なろう原作マンガの感想など

歴史漫画のまとめを作るはずだったのに、いつのまにかなろう原作マンガの感想ばっかりになってしまった

センター試験の受験会場に先生や塾講師が集結している光景について個人的に文句言う

はっきりいって、これは過剰サービスじゃないかと思ってます。過剰サービスの個人的定義は、「サービスを提供する側と受ける側の関係において、

①提供する側は良かれと思ってやっているが、受ける側はそれを臨んでおらず、どちらかというと迷惑に感じており、単なるサービス提供側の自己満足に終わってしまっている。
②そのため提供者はコストに見合う効果を出せず、受ける側も不快や面倒な思いをする

という、LOSE-LOSEな関係が成立してしまっていること」です。

異論は受け付けるというか、完全に個人的体験に基づく非論理的な意見ですのでつっこまれたらただただ頭を下げるのみです。 ====

校門前に先生が応援に来るのって、受験生は嬉しいですか? 私は嫌でした

なんでこういうことを書いてるかというと、受験生の時、この光景「すげえ迷惑だな」と思ったからです。

私も塾に行っていましたから当日に先生が来ていました。で、励まされるわけなんですが、当時私は今よりずっと他人とのコミュ二ケーション苦手でしたから、「励ましに来た先生に応対するために気を使う」のがすごく苦痛でした。「大丈夫だ!頑張れ!」とか言われたらそんな気分じゃないのににっこり笑って「大丈夫です」って答えないといけないじゃないですか。「そんなに意識してなかったのにあんたらが緊張してるからこっちまで緊張してくるじゃないかやめてくれ」「あんたの自己満足に付き合ってる余裕ないんだよ放っておいてくれよ」って毒を吐きたい気分でした。試験前日ならともかく、当日はかなりピリピリしてます。家族も前日は励ましてくれたけど、当日は短く「頑張れ」だけで送り出してくれました。静かな緊張感持って会場入りするつもりが、会場入り口でテンション高い人が話しかけてきて、心を波立たせられたら台無しなんですよ。そもそも私は塾ではものすごくおとなしくて目立たない学生でしたから、ほとんどかまわれていませんでした。だからその先生と会話するのに慣れていない。にもかかわらず、その日だけ親しげに声を掛けてこられて、それに受け答えしなければいけないことにすごい違和感を覚えました。おかげで試験開始までのしばらくの間なんかもやもやしてしまいました。普段から先生と親しくしていて、かまわれている人は、その親しい先生が来てくれてうれしいとかあるのかもしれません。先生の側も、普段親しくしている生徒を応援に行くのはうれしいのかもしれません。でも私は先生に応援されたいとおもってなかったし、先生も「よしき・・・誰だっけ?」とかなるじゃないですか。きまずいじゃないですか。やめようよこれ。とにかく、そういうのは試験前日とかに済ませてほしいわけです。校門前に先生が待っていると思うだけで気が滅入ります。しかも、当日のセンター試験会場、校門前の歩道がものすごく狭い。車も走ってる。そういうなかに先生がずらっと並んでて、通りにくいし、気持ち悪い。私人が密集してる空間を通るのが嫌いで、電車も乗れないくらいひ弱なので、ほんとにつらい。そこでまたストレスたまる。で、最悪だったのが、試験終わった後また先生がいる。「どうだった?」って声かけてくるわけです。「なんでお前に言わなきゃいけないんだ知らんわ」って思ってるけど気が弱いから素直に答えると「だめだったか。でも気を落とすなよ。明日頑張って取り返せばいいんだ」とか言ってくれるわけだけえれど余計なお世話ですそんなことわかってますというか自分でわかってることを他人から言われると反発を感じる仕組みに名前をつけたいとか思ってもうほんとにイライラしました。



めんどくさい子だな私!



というわけで、ごく個人的な意見ですが、校門前に先生くるのいらないというかつらいと思ってためんどくさい子がいたという話でした。


今みたいにうじゃうじゃ先生が校門前に集結する光景ってどうして出来上がったんですかね

ここからはすべてただの推測です。正しい事実をご存知の方がいたらつっこみいれてください。

これ本来は、受験日に「見込み客」が山ほど来るのを見越して塾の人たちが配布物を配りに来てたのが始まりなんじゃいないかな。

ただ、「ただ配るだけだと落ちるのを期待しているみたいだ」と批判されるんじゃないか」と変に気をまわして、「自塾生の応援」「あくまで応援のためのグッズを渡す」という体裁を作り、そのうえで、「その他の受験生に配ります」「ついでに入塾案内も入ってます」みたいな感じになったのではないかと思います。

で、そのうちに本来の目的「ビジネスのために配りに行く」が薄れて、建前の「応援に行く」が広まり、こうなってから、自分の学校の学生が他の校舎に行く高校の先生なんかも「応援に行かなければ」って空気が形成され始めたような気がします。

もちろん、その前から、個人的に応援にいく教師なんかはいたと思うのです。でも今って塾の人総出で応援にいく、とか、役割分担して応援に行くという「仕事」になってる気がします。(多分こう感じてしまうのは、私が先生たちと親しくなかったがゆえの被害妄想なんでしょうね)

今って、センター試験会場で入塾案内みたいな配布物を配ること自体を禁じている校舎が多いそうですね。 きっと過去に配布がらみで迷惑な行為があったのじゃないかと思いますがどうなんでしょうね。

何が言いたいかというと「めんどくさいけどみんなやってるから俺たちもやらなきゃ」って思ってるひとがいるなら、本来の目的らしきものは消滅してるのだからやらなくていいですよねってことです。「心から学生を応援したいから行くんだ」って人は、仕事とか横並び意識とか同調競争的なものじゃなくて、個人でばらばらに行って、応援したい生徒にだけ声をかけてください。 「自分の塾の生徒だから応援しなきゃいけない」なんてのは余計なお世話ですし自己満足ですしはっきりいって迷惑でした。