なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

なぎさ

休みがほしい。
今年1月5日以降、まだ1日も休日がない。
まとまった時間がないと、やる気にならないことが多い。
自分の時間が短いと、その短い時間で効率よいのよい娯楽を求めてしまうのか、
だんだんニコニコととアニメしか見なくなってる。
アニメをみるのは好きだし楽しいけれど、これだけだとだめらしい。
今週はアニメ見たくらいでは気分が持ちあがらない。気分が沈んでいる。
憂さ晴らしにネットで人に絡んでみたりもしたけれどダメだ。反動で自己嫌悪にさいなまれる。
ネットはもうだめだ。今見てもソウルジェムが濁るだけだ。
ネットはよくも悪くも気分の増幅装置であって、
落ち込んでる時にやるとネクラなオーラを出しすぎて周りまで不快にしてしまう。
週一回のアレだけが自分の精神の支えになっていたけれど今週はそれもできなかった。
いよいよもう休み取らないことにはどうにもならない。
とりあえず、明日明後日までは休めないので、
明後日からは何が何でも休みとって旅行行きたい。山に登りたい。海に行きたい。


読書会で読んだ「車輪の下」以外では今年初めての小説。
本当に最近本が読めなくなっている。
読みたい本はたくさんあって、借りてくるものの
結局読みきれずに返却しに行くのはとても虚しい。


本の感想。


舞台は都会というでもなく田舎というでもない海沿いの街。
(実際の地名を使っているので、こういう表現をしていいのかわからんけど)

全体通して暗くてどんよりした空気が漂っている。
最初登場人物はみんなそれぞれ自分が抱えている問題についての不満を
自分の心のなかで燻らせているだけであり、それにつきあって読みすすめるのはかなりだるい。

たとえ匿名であろうがネット空間では人が見ていることを意識した発言をする。
人が見ている=自分以外の人がいるという感覚がある。
これに対して、誰にもみせずに、本当に一人だけで
自分の心の中のくすぶりに向き合い続ける作業はただただ虚しい。
いくら自分の不満を述べても、それを受け止めるのもまた自分なのだ。
最初からわかっていることをただ反芻し続けているだけで不毛だ。
結局、表に出さなければ、なにか行動しなければなにも変わらない。
それがわかっていても、私には他になにができるわけでもない、という諦念の方が勝つ。
こうやって無力感や、自分が不要であるという感覚が強くなると危険だ。


途中である登場人物が、ふらっとこの世から消えてしまいそうになる瞬間が描かれる。


しかし最後まで読むと、みんないろいろと変わっている。
個々人が自分の抱えている問題に対して、単に心の中で折り合いをつけるだけでなく、
実際に行動し、問題の源とぶつかってとりあえずの解決を果たしている。前進している。


変化のきっかけはろくでもない試みで、その試みはあっけなく潰えてしまう。
当事者でない傍から見れば、
状況はむしろ物語開始前より、開始後の方が悪化しているようにも感じられる。
それでも、当事者たちは、その変化を前向きに捉えられている。
なんといっても、途絶えていた「他人との対話」が回復しているのが良い。
自分一人でくすぶっていたときより、スッキリした顔つきになっている。


大きな事件があるわけではないけれど、
小さい希望を感じさせるような読後感が味わえてよかった。
いろいろ語りたいこともあるのだけれど、今の気分だとどうしても
この作品のネガティブな描写に同調してしまうので、改めて別の機会に感想書きたい。



次は「ワールド・エンド・エコノミカ」の続きが読みたい。いつになったらこれ終わるんだ。