なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

エクストリーム・スポーツ

前置きがすごい長いけど、いいたいことは、「私はハックルさんや小田嶋隆さんやコンビニ店長が大好きです」ということだけです。

①面倒な話題を、面倒なことだと認識したうえで、
②あえて論じる勇気を持つ。(①が抜けてるやつはただの阿呆です)
③そのうえで、とりあえず生き延びてみせる
④さらに、きちんと読んだ人間にこいつやるな、と思わせる文章を書く

私はそういう人に憧れます。

憧「初瀬はさ、エクストリームスポーツ…って知ってる?」

憧「崖からスキーで飛び降りたり、断崖絶壁を自転車で走る競技とかあるじゃん?あれの事だよ」

憧「あれってメチャクチャ危ないよね~。理解しがたいと思わない?」

初瀬「憧は…スリルを求めてやってるっていうの…?」

憧「いやいやそうじゃないって。…日常生活で、誰もが色んな問題に直面するでしょー?」

憧「私はね、その問題解決の選択肢が、あんた達に比べてちょっと広いだけなの」

初瀬「は?」

初瀬(何を言ってるの…?この子は)

憧「仮に殺しちゃえば解決するとしても、普通の人はためらっちゃうよね」

憧「警察にバレたらとかで、どーしても恐怖が先立っちゃうの」

憧「でも、私はそうじゃない」

憧「エクストリームスポーツの愛好家と同じで、やれると確信できれば最後までやり切る事ができるの」

憧「思い切って突っ走ってみれば、案外できちゃうもんなのよねー」アハハ

憧「どう?こんな説明で分かってくれた?」

初瀬(なんなの…憧……理解できないよ…)

初瀬(憧がここまで訳の分からない子だったなんて…)

http://blog.livedoor.jp/ss_log/archives/22421263.html

 

「面倒くさい話題」が生成するプロセス

□レッテルとしてのフクシマ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120322/230156/

特定の事件について、二つの対立する勢力が、互いに相容れない見解をぶつけあっている場合、議論は、空洞化する。歩み寄る姿勢を持たない論争は、平行線どころか、より対立を深める方向で推移する

論敵がフェアな相手でないと判断した論者は、自分だけがフェアな態度でいると、論争に負けてしまうと考えて、結果、自らもアンフェアな態度で議論に臨むようになる。かくしてディベートは荒れる。証言は捏造され、証拠は隠蔽され、データは恣意的に引用され、テーブルをはさんだ両者は、相手を貶めることだけを目的に言辞を弄するようになる。時間がたつと、真相は事件の発生直後よりさらにわかりにくくなっている。わかりにくいだけではない。一般の人間にとっては、その事件に関わること自体がリスクになる。すなわち、「えんがちょ」だ。テーブルの両側に残っているのは狂信者のみ。一般人は一瞥を送ろうとさえしない。どちらか一方がウソをついているのではない。両者のいずれもがウソをついている。それも、真実のために、だ。なんということだろう。

ともあれ、自分たちが使っている「レッテル」と「思考停止ワード」を列挙して、互いにそれを含みおいた上で議論をすれば、論争の不毛さはずっと軽減される。そう考えて、せめてレッテルを貼る時には、そのレッテルに対して覚醒していようではないか

 


□傍観者の「善意」について

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20130307/244676/

当事者は、被災地をめぐる活字上の議論とは別の次元にいる。というのも、当事者であるということは、「逃げられない立場」にあるということで、その意味で、彼らは、議論の行方や、理念や正義の感情や政治的な信条や立場とは関係なく、とにかくその日をやりくりしなければならないからだ。これに対して、逃げる気になればいつでも逃げられる外部の人間は、むしろ、明確な理念を必要としている。でないと、被災地に関与する動機が維持できないからだ。 われわれ傍観者が、被災地の人間を支援するためには、善意だけでは足りない。正義の感情や、政治的な信条や、いずれにせよ、そうした強い信念が不可欠になる。そうでないと、身がもたない。かくして、被災地で暮らす「現実派」の当事者と、それを支援する「理念的」な支援者の間には、微妙なすきま風が吹く

山田は、そういうことに賛成する人間であるというふうに周囲の人に思われなくないのだ。でも、実のところ、彼は、それらのイシューには、まったく関心が無い。というよりも、関心を抱いたところで、どうして良いのやらまるで判断ができない。ただ、どの問題がどっちに転がるのであれ、自分がその決断に参加したカタチを取ることには、ためらいがある。できれば自分以外の人間の意思で事態が動いたという経緯で、物事が決定してくれるとありがたい、と、典型的な日本人である山田はそんなふうに考えている。

最も多くの日本人は、関与することを回避したいと願っている。これはものすごくまずいこと、とは、必ずしも限らない。私の思うに、良心的決断忌避者の数と、善意のパターナリズムを発揮する人間のパワーバランスが崩れない限り、この国はそうそうひどいことにはならない。押しつけがましい善意の決断嗜好を、大多数の決断忌避者たちが薄め、社会への影響を減殺するからだ.
あとは、男の条件で金を貸す愛すべきおっちょこちょいの出番だ。警戒すべきは誰か。恐怖を煽る者と、排除の論理を言いつのる者。あとは白い顔をしたサギだ。大丈夫。われわれは、きっとうまくやれる。

もし議論が炎上したときは、その話題に群がる人たちがどういう人物で、それがどういう割合だったのか。そのあたりを理解しておくことが必要かなと思います

低所得者」について言及するというエクストリーム・スポーツに素人が挑んで怪我をするという事案について

たとえば、
ttp://nanaoku.hatenablog.jp/entry/2014/01/18/135904
の件についてですが、星井さんの発言に問題をおく人と、ちゃんと理解しようとしなかった人に問題をおく人で極端に分かれているようですが、そこだけ論じてもしょうがない。

