なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

ネットにおけるハラスメント的発言を見た時、私はどう反応すべきなのだろう

ハラスメント。

さて、この手のハラスメントを見た時、どうすべきだろう。



この人の発言を叩くことは簡単だ。
実際、いままではこういう人に対して批判を加えたりしていた。
だが、詳しく説明しないが、
この手のタイプは殆どの場合、自己完結しているので何を言っても意味が無い。
もうほとんど間違いない。この人は、自分の意見を批判する人の話は一切聞かない。
一応確認したが、やっぱりダメな人のようだ。
自説に固執して、他社の指摘を受け入れようといれるのを拒否していた。

とりあえずまとめて二言だけ言わせて。
1)組織から属人的要素を排除するなんて夢物語です。そもそも組織という者がある目的の達成の為に「分担を細分化」している時点で、各部門が「その部門の任務遂行に必要な属人的要素」に帰属する事は避けられません。
2)もっと小さなレベルで、スタンダードやフォーミュラといった概念で業務遂行の属人的要素を排した場合、尚更「貴方」という特定個人である必要性が無いという事ぐらい理解できませんか?三橋の寝言じゃないけど「日本語を解する」というだけでも十分な属人的要素だぜ。以上。
バカバカしいのでもうこの話題はしない。勝手に貧乏になっててくれ。

https://twitter.com/pianist_danna/status/428110692894662656

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というわけで、この人は相手にするだけ時間の無駄。




そうはいっても、こういう人の考え足らずの言葉に
上手に反論しきれず心を傷つけられる人はいるだろう。




今後は、こういう発言をする人がいたら、
本人を叩くことは諦めて、この人の言葉で傷つきそうな人に
「こうこうこういうことだからあいつの発言は気にしなくていい」
といってあげることにしたい。


絶対優位と比較優位

今回の場合、どうすればよいか。
おそらく、「比較優位」という言葉を使えば良いと思われる。

経済学なんて知らなくてもいい。私だってもうほんとに何にもしらない。
だが、この言葉だけは、上のような発言をする人がいたとき
その言葉を笑い飛ばすために覚えておくといいのかなと思う。


http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-645.html

能力の劣る人は働く場所から排除されても当たり前と考える人がいるなら、それはとんでもない誤りである。経済学上最大の発見ともいわれる、比較優位の考え方は、弱者を社会から排除することの非合理性を見事に説明する。あらゆる面ですぐれた能力を持つ超人だとしても、全ての仕事をその人に任せることは合理的ではない。超人にせよ、弱者にせよ、全ての人がそのもっている能力のうちの相対的にすぐれた部分を最大限に生かして社会参加をし、後からその成果を配分した方が全ての人の利益を増やせるのである。


詳しくは説明しないが、上記のハラスメント発言は「絶対優位」の論理を前提としている。
そういう論理を振りかざす会社はあっても構わないが、社会はそういう論理で成り立っていない。
そして、上のツイートのような論理を本気で信じている人は、社会で大した影響力を及ぼさない。

「絶対優位」主義者が世の中を支配することはない。
なぜなら、競争においては、「比較優位」が勝つからだ。

□ゴッドランドの経済学
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070204/p1

社会は持ちつ持たれつ、支え合うことで成立している。その一パーセントの人々が、他の人々とまったく無関係に世に必要な財やサービスを全部生産する、なんてことはあり得ないんだもん。やればできるのかもしれないけれど、それはえらく効率が悪い。いっぱい人がいるなら、優れた人が全部の仕事を一手に引き受けられたとしても、それぞれの人が自分の最も得意な部分に集中することで全体としてはいちばんいい効率が達成できる。これは経済学で最も理解しづらいとすらいわれる、比較優位という概念なんだけれど。
 ということで、これは発想自体がまちがっている。生産性が高いと自負しているあなたも、自分が無数の生産性が低い人たちの働きに支えられているという自覚を持たなきゃ。

□ゴッドランドの歴史学
http://blogpal.seesaa.net/article/33551598.html

ゴッドランドは、アメリカの移民達、つまりは、多くはたいして学も技術もない連中の前に敗れた。
何故、ゴッドランドは必ず負けるのか。生産性の高い国家、生産性の高い労働者、知識人が多くいる国々、ゴッドランドが、何故、そうでない生産性が低く、未熟練労働者、半熟練労働者ばかりの、そして知識人のいない国に負けてきたのか。


