい文化の時代に入ります 農業経済から 大企業中心の世界へと発展し 人々は急速に 小さな町から 都市へと移り住むようになり 子どもの頃からよく知っている人たちと一緒に働く暮らしを捨て 知らない人の集団の中で 自分の能力を 示さなければならなくなりました そして必然的に 魅力やカリスマ性のような資質が 突然重要になったのです その結果 自己啓発書も新しいニーズに合わせて変わり 『人を動かす』のような題名が付くようになりました。そこでロールモデルになっているのは 優れたセールスマンです。それが私たちの今住んでいる世界です 私たちが文化として継承しているものです

内向的なのがどういうことか理解する必要があります これは内気とは違います。内気というのは 社会的に判断されることへの怖れです。 内向的であるというのは 社会的なものも含め刺激に対して どう反応するかということです。外向的な人は多くの刺激を強く求めますが、内向的な人はもっと静かで目立たない環境にいる方がやる気になり生き生きとして能力を発揮できるのです。いつもそうとは限りませんが 多くの場合そうだということです。だからみんなが持てる才能を最大限に発揮できるようにする鍵はその人に合った刺激の中に身を置くということなのです


私が言いたいのは 社会として両者をもっとうまく バランスさせる必要があるということです。陰と陽のように両方必要なのです。

孤独もまた大切であり ある人々にとってそれは 呼吸する空気のようなものなのです。

グループというのは その場の支配的ないしは カリスマ的な人の意見に従うものです 優れた話し手であることと アイデアが優れていることの間に相関なんて 全くないにもかかわらず — ゼロです。みんな1人になって 集団の力学による歪みを受けずに 自分独自のアイデアを考え出して それから集まって ほどよく調整された環境で話し合う方が ずっと良いのです

私を力づけている 感覚 信念 希望があります。 それは内向性や無口や孤独に対する人々の態度が劇的に変化する一歩手前にあるということです


この展望を共有して頂ける方に 3つの行動の呼びかけを したいと思います

1番目 絶えずグループ作業するなんて狂ったことはやめましょう
1番目 絶えずグループ作業するなんて狂ったことはやめましょう すぐにでも。

はっきりさせておきたいんですが 職場では うち解けた カフェのようなおしゃべりによる 交流を促すべきだと思います。人々が会って 思いがけないアイデアの 交換をするようなやり取りです これは内向的な人に外向的な人にも素晴らしいものです。でも職場にはもっとプライバシーが もっと自由が もっと自律性が必要です。学校も同じです。子どもたちに一緒に作業する方法を教えるべきですが、独りで作業する方法も教える必要があります。これは外向的な子どもにも重要です 独りで作業する必要があるのは それが深い思考の生まれる場所だからです

2番目 荒野へ行きましょう ブッダのように 自分の啓示を見つけましょう。みんな今すぐ出かけて 森の中に小屋を作り もう互いに話すのをやめましょうと言うのではありません。そうではなく 気を散らすものから離れ 自分の思索に耽る時間を もう少し増やしましょうということです。

3番目 自分のスーツケースの中身をよく見て なぜそれを入れたのか考えてみましょう。外向的な方 スーツケースには 本がいっぱいかもしれないし たくさんのシャンペングラスか スカイダイビングの装備が入っているかもしれませんね。 それが何であるにせよ 様々な機会にそれを取り出して 自分のエネルギーと喜びを他の人にも分け与えてください。内向的な方 性格柄— きっと自分のスーツケースの中身を 守りたいという衝動を感じると思います。それはいいんです。でも時々は スーツケースを 開いて見せてほしいのです。 世界はあなたと あなたが持っているものを必要としています


皆さんに最良の旅と 自分らしく静かに話す勇気がもたらされますように

私は内向的かどうかはわからないけれど、リアルで会話してるときはとにかくどんくさい。
思考のリソースの切り替えが下手。話を聞きながら、その場での会話に必要な分だけ思考にリソースを回し、残りは他の動作とか所作に回す訓練ができてない。なにか思いついたら、そのことに思考が囚われて人の話をちゃんと聞けなくなる。でもその思いついたことを切り出すきっかけがつかめず、その間に話が次に行ってしまってぐぬぬってよくなる。無理に話そうとすると、タイミングぶつかってごめんなさいって気分になる。あと、その場にいる人が、自分の意見なんて求めてないんじゃないかな―って気分になることがあって、そうなると完全に黙ってしまう。

そういう自分にとって、ネットというかブログ文化はとてもありがたい。インプットとして、「ひとまとまりのものがあって、その間話を理解するのに集中でき」て、アウトプットとして「とりあえず書ききるまで、自分の考えに集中できること」はとても楽。リアルの会話ではやらなければいけないことが多すぎて、私のリソースでは全てに対処することができない。なんでみんな普通に喋れてるんだろうか。いや、みんなも実は白鳥のように内心では必死なのだろうかとか思う。実際のところ、どうなんでしょう。

だから、リアルの会話ってほんとに当り障りのないことしか言えないし、受け答えに集中するためにその間は完全に思考を停止させて、そそっちにリソース使わないようにしてる。そうしないと、振る舞いがぎこちなくなってしまう。リアル会話では相手が一方的に喋ってくれるタイプが一番楽。それなら、理解することだけに集中できるから。ただ、なんかこれはこれで、このタイプは話がクソ長くて、ストレスがたまることが多いしいろいろとままならない。

しかし、話すのが嫌いかというとそういうわけでもない。付き合いが長い友人と話すときや、twitterとかで話したり、読書会やってみると、ある程度自分の中でまとまったり準備ができていることならばちゃんと話もできるし、むしろ人と話するの好き。大好き。ただ、興味のないことや、めまぐるしい会話に、とりあえずで話をするのがとても苦手で、どんな話題でも話を盛り上げることが出来る人はいいなかと思ってしまう。

とりあえず私は、ネットで思ったことをダラダラと書くのが一番楽なので、そこでいろんなことについて考えて、準備しておこうかな、とかそんなことを思ってます。というわけで、今日からはツイッター解禁。こういうどうでもいいことはツイッターでぶつぶつ呟くことにします。