本来的には「低所得者」というものについて言及することをどうとらえるか、という問題だと思うんですよね。

この話題はめんどくさい領域です。エクストリーム・スポーツ開催地です。

自分が当事者じゃないと思ってる人間としては、この領域に踏み込むとき覚悟が必要です。「善意だけでは足りない。正義の感情や、政治的な信条や、いずれにせよ、そうした強い信念が不可欠になる」ということだと思うんですよね。ガチ勢しかいない。そこで迂闊な振る舞いをしたやつは、身ぐるみはがれて頭勝ち割られても仕方ないという謎の空気が漂っている。

ところが、星井さんは、どうも自分自身がこの低所得者について当事者という認識があったようで、つまり「議論の行方や、理念や正義の感情や政治的な信条や立場とは関係なく、とにかくその日をやりくりしなければならない」=身近なものという感覚で、それほど深刻に考えずに発言したのじゃないかなと。言葉選びがうかつであったことは本人も認める通りですね。つーか、生活保護についてあれだけ書いたのだから、当然こういう話題が荒れることはご存知かと思ってました。

まさかツイッターが書き方をちょっと間違っただけで、人殺しのような扱いを受けたり、死ぬことまで強要される場所だったとは思わなかった。勉強になりました

復帰される際は、「自分の行為がそもそもエクストリーム・スポーツである」ことを学習していただき、上級者のプレイを見せていただけることを期待しています。 ただの青二才野郎だったらもう間に合っています。


1月31日追記
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2014/01/post-7c92.html

当事者は、素直に本音を言う。
(中略)
相反した意見を吐く当事者を詰るのは簡単だが、そういう矛盾を心の中に幾つも抱えながら生きていくのが人間だ。だから、往々にして「お前が言うな」とか「超大型ブーメラン」などが発生する。それらは、新しい状況を前にした本音を漏らすことが原因である。分かる人には分かって欲しいのだが、人間の感情というものはそもそも環境に流されやすく、理性だけで政治決定し、投票行動を起こすわけではないのである。それを「矛盾だ」「いずれ収斂していく揺らぎだ」「有権者の政治的態度が不真面目だ」と判断して、ノイズにしてしまうのは観察者として良くないと思うのである。観察者に撤しきれていない人が、自分の意に沿わないデータが出てきた際に「これはノイズである」と根拠なく判定することは、それはデータに対する冒涜だと言えよう。その結果として、厳然と出ているデータに対して、結果の「解釈」を巡って観察者が議論するというのはナンセンスであるし、それは本来観察者が為すべき仕事ではない

いろいろと納得した。済みませんでした>星井さん



その他おまけ。

□やる夫で学ぶ議論のしかた

「あなたがその意見に興味がないのならその意見が正しかろうと間違っていようと何の関係もないことよ

大事なことは「あなたがその議論で何を得たか」であって「誰の主張が通ったか」ではないわ このことを忘れて『議論の勝ち負け』にこだわってしまうと その議論は何も得ることのできない不毛なものに変わってしまうわ。あえて勝ち負けを決めるとするなら新しい考えを知ることのできた人が勝ち組で知ることのできなかった人が負け組よ人の話を聞かない人は最初から敗者なの。

「話を聴かない人に話を聞かせるのはとても大変・・・というか不可能よ人の話を聞かずに損をするのは、その人自身なんだしわざわざ大変な手間隙かけてその人を救ってあげようなんてそんなのは時間の無駄遣いよ。もしもアナタが「相手の間違った考えを正さなくてはならない」という使命のようなものを感じているとしたら・・・それは危険な兆候よ。相手と同じ『自分の考えを押し付ける人』になっていないかどうか自分のことを見直してみる必要があるわ」

「自分は良くてもそれを見た他の人が間違った意見を信じてしまわないかお?」

「それは他の人を馬鹿にしすぎよ他の人達にだってちゃんと考える頭はあるわ。だけど、どうしても心配だというならその話を聞いている周りの人と議論しましょう」

「どうしてだお?主張してる本人を論破すればそれで一件落着だお?」

「話を聞かない人と議論をしてはならないわ何故なら、議論にならないからよ。そして、そういう場合の論争は相手に分があるわ。何故なら、相手はルール無用のデスマッチを不死身の体で仕掛けてくるからよ」

「そんな奴には勝てないお!でも、こっちもルールを無視すれば――」

「そんなことをしたら自分も荒らしの仲間入りよ! 周りの人はきっと「うはwwwwキチガイ同士がなんかやってるwwwww」と思うだけよ それじゃ逆効果じゃない

「『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、 深淵もまた等しくおまえを見返すのだ』 かお……」

http://ronri2.web.fc2.com/yaruo06.html

 

□議論のしかた 荒らしへ対処ルール

匿名掲示板には暗黙のルールがあります。「荒らしは放置」つまりルール違反の人は相手にしないということです。発言がルール違反であることは見ればわかりますから、その人をわざわざ追い払おうとしないで単に見ないようにすればいいのです。

ではどういう基準で「荒らし」を認定すればよいのでしょう?それは単純で、自分が「荒らし」だと思った意見は「荒らし」なのです。そしてそれに対して注意したり追い払ったりせず単に無視します。もしかしたら他の人はその意見を「荒らし」ではなく「重要な意見」だと思って相手するかもしれませんが、それはあなたには関係ありません。あなたが無価値だと思う意見は見ないようにしましょう。

http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/ar01s12.html