だから、上の言葉にプレッシャーを感じてしまっている人は安心してください。
あなた達が働ける場所は必ずあります、世の中そうなってます。

と言っても良いだろうか。

これはこれで、移民や低賃金労働者との戦いを考えろってことでもあるので
そんなに優しい話ではない。それでも上の論理よりはまだ希望があるのではないか。

実際はそんなに簡単な話ではないことも理解してるけど…。




上の人は、せめてツイートから

・「貴方でなければならない理由は何ですか」
・「社会」

という言葉を抜いておくべきだった。


この慎重さがあれば、
「言葉がまずかったかもしれないが、おれは真意では
 比較優位を前提とした話をしているんだ。誤解を与えて申し訳ない」
っていいわけができたかもしれない。
でも、この2つの文言があるせいで、もうそういう言い訳できないね。
身から出た錆だし、仕方ないね。
自分の論理を絶対のものと信じて、無自覚に世の中に呪いを振りまくのはやめていただきたいです




以下余談。

本当に自分がすごいと思えるの「なら」(仮定法)、苦しんでいる子に対してなんの役にも立たないどころか有害なドヤ顔の論理を展開するおではなく、そういう子たちはどうすればサバイブできるのかって話をしてあげたいし、それができるかもしれない。けれど、まあこれは自分にとってはほんとに死ぬほど難しい。だって、自分自身が全然承認が足りてないもん。私自身サバイブするので必死だもん。もっとほめてもらいたい気持ちあるもん。自己重要感とか自尊心とかが枯渇してて生きるのつらいもん。誰もほめてくれないなら、誰かをけなしてでも自分が浮かび上がりたいって気持ちが痛いほどわかるもん。わかりすぎて憎悪で許さない気持ちが強いってだけのような気すらするもん。他人に語れるような、立派な知識も、他人を助けたりする力も、他人を承認するような広い心もない、そういうことにコンプレックス感じてるもん。

そりゃ間違いだと知っていても、絶対優位的な思想のセカイの中で勝ち抜くことに憧れるよ。オンリーワンになれるものならなりたいよ。でもそれができないって知ってるからこうやって人の中で不器用なりにいろいろやりくりして生きて行くしか無いんじゃないか。仕方なくだよ。悪いか。人付き合いなんて苦手だ嫌いだ。人の為になにかするなんてだるい。いつだって自分のことだけで手一杯だ。心からみんなのために何かしたいなんて思えない。それを楽しむなんて一生無理だ。いつだって自分のために何かしたい。 それでもなんとかやってんだよ。 一生懸命外面作って人の輪の中で生きていこうと必死なんだよ。そういう時に「絶対的な優位があれば行きていける」なんてもうとうの昔に諦めた論理を声高に叫ぶバカがいたらそりゃ殴りたくもなるだろ。何歳なんだよ上のツイートしたやつ。なんで自分の絶対性をいつまで経っても信じられんだよ。その事自体が信じられないよ。どんだけ自分に自信があるんだよ。どんだけすごいことをやったらそんな状態になれるんだよ。教えてくれよ。正直言って、上のようなバカ発言できるやつが羨ましくてしょうがなくなるときがある。猛烈に嫉妬する。そいつになりたいとは思わないけれど、そいつの内面をいちど体験してみたいと思ったりする。くそう。

*1:組織から属人的要素を排除するなんて夢物語です。「日本語を解する」というだけでも十分な属人的要素だぜ…っておいおい。いつから元ツイートは「その部門の任務遂行に必要な属人的要素」程度の発言に矮小化されてるんだろう。人間の存在価値にまで踏み込んだ発言をしたんだぜ?自分が雇う人間でもないのに、雇う側の立場を代弁までして(本来なら不必要なレベルのw)プレッシャーをかけたのだぜ?その自覚が全くない。批判されたときに自分の発言の影響範囲を下方修正するくらいなら、最初から影響範囲の小さな言葉を述べればいいのに。もしこの程度のことが言いたかったのだとしたら、己の言葉選びが不適切であったという批判を甘んじて受け入れることはできないのだろうか。この人も自分の理解が正しければ言い方は問題ないという、自己中心的な発想で発言してるよね。